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2016年10月7日金曜日

イランに渡航歴があるとアメリカに行く際に少しめんどくさくなる

イランに渡航歴があると、アメリカに入国する際にビザが必要になってしまう。知りませんでした。
https://japanese.japan.usembassy.gov/j/visa/tvisaj-important.html#estachange2016

イランに渡航歴がなければ(正確にはイラク、スーダン、シリアも含む)、日本人ならばESTA申請すればよい(ネットでもできて楽チンだった気がする)。
ビザ必要となると、いろいろとめんどくさそうだ。
初めての海外でインド行った時も、申請と受取で大使館に二回行って、しかも旅行日前日に受け取るというギリギリの経験がある。
その時は、相棒が電車だかが遅れて、危うく制限時間を過ぎて受取損なうところであった(タクシーで駆けつけて来た)。

といっても今回も、イラン、アゼルバイジャン両国でビザを取得することになる。
どちらもアライバルビザ。

海外保険

海外保険AIUにネットで申し込もうとしたら、
「今回のご旅行中、イラン、スーダン、シリア、クリミア地域、キューバが渡航先に含まれますか?
いかなる場合でも、当該国・地域において生じた事故については保険金をお支払いすることが出来ませんので、ご了承ください。」

イランに行く場合は、ネットでは申し込めない。
別途電話で問い合わせする必要があるようだ。

2016年10月6日木曜日

イラン・アゼルバイジャン

今年の(季節外れの)夏休みはイラン・アゼルバイジャンに旅行します。
以下、行程表。

ーーー

2016/10/08 (土)
エアアジア AK523 21,390 JPY
23:45 HND 東京 羽田 7時間25分


2016/10/09 (日)
  6:10 KUL クアラルンプール国際
空港で接続待ち時間 12時間55分
エアアジア AK776
19:05 KUL クアラルンプール国際 8時間05分
22:40 IKA ルーホッラー・ホメイニー
◯ホテル
Ibis Tehran Imam Khomeini International Airport(イビス テヘラン エマーム ホメイニー国際空港) ¥10,509 IRR 3,597,340.08
http://www.booking.com/hotel/ir/ibis-tehran-imam-khomeini-international-airport.ja.html


2016/10/10 (月)
マーハーン航空 W51035
13:30 THR メヘラーバード国際 1時間30分
15:00 MHD マシュハド
◯ホテル
Javad Hotel
http://javadhotel.com/


2016/10/11 (火)
◯ホテル
車中泊(列車かバスの予定)


2016/10/12 (水)
エスファハーン滞在
◯ホテル
Iran Hotel
https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g295423-d1455824-Reviews-Iran_Hotel-Esfahan_Isfahan_Province.html


2016/10/13 (木)
テヘランへバスで移動
◯ホテル
Markazi Hotel 50$
http://en.hotelmarkazi.com/


2016/10/14 (金)
アゼルバイジャン航空 J28018
13:05 IKA ルーホッラー・ホメイニー 1時間25分
15:00 GYD バクー・ヘイダルアリエフ国際
◯ホテル
Nemi Hotel ¥8,479 AZN 133
http://www.booking.com/hotel/az/nemi.ja.html


2016/10/15 (土) 
アゼルバイジャン・バクー滞在
◯ホテル
同上


2016/10/16 (日)
アゼルバイジャン航空 J211
9:00 GYD バクー・ヘイダルアリエフ国際 2時間55分
11:55 DXB ドバイ国際
  空港で接続待ち時間 14時間55分


2016/10/17 (月)
エミレーツ航空 EK318
  2:50 DXB ドバイ国際 9時間45分
17:35 NRT 東京 成田

2012年1月4日水曜日

小笠原旅行(4泊5日) 2011年12月29日−2012年1月3日

年末年始は小笠原に行って来た。
職場関連の友人2人と。

小笠原は東京から南に1000km。
距離的には東京から北海道、緯度的には沖縄と同じ。
空路はなく、船便しかない。 船便は「おがさわら丸」という船で、25時間半かかる。
「東洋のガラパゴス」と呼ばれ、固有種が多く、そんな感じで(←テキトー)2011年6月に世界自然遺産に登録された。
 

(おがさわら丸) 

