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2012年8月14日火曜日

「猪瀬直樹 我が処女作を語る」18時30分~20時(於・日比谷図書館)

日本計画研究所主催・日比谷図書館文化館共催。
参加費3500円(『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』2冊代金含む)
http://hibiyal.jp/data/card.html?s=1&cno=1388


久しぶりに前のめりでメモを必死に取りながらの聴講。
大いに刺激された。

以下、メモ。
「天皇の影法師」は何度か文庫化されて廃刊となっては復活。
新潮文庫版のものでは解説を久世光彦が担当しているとのこと。
(あの向田邦子作品の演出家で私は大ファンだ)

平民宰相と呼ばれた原敬。
藩閥政治を脱し、「政党内閣」を樹立。
しかし、暗殺された。
そこから20年ほど、内閣は短命政権が続く。
現在も小泉内閣を除いては約一年ごとに変わる短命政権。
戦前と現在の類似性。

「単線路線のエリート」、これは原発問題の国会事故調査委員会報告書の文言(実はこれは委員長の黒川清氏の個人の言葉)。
戦争も今もこの問題が全てである。
官僚制はすなわち「秀才」が一番。テストの「点数」が一番。
秀才は意思決定をしない。
トーナメント型の出世構造が、天下りを有む。
すなわちとこぼれ落ちる人間のためのポストを用意することになり、それが天下りを生む。
官僚制の増殖期は戦前でいえば原敬以降であり、戦後は1960年〜70年にあたる。
戦前は軍部がその典型。
戦後は特殊法人。
特殊法人は虎ノ門にある。
日本の権力構造は霞が関、永田町、そして虎ノ門で成り立っている。

作家は「なぜどうして」という塊。
猪瀬さんもそうだし、石原都知事もそうである。
好奇心に年齢は関係ない。

役所は昨日の世界で動いている(昨日決めたことで動く)。
その打破のためには「プロジェクトをつくる」という発想が重要。
縦割りに横串を指す。
ないところから作るのが作家である。

戦争反対、原発反対、というだけでは意味が無い。
「なにが原因か」(軍隊を制御できなかった、原発のゴミをどうするか)という発想から入り、事実と向き合うことが大切。

昭和16年夏の敗戦

猪瀬直樹
中公文庫

再読。

2012年8月9日木曜日

世界で勝負する仕事術

竹内健
幻冬社新書

著者は元東芝マンで、フラッシュメモリの開発に携わる。
東大を経て、現中大理工学部教授。

2012年8月7日火曜日

4年前

ロンドンオリンピック。 
テレビでやっているとついみてしまう。
始まる前は全く興味はなかったものの、鍛えぬかれた肉体を持った人間が全力を注ぐ姿を観ることはやはり興味深い。

4年ごとに開催されるオリンピック。
4年という歳月は人を大きく変える。
私にとってもこの4年の変化は大きい。 

4年前。 北京オリンピックがテレビから流れていた。
私は神奈川から伊勢神宮へ自転車で向かっていた。
友人と二人で。
道中で立ち寄るスーパー銭湯や飲食店で北京オリンピックを見ていた。 

自転車といってもママチャリ。
神奈川から伊勢神宮まで距離にして400キロ。
真夏の日差しは強い。
2日目には肌が赤くなり、熱を持つようになった。
サドルも尻に食い込み、たまに立ち漕ぎをしなければならないくらいに痛んだ。
6日かけて伊勢神宮までたどり着いた。 



4年前。
私はとある出版社の最終面接まで進み、社長から「何か面白いこと話して」と言われ、思いっきりすべった(で、どこが面白いの?って返された)。
もちろん、落ちた。
これが最後の持ち駒だった。
先はなかった。
大学に残ったまま就職活動を行う就職浪人とも違い、私は大学はその春に既に卒業しており、身分は何もない。
お先真っ暗であった。 

自分が何をしたいのかもわからなかったし、就職における志望動機というのも、型にハマったものであって、どこか自分で自分に嘘をついている気がした。
しかし、これが大人になることだ、と思い込むことにしたが、どこか気持ちが入らない。
 とにかく本を読んで、時間をつぶしていた。
そうすると、今度は頭でっかちになってしまい「働くことはなにか」「なぜ生きるのか」「社会とはなにか」みたいなめんどくさいことばかり考えてしまうという悪循環。
「こりゃ、あかん。一区切りつけるためにも、肉体を酷使して考えないようにするぞ、しかもできるだけ遠くに行くぞ。」
ということで、思い立ったのが自転車でのお伊勢参りであった。
一人だと必ず挫折するので、友人を巻き込むことにした。 

そうして始まったお伊勢参りだが(出発は友人宅がある神奈川大和市)、 道中、何度も心が折れた。
友人(ゆうじ、という。以下、ゆうじ)が常に前を行き、私がそれについていくスタイル。 
私は尊敬する長渕剛「勇次」を歌い、自分を鼓舞し、ゆうじを励ますことで、ペダルを漕ぎ続けた。
海援隊の「♪ペダルを漕いで〜」というメロディが無限ループで頭の中で再生されていたのは秘密だ) 



最初の関門は箱根の山。
ここでは自転車から降りて、押し続けた。
静岡は長かった。
宿はない、野宿。
蚊取り線香をたいて寝た。
頭の近くでたいたので、けっこうむせた。

日に日に進む距離も伸びていき、名古屋に着く頃には一日100キロ走った。 
伊勢神宮に着いたのは6日目。
とりあえずほっとした。 

あれから4年。 状況は大きく変化したけれども、根本的なところはあまり大きく変わっていない。
確かなのは、もう二度と伊勢まではママチャリで行くもんか、という教訓ができたことだ。






【参考】ゆうじ


天皇の影法師

猪瀬直樹
朝日文庫