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2012年1月4日水曜日

小笠原旅行(4泊5日) 2011年12月29日−2012年1月3日

年末年始は小笠原に行って来た。
職場関連の友人2人と。

小笠原は東京から南に1000km。
距離的には東京から北海道、緯度的には沖縄と同じ。
空路はなく、船便しかない。 船便は「おがさわら丸」という船で、25時間半かかる。
「東洋のガラパゴス」と呼ばれ、固有種が多く、そんな感じで(←テキトー)2011年6月に世界自然遺産に登録された。
 

(おがさわら丸) 

1日目(12月29日)〜出発『おがさわら丸』〜

船は朝10時に出発。
なので9時に竹芝桟橋に集合しました。
船の名は「おがさわら丸」です。
席は一番安い「2等和室」。
とはいえ、11月7日予約するのに1時間近く電話してようやくつながった経緯があります。
料金は片道25,000円前後。
席というか与えられた場は、身を縮めて横になるのがやっとで、とはいえ足も曲げなければならないスペースしかありません。
そこで25時間半も過ごすのかと思うと、自然と「奴隷船かい」という言葉が口から出る状況でした。
後になって知るのですが、通は荷物だけそこにおいて、船の空きスペースに敷物を敷いてそこで過ごすことがわかりました。
当然ながら、私も寝る時は2等室にいて、起きているときは船内散策や、船の空きスペースでビールを飲んだりして過ごしました。
酔い止め薬は飲みませんでした。
行きはほとんど揺れなかったので、正直「なんとかなる。いける」と思っていました。
これが、帰りの船で痛い目を見ることになります。



2日目(12月30日)〜到着。父島。〜

予定通り、25時間半で父島の二見港に到着しました。
港では滞在先の宿の店主が、看板を持って迎えに来てくれていました。
車ですぐのところに宿はありました。
いわゆるペンションの作りで、我々の部屋は6畳一間。
3人にしては少し狭いが、繁忙期なので仕方がありません(ちなみに情報通によれば、GWと年末年始が最も混むのだということです)
その後、二見港近辺のメインストリート大村を散策。
昼食を食べて、小笠原名物のビーチサンダル・ギョサンを買いました。

午後はツアーに参加。
『戦跡ツアー』です。
小笠原は第2次世界大戦の舞台ともなっており、山には壕や砲台があります。
それを巡るツアーでしたが、ガイドのおじさんが怒鳴った事のほうが記憶に残っています。
我々3人の他に、もう2組参加者がいました。
1組だけ、予定の時間になっても現れず、最初はニコニコしていたガイドさんもだんだんイライラしていくのがわかりました。
迎えに行った場所にいないことがわかるとついにブチ切れました。
「そこを動くな!」
携帯にシャウトするやいなや、車は猛スピードで坂道をぶっちぎります。
私は島というのは、おだやかで、ゆるやかな「島時間」なるものが存在すると想像していましたが、予想を裏切られました。(ちなみに10月に伊豆大島に行きましたが、そこの料理屋は注文してから1時間してから料理が出てきたりしました。あと、一回目を聞きそびれてしまったらしく30分後にオーダーを聞いて来ました)
遅刻者達がこっぴとどく怒られたのはいうまでもありません。
「あー、遅れなくて良かった」
心底、そう思いました。

ツアー後、宿でひとっ風呂浴びることに。
と思ったら、シャワーが冷たいままです。
そうこうしているうちに、水すら出なくなってきました。
完全に止まるのではなく、ちょろちょろ出ていたので、それで何とかしました。
いやあ、前途多難です。


3日目(12月31日)〜ダイビング。カウントダウン。〜

小笠原は沖縄と同じ緯度にあるといえ、一応冬ですから、朝と夜はそこそこ冷えます。
昼間は半袖でも大丈夫ですが、風があると寒いです。
その寒さをダイレクトに感じたのが、このダイビングの時でした。
前日のガイドさんのブチ切れもあったので、ビビリがちな私達は8時半集合のところを8時過ぎには到着してしましました。
「早すぎるよー」といって、朝食の箸を止めてニコニコして出てきたのがダイビングのガイドさんでした。
怒られなさそうなので、とりあえずほっとしました。
私は高校の修学旅行で、沖縄でダイブ経験があります。
といっても全部忘れています。
でも、何とかなりました。
ネムリブカという、おとなしいサメも見ることができました。
ただ、水は冷たく、船に待機している時の寒いこと。
とにかく風が強いのです。
14時くらいに終わり、真っ先に宿の風呂に飛び込みました。
シャワーのお湯が出ました!
当たり前のことに喜びを感じる一幕でした。
ただ、お風呂は熱湯コマーシャル並の熱さというおまけ付きでした。