1日目(12月29日)〜出発『おがさわら丸』〜

船は朝10時に出発。
なので9時に竹芝桟橋に集合しました。
船の名は「おがさわら丸」です。
席は一番安い「2等和室」。
とはいえ、11月7日予約するのに1時間近く電話してようやくつながった経緯があります。
料金は片道25,000円前後。
席というか与えられた場は、身を縮めて横になるのがやっとで、とはいえ足も曲げなければならないスペースしかありません。
そこで25時間半も過ごすのかと思うと、自然と「奴隷船かい」という言葉が口から出る状況でした。
後になって知るのですが、通は荷物だけそこにおいて、船の空きスペースに敷物を敷いてそこで過ごすことがわかりました。
当然ながら、私も寝る時は2等室にいて、起きているときは船内散策や、船の空きスペースでビールを飲んだりして過ごしました。
酔い止め薬は飲みませんでした。
行きはほとんど揺れなかったので、正直「なんとかなる。いける」と思っていました。
これが、帰りの船で痛い目を見ることになります。



2日目(12月30日)〜到着。父島。〜

予定通り、25時間半で父島の二見港に到着しました。
港では滞在先の宿の店主が、看板を持って迎えに来てくれていました。
車ですぐのところに宿はありました。
いわゆるペンションの作りで、我々の部屋は6畳一間。
3人にしては少し狭いが、繁忙期なので仕方がありません(ちなみに情報通によれば、GWと年末年始が最も混むのだということです)
その後、二見港近辺のメインストリート大村を散策。
昼食を食べて、小笠原名物のビーチサンダル・ギョサンを買いました。

午後はツアーに参加。
『戦跡ツアー』です。
小笠原は第2次世界大戦の舞台ともなっており、山には壕や砲台があります。
それを巡るツアーでしたが、ガイドのおじさんが怒鳴った事のほうが記憶に残っています。
我々3人の他に、もう2組参加者がいました。
1組だけ、予定の時間になっても現れず、最初はニコニコしていたガイドさんもだんだんイライラしていくのがわかりました。
迎えに行った場所にいないことがわかるとついにブチ切れました。
「そこを動くな!」
携帯にシャウトするやいなや、車は猛スピードで坂道をぶっちぎります。
私は島というのは、おだやかで、ゆるやかな「島時間」なるものが存在すると想像していましたが、予想を裏切られました。(ちなみに10月に伊豆大島に行きましたが、そこの料理屋は注文してから1時間してから料理が出てきたりしました。あと、一回目を聞きそびれてしまったらしく30分後にオーダーを聞いて来ました)
遅刻者達がこっぴとどく怒られたのはいうまでもありません。
「あー、遅れなくて良かった」
心底、そう思いました。

ツアー後、宿でひとっ風呂浴びることに。
と思ったら、シャワーが冷たいままです。
そうこうしているうちに、水すら出なくなってきました。
完全に止まるのではなく、ちょろちょろ出ていたので、それで何とかしました。
いやあ、前途多難です。


3日目(12月31日)〜ダイビング。カウントダウン。〜

小笠原は沖縄と同じ緯度にあるといえ、一応冬ですから、朝と夜はそこそこ冷えます。
昼間は半袖でも大丈夫ですが、風があると寒いです。
その寒さをダイレクトに感じたのが、このダイビングの時でした。
前日のガイドさんのブチ切れもあったので、ビビリがちな私達は8時半集合のところを8時過ぎには到着してしましました。
「早すぎるよー」といって、朝食の箸を止めてニコニコして出てきたのがダイビングのガイドさんでした。
怒られなさそうなので、とりあえずほっとしました。
私は高校の修学旅行で、沖縄でダイブ経験があります。
といっても全部忘れています。
でも、何とかなりました。
ネムリブカという、おとなしいサメも見ることができました。
ただ、水は冷たく、船に待機している時の寒いこと。
とにかく風が強いのです。
14時くらいに終わり、真っ先に宿の風呂に飛び込みました。
シャワーのお湯が出ました!
当たり前のことに喜びを感じる一幕でした。
ただ、お風呂は熱湯コマーシャル並の熱さというおまけ付きでした。

夜はカウントダウンイベントに参加。
島名物ラム酒や、カップそば、暖かいコーヒーなどが無料で配られていました。
年越しの瞬間には花火も盛大に打ち上げられていました。
そのまま、初詣に。
神社がありました。
おみくじは「吉」。
一緒に行った三人とも「吉」でした。
酒入りの甘酒に程良くよって、いい気分で宿に帰りました。


