ページ

2012年12月29日土曜日

2012年の総括

2日連続で終電を逃す。
家に帰ったらTSUTAYAへの返却期限を過ぎていたことに気づく今日このごろ。
ちなみに年始は友人(園原くん)とLAに旅行する。(1/1-7)


さて、2012年の総括。


大学時代の友人、園原くんとここ数年では一番会った。(ちなみに今日も会った)
8月にうなぎを食べながら、猪瀬直樹「ミカドの肖像」に出てくるデュオミカド、ミカドゲームについて、熱く語り合ったのがハイライト。
11月の富士山マラソンで負けたのが悔しい。
28歳の誕生日を迎えて、「いつも言ってますが今年こそは結婚します」と宣言していたが、まだ結婚はしないで欲しい。(老婆心ながら、クルマの借金を返してからにしてからがいいと思う)
あと、いつも合コン用に仕入れたと思しき知識を得意げに披露するのはやめて欲しい。

フルマラソンは2回出場。
2回とも4時間20分。
2011年東京マラソンの5時間18分からはタイムが大幅に縮まった。
ただ、どちらも歩いてしまったことが残念。

PCは計3台購入。
うち、ノートはMacBook Airを1月と8月に購入(メモリ4GB→8GBとハイスペックなものに更新した)。
映像編集に興味を持ち、何本か編集した。
編集用にPC(Mac mini)を購入。
映像編集について、とても興味をもっているが、まだまだ技術が足りない。
場数を踏んで、外に出せるようなドキュメンタリーを作りたい。

登山はほぼ毎月どこかへ。
毎回、カメラを片手に。
8月には八ヶ岳を訪問。
人生で初めて山小屋に泊まる。


以下、気になったもの。

【本】
①「世界が土曜の夜の夢なら~ヤンキーと精神分析」斎藤環
②「一般意思2.0」東浩紀

【映画】
①「アウトレイジ ビヨンド」北野武
2回観た。
観て以来ずっとアウトレイジごっこにハマっている。
北野映画はすごい、の一言。
初期から比べると物語性があって、かつセリフ量も膨大に。
有名俳優を起用していながら、物語としても面白い。
常に挑戦し続ける男、北野武。

②「演劇Ⅰ」「演劇Ⅱ」想田和弘
両方で6時間弱の大作。
ただし、全く飽きなかった。
ドキュメンタリーがこれほどまでに面白いと気づいたのはこの作品のおかげ。
中身的には演劇の稽古風景がたくさんあって、普段はなかなか表に出るものではないのでそれが興味深かった。
平田オリザの演出技術、哲学に感銘を受ける。

【音楽】
①「Marionette」BOOWY
②「BE MY BABY」COMPLEX
③「狩りから稲作へ」レキシ
旅行中に聴いていて、ハマった。

④「ワニとシャンプー」もも色クローバーZ
赤い人が好き。
ももクロは他の曲も好き。

【旅行】
①小笠原旅行
年末年始。
船で25時間半かかった。
帰りは海が荒れていてもっとかかってグロッキーになってずっと寝ていた。
小笠原では南島を小舟で訪問したが、大時化。
しがみついてないと海に落とされそうになる。
死ぬかと思った。

②徳島旅行
上勝町、美波町
(10月12日ー14日)
園原くんが面白かった。

【人物】
①樋渡啓祐(佐賀県市長)
実際に会ったわけではないが、取り組みにとても注目。
HPのFacebook化、図書館のTSUTAYAへの委託。

②そんしさん
大学の先輩。
現在はアフリカのブルキナファソという国にいらっしゃる。
帰国した時に「飲みにいこ」と声をかけてくださり、大変光栄。

③松村邦洋
歴史上の人物などをモノマネしながらやるオールナイトニッポンのネタが抜群に面白い。
もっと世間的にも評価されてもいいと思います。

【クルマ】
audi TT
園原くんが購入。
6月に買って、9月に売る(そして、借金だけが残った[らしい])。
売る直前に新潟まで旅行(妻有トリエンナーレ)。
高速道路での運転時の安定感に驚くばかり。