夜はカウントダウンイベントに参加。
島名物ラム酒や、カップそば、暖かいコーヒーなどが無料で配られていました。
年越しの瞬間には花火も盛大に打ち上げられていました。
そのまま、初詣に。
神社がありました。
おみくじは「吉」。
一緒に行った三人とも「吉」でした。
酒入りの甘酒に程良くよって、いい気分で宿に帰りました。


4日目(1月1日)〜NHK中継。ナイトツアー〜

朝から年明けイベントに参加。
NHKの中継がありました。
海岸に女優のとよた真帆さん、めちゃイケに出てるらしい敦士さんがおりました。
(注:正直、私も普段テレビを全く見ないので、最初は「アツシ」って誰だよ。とか思ったりしてしましました。でも、島にいるとあらゆるところで「誰あいつ?」みたいになってしまっていて、敦士さんがかわいそうになってきました。ごめんなさい、敦士さん。モデルやっているとだけあって、背が高くてかっこいいです。リンク貼っておきましょう。)
敦士さんのオフィシャルブログ 
wikipedeia

話がそれました。
最初のNHKの中継は海岸での「日本一早い海開き」というもの。
数年前の私なら絶対に参加していましたが、「濡れるの嫌だし、私はちょっと」という老化による消極的な姿勢により見学者に徹しました。
でも、ミーハーなので「テレビ映んねえかな」と密かに興奮してしまいました。
たぶん映ってません。
時間をおいて、続いての中継は「ウミガメの放流」です。
また「テレビ映んねんかな」と思いましたが、たぶん映ってません。
(NHK中継の様子)


夜はまたツアーに参加。
「ナイトツアー」というものです。
オガサワラオオコウモリという天然記念物やヤドカリを見に来ました。
夜になると緑色に光る「グリーンぺぺ」というキノコは寒いため見れませんでした。

あ、夜寝る前にバーに行って、「ウミガメの刺身」と「ウミガメの唐揚げ」を食べました。



4日目(1月2日)〜島最終日。ホエールウォッチングのはずが大しけ、でも南島上陸〜

朝からツアー。
朝食時にそのガイドさんから電話。
「海荒れてるけどどうする?」
「やめたほうがいい」ということなのかわかりませんが、とりあえず「行きます。よろしく」と答えておきました。

案の定、しけていました。
並に高さは3,4メーターとか。
潮が満ちているのと、風が突風のように強いので、晴れているとはいえ、大荒れの様相です。
私、個人的にはホエールウォッチングは一番楽しみにしていました。
ここでも他の2組と合同でのツアーでしたが、その中の一組はホエールウォッチングに「3度目の正直に期待」とおっしゃってました。
ただ、しけています。
船に乗るやいなや、誰も「ホエールウォッチング」を口にすることはありませんでした。

それでも、観光名所の南島に行きました。
この島は環境保護が徹底しており、ガイドさんと一緒でないと上陸はおろか島内でも行動ができません。
なかなかの景色でした。
(南島)

この南島から戻る時の船が本当に大変でした。

私は船の頭のほうにいたのですが、気を抜くと振り落とされそうになるくらい揺れます。
波はかぶるは、打ち付けられるはで、これが荒波の海か、と感心したものです。
ちなみにこの時のガイドさん(船長)、あとから聞いたのですが島一番の飛ばし屋とのこと。
どおりで「波たけえからゆっくりいくぞ」と言いながらスピードをあげていたものだと合点がいきました。

そして、午後2時に帰りの船が出発です。
もちろん「おがさわら丸」。
与えられた場所は狭いです。
ですので、階段脇のスペースを確保(実際に座れるのは出港後1時間くらいしてからです)。
ですが、まさか同じ場に24時間も寝続けることになるとは思ってもみませんでした。
揺れるは揺れる。
出港後すぐに、外に出れないように封鎖されました。
窓から覗くと、波を被りまくっています。
外に出たら危ない。
大型船とはいえ、大きく打ち付けられる。
この浮揚感が、船酔いをもたらしました。
揺れのせいもありますが、立っていられません。
次第に横になってないと気持ち悪くなってきます。
だんだん動けなくなってきます。
起きてると気持ち悪くなってきます。
あとはひたすら寝るしかありませんでした。
時折、打ち付けられる衝撃に目を覚ましながら。
24時間私は、食事もせず、トイレに立った2回以外はひたすら寝続けました。


5日目(1月3日)〜東京帰還。旅終了〜

大島が見えるあたりでは揺れは大分収まっていました。
そこでようやく身を起こし、座る姿勢をとれました。
ゴザを敷いているとはいえ、ほぼ床に寝たも同然。
体が痛みます。

やがて、船内アナウンスで、元の位置に戻れとの指令。
みな、引き上げていきます。
あとはぐだぐだ過ごしてたら無事竹芝桟橋につきました。

ちなみに前日の大しけの中のツアーのため、靴が濡れてしまったため、サンダルで家まで帰りました。

(おしまい)

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