4日目(1月1日)〜NHK中継。ナイトツアー〜

朝から年明けイベントに参加。
NHKの中継がありました。
海岸に女優のとよた真帆さん、めちゃイケに出てるらしい敦士さんがおりました。
(注:正直、私も普段テレビを全く見ないので、最初は「アツシ」って誰だよ。とか思ったりしてしましました。でも、島にいるとあらゆるところで「誰あいつ?」みたいになってしまっていて、敦士さんがかわいそうになってきました。ごめんなさい、敦士さん。モデルやっているとだけあって、背が高くてかっこいいです。リンク貼っておきましょう。)
敦士さんのオフィシャルブログ 
wikipedeia

話がそれました。
最初のNHKの中継は海岸での「日本一早い海開き」というもの。
数年前の私なら絶対に参加していましたが、「濡れるの嫌だし、私はちょっと」という老化による消極的な姿勢により見学者に徹しました。
でも、ミーハーなので「テレビ映んねえかな」と密かに興奮してしまいました。
たぶん映ってません。
時間をおいて、続いての中継は「ウミガメの放流」です。
また「テレビ映んねんかな」と思いましたが、たぶん映ってません。
(NHK中継の様子)


夜はまたツアーに参加。
「ナイトツアー」というものです。
オガサワラオオコウモリという天然記念物やヤドカリを見に来ました。
夜になると緑色に光る「グリーンぺぺ」というキノコは寒いため見れませんでした。

あ、夜寝る前にバーに行って、「ウミガメの刺身」と「ウミガメの唐揚げ」を食べました。



4日目(1月2日)〜島最終日。ホエールウォッチングのはずが大しけ、でも南島上陸〜

朝からツアー。
朝食時にそのガイドさんから電話。
「海荒れてるけどどうする?」
「やめたほうがいい」ということなのかわかりませんが、とりあえず「行きます。よろしく」と答えておきました。

案の定、しけていました。
並に高さは3,4メーターとか。
潮が満ちているのと、風が突風のように強いので、晴れているとはいえ、大荒れの様相です。
私、個人的にはホエールウォッチングは一番楽しみにしていました。
ここでも他の2組と合同でのツアーでしたが、その中の一組はホエールウォッチングに「3度目の正直に期待」とおっしゃってました。
ただ、しけています。
船に乗るやいなや、誰も「ホエールウォッチング」を口にすることはありませんでした。

それでも、観光名所の南島に行きました。
この島は環境保護が徹底しており、ガイドさんと一緒でないと上陸はおろか島内でも行動ができません。
なかなかの景色でした。
(南島)

この南島から戻る時の船が本当に大変でした。

私は船の頭のほうにいたのですが、気を抜くと振り落とされそうになるくらい揺れます。
波はかぶるは、打ち付けられるはで、これが荒波の海か、と感心したものです。
ちなみにこの時のガイドさん(船長)、あとから聞いたのですが島一番の飛ばし屋とのこと。
どおりで「波たけえからゆっくりいくぞ」と言いながらスピードをあげていたものだと合点がいきました。

そして、午後2時に帰りの船が出発です。
もちろん「おがさわら丸」。
与えられた場所は狭いです。
ですので、階段脇のスペースを確保(実際に座れるのは出港後1時間くらいしてからです)。
ですが、まさか同じ場に24時間も寝続けることになるとは思ってもみませんでした。
揺れるは揺れる。
出港後すぐに、外に出れないように封鎖されました。
窓から覗くと、波を被りまくっています。
外に出たら危ない。
大型船とはいえ、大きく打ち付けられる。
この浮揚感が、船酔いをもたらしました。
揺れのせいもありますが、立っていられません。
次第に横になってないと気持ち悪くなってきます。
だんだん動けなくなってきます。
起きてると気持ち悪くなってきます。
あとはひたすら寝るしかありませんでした。
時折、打ち付けられる衝撃に目を覚ましながら。
24時間私は、食事もせず、トイレに立った2回以外はひたすら寝続けました。


5日目(1月3日)〜東京帰還。旅終了〜

大島が見えるあたりでは揺れは大分収まっていました。
そこでようやく身を起こし、座る姿勢をとれました。
ゴザを敷いているとはいえ、ほぼ床に寝たも同然。
体が痛みます。