以下、月ごとに整理。

1月
MacBook Air11inch購入。

2月
夕張訪問。
飛行機が遅れたため、羽田からタクシーで自宅まで帰る。
3万7千円くらい。
次の日は何食わぬ顔で出勤。

3月
仕事が結構忙しかった(9月くらいまで続く)。
京都マラソン出場。
4時間20分。

4月
職場で後輩が2人出来た。

5月
宮城県山元町訪問。
被災地に初めて足を踏み入れる。

6月
特になし。

7月
40万のカメラを買う(CANON EOS 5D Mark III )
夕張訪問、本年2回目。

8月
園原くんが3万円返してくれた。
MacBook Air11inchを買い換える。
八ヶ岳登山。

9月
妻有トリエンナーレ@新潟

10月
徳島上勝町、美波町訪問。
旅中に28歳になる。

11月
富士山マラソン出場。
4時間20分。

12月
平田オリザの演劇を初めて観る。
Mac mini購入。

2012年12月24日月曜日

サンタクロース会議 アダルト編

青年団
@駒場アゴラ劇場。

初平田オリザ先生。
60分の長さもちょうど良く、とても面白かった。
だけど、サンタはいる!と思います。

いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校

ロロ。
@新宿眼科画廊

若い演劇集団ロロ。

自治体クライシス 赤字第三セクターとの闘い

伯野卓彦
講談社

NHK「クローズアップ現代」の放映の際の取材から生まれた本。
「第三セクター」という堅実なテーマだが非常に読み応えがあった。
やっぱりNHKの仕事、取材力は興味深い。

無知であること、数字に弱いこと、時代の雰囲気に流されることはとても怖いと思った。
とっつきづらいからこそ、早めにこの財政分野を勉強しておきたい。
そして、大局観を持てるようになりたい。

備忘メモ。
北海道赤平市
北海道芦別市
青森県大鰐市

地方自治体財政健全化法
(1実質赤字比率、2連結実質赤字比率、3実質公債費比率、4将来負担比率の4つの指標)

私が官僚一年目で知っておきたかったこと

久保田敬
かんき出版

陸前高田市副市長
前内閣府参事官補佐

やらなきゃゼロ!

鈴木直道
岩波ジュニア新書

2012年11月30日金曜日

血液型の性格判断について

毎日ブログ書く宣言をした翌日から休んでしまいました。

ジブリ、ディズニーと世間が好きなものとなかなか肌が合わない私であるが、特に困ってしまうのは血液型性格判断です。

みんな好きですよね。
嫌いな人に会ったことがありません。
どうなのかね、なんて人もそんなこといいながら結構好きな人が多いのではないでしょうか。
みんなお詳しいですよね。
何であんなに知ってるんでしょう。

実は私の母親もこの血液型性格信者で、子供の頃吹きこまれました。
「O型はおおざっぱだけれども、誰とも仲良くなれる」
「A型は神経質。細かい」
「B型は変わっている人が多い」
「AB型はA型とB型を足して、2で割ったような人」

今だと気づいてしまうのですが、さりげなく母親自身の血液型のO型が一番よい表現になってます。

あと、今も昔もなのですが、AB型のAとBが一緒になってるのがよくわかりません。
何でそこだけブレンドがあるのでしょうか。
だったらAO型もあってもいいのではないですか。
また、AB型はAとBの両方を兼ねるとかいいますが、混ぜたら別物になったりしないのでしょうか。
全然イメージできません。
いっそのことC型にしていただけないでしょうか。

あと世の中(日本では)、A型が多すぎませんか。
全然統一感、共通性がないんですけど。
血液型当てるときも、とりあえず「A型でしょ」って言っておけば、結構当たっちゃうではないですか。
「意外とA型でしょ?」
「そうなの、実は細かかったりして」
みたいな会話を何度聞いたことか。
全然「意外」ではないです。

ゴリラはB型しかいないって聞きましたが、本当ですか?
本当だったらA型の人はゴリラと仲悪いのですかね。
よくいいますよね、A型とB型は反りが合わないって。
ゴリラ研究で有名な京都大学の山極教授はその点、大丈夫なのですかね?
ゴリラと会話したりしてそうだから、もしやB型?


調べたことはありませんが、血液型性格判断の話が通じるのは日本と韓国だけみたいなことを聞いたことあります。
アメリカ行くと星座の性格判断とかみたいです。
天秤座だからどうのこうとか。
全然説得力ないですよね。


おわりに。
血液型性格判断の中身には興味は全くありませんが、なぜ人が血液型性格判断を信じるか、影響を受けるのかにはとても関心があります。
結局みんな自分のことがわからないのだと思います。
よりどころが欲しいのではないでしょうか。
ロールモデルとしての血液型性格。
自分に割り当てられることで、自然とその性格を演じるようになって、嘘が誠になる。
なんかその手のことを分析した本が読みたいです。
斎藤環氏とか書いていないでしょうか。