やがて、船内アナウンスで、元の位置に戻れとの指令。
みな、引き上げていきます。
あとはぐだぐだ過ごしてたら無事竹芝桟橋につきました。

ちなみに前日の大しけの中のツアーのため、靴が濡れてしまったため、サンダルで家まで帰りました。

(おしまい)

2011年1月7日金曜日

北京旅行記ー四日目

一月一日





万里の長城に向かう。
北京北駅で一人運賃18元。
電車までの時間があるため、近くで時間を潰すことに。
ちょうどデパートがあった。
昼食。
チャーハンと、春巻き的なもの
鳥肉的なものを注文。
チャーハンは予想通りのチャーハンだったが、春巻き的なものは餅みたいな皮で、鳥肉は紹興酒で味つけしたクセのある味の脚の先の生々しいものだった。

電車で万里の長城へ向かう。
八、がつく駅を目指す。
道中は当然寝る。
我々はかつて、何度も旅先の電車で寝過ぎて目的地と出発駅との間を何度も往復する過去を持っている。
うまいことに降りる駅では起きていて無事に下車。
万里の長城へ。
入場料40元。
果てしなく続く万里の長城。
目的地の、その辺りで一番の標高の高い所ははるか彼方に見える。
ロープウェイとかはあるようだが、金にきびしい我々は見向きもせず歩いて目指す。
山登りみたいだった。
そのため、この度て唯一汗をかく。
そのため、あまり寒さは感じなかった。
一時間くらいかけて、その目的地へ。
登ってきた道のりをみると、なるほど遠くまできた感慨がある。
そのまま歩いて引き返す。

帰りはバス。
なかなか来ない。
あと15分待って来なかったら三時間後の電車で帰ろう、みたいな話を園原氏が振ったら、タイミングよくバスがくる。
バスは満員。
高速道路みたいなところをひたすら下って行く。
一時間半後に積水譚駅周辺に。

地下鉄で王府井に。
お土産を買う。
近くの屋台街に行く。
ヒトデ、サソリ、サナギ、鳩の丸焼き、トカゲなどが売られている。
名物らしい蜂蜜入りヨーグルトがあり、3元だったので飲む。
とてもおいしい。
この旅1番の味であった。
もう一杯飲む。
こちらはお湯で温めてあるもの。
これもとても美味しい。
ああ、北京来てよかった。
心からそう思った。
園原氏は私のこの感情を理解できかねるご様子であった。
そんな園原氏はサソリを食っていた。
阿佐ヶ谷で売っていた沢ガニのフライみたいな味だと言っていた。
サソリの毒を気にしていた。
食べる前に尻尾を降り、私のポッケにいれやがっていた(わたしがそれに気付いたのはHotelに戻ってから)。

ホテルに戻り、寝る。
寝る前に長渕剛先生とジブラの掛け合いを聴く。
しあわせになろうよ04という曲である。

次の日は帰る日で、午前の便なので、早起きしようね、といって早めに寝る。
23時前くらいのことである。

そして次の日も予定よりも遅く起きる(6時半くらい)。
そうして、飛行機に乗り遅れたのだった。
http://datsuryoku-memo.blogspot.com/2011/01/blog-post_03.html

北京旅行記ー三日目

12月31日大晦日





前日、9時に出ようと言ったか言われた
気がするが、案の定寝坊し、ホテルを出たのが11時くらい。
一日目、二日目と泊まったホテルだが、この日でチェックアウト。
部屋にマフラーを忘れ、慌てて取りに行く。
H.I.Sのページではそのホテルから徒歩圏内となっていた天壇公園に向かう。
30分くらい歩いた気がする。
ようやく到着。
相変わらずだだっ広い。
またもや寒過ぎてそこの歴史的価値などどうでもよくなる。
そもそも天壇公園の価値について知らないこともある。
ひたすら寒い思いをし、一通り見学をし、次のホテルでチェックインするべく地下鉄の駅に向かう。
地下鉄では北京駅に向かう。
北京駅から歩いて10分くらいでホテルへ。
チェックインするが、なぜかデポジットとして300元とられた。

部屋に荷物を置き、再び街に繰り出す。
北京駅近くの飲食店で昼食後。
私は、麺類を、園原氏は角煮の丼物を注文。

芸術区に向かうため、地下鉄を乗り継ぐ。
駅を降りたとこにいたタクシーはやはりぼったくり。
無視して、流しのタクシーを捕まえようと試みるがなかなか捕まらない。
反対車線でようやく捕まえる。
30分くらいで到着。
またもやなぜか1元多くとられた。

案の定、寒い。
芸術などどうでもよくなっていたが、芸術があるところが室内だったためにあり、寒さしのぎに入る。
その後はガイドブックに載っていたカフェに。
アメリカ人が経営しているらしく、洋風。
私はティラミスとカフェラテ、園原氏はウォッカを注文。
ちなみに園原氏のウォッカの発音は通じていなかった。

いくつか室内のギャラリーを見て、次の場所へ向かう。
北京オリンピックで注目を集めた鳥の巣が目的地である。
バスに乗るが、とても寒かった。
でもお構いなしに寝てしまった。

最寄の駅に着き、夕食を取るため、ケンタッキーに。
注文がうまく通じなかったせいもあるが、サイズは小さく、小腹を満たした程度だった。

歩いて三里屯へ。
ユニクロやナイキショップ、アップルストアがある、先端的なおしゃれタウンであった。

この日は大晦日である。
最初に行ったクラブは中国人だらけで、われわれが入り込む隙間はなかった。
次のバーは外国人は多くいたが、個人主義で特に知り合うこともなかった、
その次の日本食系バーも日本人はほとんどいなかった。
さて、そろそろ年越しまで30分である。
次こそはと、ガイドブックに書いてあった店に向かうがチャージ料が高く、断念。
近くのバーへ。
そこでなんとなく、年を越してしまった。
遠くで花火の音が聞こえた。
タクシーで、ホテルの最寄の北京駅まで行く。
そこからは歩き。
そのままホテルへ帰って就寝。
あっという間の年越し。

北京旅行記ー二日目

12月30日




前日、明日は9時出発とか言ったか言われた気がするが、案の定、寝坊する。
結局、ホテルを出たのは11時くらい。
ひとまず万里の長城を目指す。

地下鉄を乗り継いで、積水譚という駅で降りる。
明らかに観光客目当てのタクシーがふっかけてくる。
適当にあしらい、近くのデパートに入る。
地下の食品売り場などを見学。
鯉とかナマズとかが水槽にいた。
食品売り場にあるので、食用だと思う。
園原氏、ポケットティッシュを買う。

デパート近くの、食堂へ。
一軒目で、園原氏が大学生五年間習ったという(なかなか単位が取れなかっただけ)中国語を活かし、麺料理ありますか?、みたいな事を聴き、ない、とのことで次の店に。
二軒目。
指差し会話帳で、オススメ料理教えてください、とやる。
出て来たのは、ナポリタン風の麺料理だった。
ナポリタンは嫌いだし、特にピーマンは苦手なのでがっかり。
でも食べてみたら麺は美味しかった。
きしめんのような歯応えでありながら、きしめんよりも細い。
園原氏は、黒いスープの謎の麺料理だが、食べてみるとこちらのほうがおいしかった。
あっさりスープと麺がよく合う。

その後、万里の長城を目指すべく、それらしきバス停に。
ガイドブックには12元と書いてあったが、そこにいた人間によると、片道80元かかるという。
筆談で会話。
80×2人=160
往復で320元らしい。
おかしい、高い。
しかも誰も並んでいない場所、動きそうのないバスの前で、ここだよ、といって待たされる。
園原氏が水を買いに行こうと場を離れると、その人間はまた話しかけて来て、タクシーなら往復で400元だ、みたいなことをいってタクシーの方へ連れて行こうとする。
魂胆がわかってしまったのと、あまりにも寒かったので、もう結構!と思い改めて出直すことに。
とりあえず天安門へ向かうことにした。
ちなみに園原氏は水を買ったが、外で売られていたため中が少し凍っていた。

地下鉄で、天安門へ。
そのまま故宮を見学。
だだっ広く、隙間風が強いため寒い。
寒すぎる。
正直故宮などどうでもよくなってしまった。
最後のほうで、お土産内に四席だけのカフェらしき一角があって、底でコーヒーを。
砂糖入りで甘いコーヒーだった。

故宮を出たあとは、胡同という細い路地がある地区へ向かう。
古い街並みを活かし、おしゃれカフェがあるという場所。
道中もあまりにも寒く、コンビニ便利店で手袋を買う。