2012年11月27日火曜日

二人静


盛田隆二
光文社文庫


 初めて読む種類の小説だった。大筋では恋愛小説なのであろうが、介護やDVといった現代社会が抱える問題を詳細に描かれることで、甘ったるさはない。しかし、だからこそ、というべきか。自分がもしもその立場であったならば、という身につまされる思いにさせられる。誤解を恐れずにあえていえば、主人公の町田周吾と乾あかりを始めとしてどの人物も地味である。しかしながら、その「地味さ」こそが日常の究極のディティールなのではないか。退屈さと厄介さを兼ね備えた日常の諧調性。私もそうした日常に生きているからこそ、盛田氏の描く人物にも感情移入してしまうのであろう。
 また、人間は感情の生き物である。単調な日常でありながら、複雑に心は動く。しかし、盛田氏の目は顕微鏡のようである。心のひだを観察し、その動きまで描きだすほどに。

 日常は平和である。とはいえ、誰しも多かれ少なかれ悩みは抱えているものである。しかし、他人からみれば大したことはないのがまた常である。他人の悩みなんて、景色に過ぎないのである。

 盛田氏の小説の凄さとは、登場人物に人生を語らせるところである。それはまるでその本人になって記憶を呼び起こすように、時にははっきりと、時にはあいまいに、その人にとっての傷の存在を否が応にも感じさせるようにして語られる。「二人静」ではその点が周吾の父親はっきりと現れていて大変興味深かった。

 ストーリー展開も600ページを超える大作でありながら、片時も飽きることのない内容となっている。周吾とあかりに次々と振りかかる困難。それを格好良く乗り越えるのではなく、むしろ無様なままそのままに受け入れていくようにして物語は展開していく。その蓄積こそまさに我々の生きる日常そのものである。何かが起きても受け入れて慣らしていくしかない。

 ふと私自身についても考える。周吾が抱えることになった親の介護の問題だって、いつ自分の身に降りかかるかはわからない。しかし、その時に自分に何かできるかといえばいきなりできるわけではない。今から何かするかといえばするわけでもない。でも、もしも自分が介護をすることになったらどうするか。まずは自分でやるしかないのだろう。無様なままに。そのままに。

 今日も盛田氏の描く人物はこの日本のどこかで、息をして、日常生活を送っている。風景ではなく、傷を負ったひとりの人間として。そう思えてならない。そんな盛田氏の小説に拍手を送りたい。

Facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツにせまる男

映画「ソーシャルネットワーク」の原作

走ることについて語るとか恥かしいから、語らないで、でも歩くことについては語ってみようか。いやいや、寒い日が続きますね。

続く限り、毎日ブログを更新しようと思います。
ブロガーになります。


私の平日ですが、朝は5時に起床、6時前に家を出て、7時には新宿到着。
始業時間までカフェで1時間ほど朝活をするという極めて健康的な生活をしてます。
2年半以上そんな生活が続いてます。
飲んだ次の日もです。

こんな自分になるとは、学生時代の自分では考えられないことです。
特に大学生のときはよく寝ました。
友人宅では特によく寝ました。
大学生は赤ん坊の次によく寝る、とは森見登美彦の言葉ですが、全くそのとおりの生活をしていました。

ジョギングをするようになり、マラソンを走るようになったのも、学生時代にほとんど運動してないことが大きいです。
特に長距離とかは大っ嫌いでした。

つまりは今の自分はそれまでの人生の反動によるところが大きいのです。
昔の自分を思い出すと赤面してしまいます。
だからこそ、それを思い出さないようにするために反対のことをしているのだと思います。

ミーハーで恐縮なのですが、最近、といってもおとといからですが「ももいろクローバーZ」にハマっています。(特に赤の静岡出身の人が好きです)。
「ワニとシャンプー」って曲があります。
「終わらない終わらない全然終わらない。8月最終日の宿題 。適当にやらなきゃしょうがない。適当にやってもしょうがない」というような、要は夏休みが終わるというのに宿題が終わらないという曲です。
聞いていて、ふと思い出しまいました。
よくこの手のことはネタにもなったりするのでしょうが、私はあまり共感できません。
なぜなら、夏休みの宿題が終わらなくても全然焦っていなかったからです。
危機感を感じませんでした。
自分に正直すぎました。
よく怒られてました。
でも悪いとは思ってませんでした。
世間との距離感をうまくつかめていないガキでした。