カフェに入る。
西洋風の普通のおしゃれカフェ。
あったかいものを頼む。
あとで聞いた話によると、園原氏、カフェのトイレを詰まらせてしまったようだ。

地下鉄を乗り継いで、王府井へ。
北京一の繁華街だ。
北京飯店という老舗ホテルで、元に両替する。
それぞれ、一万五千円ずつ。

道路のマンホールの穴からなぜか白いけむりがでている。
湯気か?
そんなT字路を渡り、全聚徳という有名らしい北京ダック屋に。
少し、高級な雰囲気。
北京ダックは美味しかった。
クレープのような薄い皮につつんで食べた。
会計は420元くらい。
この旅で一番の支出だった。

園原氏の出版社魂もあって、本屋へ。
村上春樹はもちろん東野圭吾も売っていた。
その後に行った駅ナカのスーパーみたいなところでも雑誌が置いてあり、園原氏は数点購入。

地下鉄で最寄りの駅へ。
数分歩くが、真逆に来ていることが判明。
タクシーを拾ってホテルへ。
なぜか一元余計に取られた。
部屋に戻り、シャワーを浴びて就寝。

2011年1月6日木曜日

北京旅行記ー一日目

12月29日(一日目)



@成田空港駅。「かっこいいっしょ?」だって。


まず園原家に集合。
当初は午前中に集合し、大掃除するつもりが、お互いの寝坊により、おじゃんに。
私は2時に園原家に着いたが、その時点では園原氏は何も準備していなかった。
寝ていました、とおっしゃってました。
申し訳程度に掃除機かけて、30分くらいで荷造りをしていた。
15:30護国寺を出る。
17:00成田空港に着く。
北京に着くのが22時過ぎになので、予め元に両替する(二人で一万円分くらい)
園原氏、ユニクロでヒートテックを買ったり、本屋でガイドブックを買ったり。
この人、明らかに今、準備しだしてます。
成田19:00発の飛行機(ユナイテッド航空)に乗る。
のんびりしてたら、15分前でラストコールだった(こんな感じだから、帰りの便で乗り遅れることに…)

現地時間22時過ぎに北京着。
日本との時差はマイナス1時間。
空港から外に一歩出ると、とても寒い。
タクシーで、ホテルに向かう。
英語は通じないので、指差し会話。
意味が通じたようで、出発。
一時間くらいで、無事にホテルに着く。
料金は110元くらい。

チェックイン後、近くで一杯。
この時、24時過ぎ。
ビールと、冷めたほうれん草炒め的なもの、ミミガー、キムチなどを注文。
量が多い事もあり、残す。
お勘定は660元くらいだった気がする。

ホテルに戻り就寝。
25時過ぎ。

2011年1月3日月曜日

北京空港で乗り遅れる

北京旅行から帰ってきました。
最高気温でもマイナスなので、とにかく寒かったです。
最後の最後でハプニングがありましたので、メモしときます。
海外の空港にて、飛行機に乗り遅れました。
会話は英語や中国語なので、何を言われたかはあいまいです。
こんなハプニングの中でも、連れの園原くんはずっと「ノルウェイの森」の松山ケンイチのモノマネをしておりました。


1月2日北京旅行最終日。
ユナイティッド航空で北京ー成田10;40の便。
これになんと乗り遅れてしまった。
搭乗口まで行き、本当に最後のとこまで行ったが駄目だった。
着いたのが10;40の少し前であったためである。
果たして帰れるのか。


〈原因〉
北京空港が広いのが誤算であった。
まず、第二ターミナルと第三ターミナルを最初に間違えていた(第三ターミナルは新しく大きいので迷ったらこっちに行けばよいと思う)。
第二ターミナルから無料のシャトルバスで第三ターミナルに向かった。
そのため窓口でチェックインしたのが、9;30と一時間と少し前くらい。
その後、食事をとり、残った元を使ってしまおうとお土産屋へ。
そうこうしているうちに25分前であることに気づき、慌てて搭乗口に向かう。
搭乗口に行くまでは自動のモノレールみたいなのに乗らなければならない。
その後、出国審査を済ませると、あっという間に10分前。
こりゃ本気でまずいとカートに乗り、搭乗口へ向かう。(ちなみにこのカートは無料だと思ったら一人当たり10元とられた)
やっとこさ搭乗口に着いたが、係員は「20分前には来いって書いてあるでしょ」的なことを怒っていた。
そして、乗れないことが判明した。
ちょうど同じ境遇らしきカップルもいた。