大人になってからは時間や期限には厳しくなってます。
理由はたぶんこれです。
こういうのを成長というのでしょうか。
言わないと思います。

走ることについて語る時に僕の語ること。第一回富士山マラソン篇。

久しぶりに勢いだけで書く。


昨日(11月25日)、河口湖を会場とした「第一回富士山マラソン」に参加してきた。
「第一回」とあるが、元々も河口湖マラソンというマラソン大会があって、それがパワーアップして富士山マラソンとして出なおしたとのこと。
ちなみに私は今回で3回目のフルマラソン挑戦である。
東京マラソン、京都マラソンと挑戦してきた。

去年はその「河口湖マラソン」にエントリーしたものの、宿がとれず車内泊をしたこともあって、寒くて、やる気をなくし、そのまま温泉入って帰ってしまった。
今年はその反省も活かして、宿で泊まった。
しかしながら、宿をとれたのは忍野八海で有名な忍野のほうでちょっと離れているところである。

朝は5時に起床。
朝の気温はマイナス3度とかで、朝車のフロントガラスが凍っていた。
ちょっと心が折れた。
宿の人にお湯をかけてもらい氷を解かす。
会場へ向かう。
しかしながら、このパワーアップした今大会では、人を集めすぎて、大渋滞が発生していた。
まあ、間に合わなかったらそれを言い訳にして温泉に向かおう、と思っていたが、スタート直前15分くらい前に会場につき、荷物預けも何とか済ませると、息つく暇もなくスタート5分くらい前に。
あっという間にスタート。
8時15分である。
ゲストとして来ていた有森裕子のテンションの高さに驚く。
女松岡修造みたいになっていた。

そこからは淡々と走る。
走っている最中に思ったこと。
「・・・」
「富士山綺麗だな」
「紅葉がきれい。カメラ持ってくればよかった」
「走ってても寒い」
「(たまに立ち止まって撮影しているランナーに対して)すごいな」
「(ロッキーのテーマが頭の中で流れて)エイドリアーン!」
「つらいとは思わない」

15キロを過ぎたあたりから、足がちょこっと重くなる。
たぶん気のせいだ、と思い込むことにして、走り続ける。
17キロあたりから足の重みがやっぱり本当だと気づいてしまう。
つらくないもんね、とペースをキープする。(キロ5分10秒くらい。ちなみに走っている最中には時計は全く見ない)
20キロすぎたあたりから給水所で水を飲むふりをしてちょいちょい歩き始める。

(中略)

30キロを過ぎると、もうどこで歩いてやろうかな、くらいしか考えなくなる。
「なんで、走ってんだ」
「頑張らなくてもいいじゃないか」
「誰もどうせわからないんだし」
といって、「まあいいや」歩きだす。
あんまり歩くと足が余計に重くなるのですぐに走るようにするが、もう足の重さが変わっている。
そうして34キロあたりからはやたらと歩いてしまう。
1キロ走って、ちょっと歩こうとか思っているけども、1キロも走らずにすぐ歩く。

(中略)

そうしてゴール。
4時間20分54秒でした。

2012年11月19日月曜日

2012年10月18日木曜日

2012年10月11日木曜日

生涯現役社会のつくり方

横石知二
ソフトバンク新書


徳島県上勝町のお話。
地域振興は目的ではなく結果。やりたいことをやった結果が知識振興になったりする

2012年10月8日月曜日

伊豆ヶ岳(10/8)

8:30  西武秩父線正丸駅集合
正丸駅→馬頭観音堂→伊豆ヶ岳→古御岳→高畑山→天目指峠→子ノ権現→滝不動→吾野駅

トータル
11.8km
5時間30分

開始日時:2012-10-08 08:58:48
終了日時:2012-10-08 19:24:31

政治の修羅場

鈴木宗男

日本の現代政治しにおける人間関係の描写が生々しく抜群に面白い。
政治ってのは何も永田町だけでなく、会社や学校、PTAとか公園のママ友とか、人間関係があるところではどこにでも存在する。

政治力っていうのは落とし所の付け方とか、人間関係における影響力を指すのではないかと思う。
誰でも関係あること。


この本を読んでいる時にちょうどヤクザの権力闘争映画「アウトレイジ ビヨンド」を見たが、まさに政治だった。
機微を汲み取れるかが勝負。
感性の頭脳ゲーム。
どちらでも重視されるのは仁義とカネ。

2012年10月7日日曜日

アウトレイジ ビヨンド

北野武監督
@立川シネマシティ

北野作品の初期の頃と比べるとかなりの台詞の量の多さ。
展開もスピーディでジェットコースターのよう。
面白かった。

2012年9月24日月曜日

2012年9月7日金曜日

世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析

斎藤環
角川書店


以下、雑感。
ネットで知って、気になって読んでみた。
新刊本でしかもハードカバーの本を買うのは自分にとっては珍しい。
その期待を裏切らないとても面白い本であった。
個人的には山本七平「日本人とユダヤ人」、阿部謹也「世間とは何か」、猪瀬直樹「ミカドの肖像」と並んで、日本人の思想を理解する上で手がかりになる本だと思った。