〈対応〉
とりあえず荷物を受け取ってくれみたいなことを言われた。
チケットに「D16対面」と書いて、そこで受け取れと言われた。
どうすればいいのか途方に暮れていたが、係員に連れられ、逆戻りすることに。
一度出国手続きをしてしまったので、少しややこしそうだった。
これはその係員にパスポートを渡し、われわれは待つだけでよかった。
D16対面、すなわちユナイテッド航空D16窓口の向かいの荷物管理所にいったが、荷物はまだないという(あと1時間半くらいかかると言われた気がしたが、一時間半後にはまだなかった)。
その後、ユナイテッド航空の受付で荷物の行方を聞いて、言葉がよくわからなくて不安になったり、
ユナイテッド航空オフィスに行ったり、いろいろ航空内を歩きまわった。


〈帰国まで〉
どうやら自己責任でも他のチケットは同じ航空会社の他の便に代えてもらえるようだ(ネット情報によっても無料できたとの報告がある。ただし、格安航空券は難しいらしい)。
しかし、今回は近い便が満席のようで替えがなかった。
そのため、AIR CHINAで新しく買うことをユナイテッド航空の受付の人間に勧められた。
そこで、AIR CHINAのカウンターに行き尋ねるとその時点から1時間半後くらいの北京ー成田13;25の便が取れるという。
一人当たり2607元かかるとのことだが、背に腹は代えられないので買った。
インドでは使えなかったJCBのクレジットカードだったが、なんとか使えた。
時間がないので、「すぐにチェックインしろ」と言われた。
しかし、一つ問題があった。
我々が乗り遅れたユナイテッド航空の便に荷物が一度積まれている。
それの行方がわからない(後で判明したことでは荷物はセキュリティ上の問題で下ろされていた)。
このまま成田に向かっても荷物はどうなるのか。
ユナイテッド航空のカウンターにいってそのことを聞いたほうがいいのか。
結果としては、そのまま搭乗口に向かった。
我々には時間がなく、またも乗り過ごしてはシャレにならないと判断したからだ。
実際、搭乗口に着いたの出発15分前くらいであり、ラストラストコールのランプが光っていた。


〈成田にて〉
日本語で窓口で事情を説明した。
ここからはスタッフは日本人。
言葉が通じるということもあってか、とても丁寧に対応してくださったように感じた。。
今回AIR CHINAの航空便で成田に来ているので、荷物を預けたユナイテッド航空ではなくAIR CHINAで手続きをするのだという。
当然、ユナイテッド航空の人も捜索に協力してくれるとのことではある。
AIR CHINAのカウンターで荷物の特徴や、住所、パスポート番号、電話番号、氏名を用紙に記入する。
その場でも成田の便に紛れてないか、捜索してくれた。
30分くらいかかったが見つからず、その場はそれで退散。
もしも今後見つかれば電話で教えてくれるという。
郵送料は都内であれば着払いで2千円くらいらしい。

(追記)
荷物は見つかった。
帰国から3日目にして荷物が実家に届いた。





2011年1月1日土曜日

北京旅行中




北京に来た。
とても寒い。手袋を忘れたが、とても手がかじかむ。動くのが億劫になる寒さで、底冷えしてしまう。一度室内に入ると外に出るのが辛い。外に出ると頭が働かなくなるくらいに寒い。口の周りも冷えてしまい、口がうまくまわらない。寒い地方の人がなまるのがよくわかった。あれは口をあまり動かさずに話す技術なのだ。

地下鉄はとても使いやすい。料金は一律二元で、自動車改札機でカードを買えばよい。日本と違い、何号線と番号制であり、初めての人間にとってもわかりやすい。物価は日本よりも安め。半額とはいかないまでもそのくらいは安い。一食あたり、二、三百円でおさまる。
人がまばらなのが意外であった。また、日本人も全く見かけない。

年越しは特に何もなかった。
バーで過ごした。




(2011/1/5追記)
この文は北京で書いたのだが、なぜかフォントが大きくなっている。
写真もうまくアップできなかった。
これ。
※手でほほを抑えているのは歯が痛いのではなく、川崎和男博士のモノマネをしているらしいです。