日本人に宿る、ヤンキー性。
結局、ヤンキー性という言葉については定義されないのだが、それこそがヤンキー性の特徴であったりもする。
学生時代の何気ない日常の風景、現象においてもヤンキー性を通して考えてみると、「ああ、なるほど」となる。
帯にもあるが、「やんちゃやってるけど、ガチで気合入っててハンパなく筋が通ってる」というのが、ヤンキー性の哲学。
ヤンキー先生とかEXILEとか白須次郎とかはたまた古事記に出てくるスサノヲとかを例にあてはめて分析。

よくある典型話の「昔、悪やってましたが、今は更生してます。世の中はクソッタレだけど、家族とか大切にしてガチで熱くアゲアゲで生きていこーぜ!」にもヤンキー性を見る。

僕は長渕剛が好きなのだが、本書では言及がなかった。
清原も出てこなかった。
斎藤環はどう分析するのだろう。
「アニキ」ってのも一つのヤンキー性のキーワードだと思う。
このことについて文庫化した時とか加筆されていたらいいな。

2012年8月14日火曜日

「猪瀬直樹 我が処女作を語る」18時30分~20時(於・日比谷図書館)

日本計画研究所主催・日比谷図書館文化館共催。
参加費3500円(『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』2冊代金含む)
http://hibiyal.jp/data/card.html?s=1&cno=1388


久しぶりに前のめりでメモを必死に取りながらの聴講。
大いに刺激された。

以下、メモ。
「天皇の影法師」は何度か文庫化されて廃刊となっては復活。
新潮文庫版のものでは解説を久世光彦が担当しているとのこと。
(あの向田邦子作品の演出家で私は大ファンだ)

平民宰相と呼ばれた原敬。
藩閥政治を脱し、「政党内閣」を樹立。
しかし、暗殺された。
そこから20年ほど、内閣は短命政権が続く。
現在も小泉内閣を除いては約一年ごとに変わる短命政権。
戦前と現在の類似性。

「単線路線のエリート」、これは原発問題の国会事故調査委員会報告書の文言(実はこれは委員長の黒川清氏の個人の言葉)。
戦争も今もこの問題が全てである。
官僚制はすなわち「秀才」が一番。テストの「点数」が一番。
秀才は意思決定をしない。
トーナメント型の出世構造が、天下りを有む。
すなわちとこぼれ落ちる人間のためのポストを用意することになり、それが天下りを生む。
官僚制の増殖期は戦前でいえば原敬以降であり、戦後は1960年〜70年にあたる。
戦前は軍部がその典型。
戦後は特殊法人。
特殊法人は虎ノ門にある。
日本の権力構造は霞が関、永田町、そして虎ノ門で成り立っている。

作家は「なぜどうして」という塊。
猪瀬さんもそうだし、石原都知事もそうである。
好奇心に年齢は関係ない。

役所は昨日の世界で動いている(昨日決めたことで動く)。
その打破のためには「プロジェクトをつくる」という発想が重要。
縦割りに横串を指す。
ないところから作るのが作家である。

戦争反対、原発反対、というだけでは意味が無い。
「なにが原因か」(軍隊を制御できなかった、原発のゴミをどうするか)という発想から入り、事実と向き合うことが大切。

昭和16年夏の敗戦

猪瀬直樹
中公文庫

再読。

2012年8月9日木曜日

世界で勝負する仕事術

竹内健
幻冬社新書

著者は元東芝マンで、フラッシュメモリの開発に携わる。
東大を経て、現中大理工学部教授。

2012年8月7日火曜日

4年前

ロンドンオリンピック。 
テレビでやっているとついみてしまう。
始まる前は全く興味はなかったものの、鍛えぬかれた肉体を持った人間が全力を注ぐ姿を観ることはやはり興味深い。

4年ごとに開催されるオリンピック。
4年という歳月は人を大きく変える。
私にとってもこの4年の変化は大きい。 

4年前。 北京オリンピックがテレビから流れていた。
私は神奈川から伊勢神宮へ自転車で向かっていた。
友人と二人で。
道中で立ち寄るスーパー銭湯や飲食店で北京オリンピックを見ていた。 

自転車といってもママチャリ。
神奈川から伊勢神宮まで距離にして400キロ。
真夏の日差しは強い。
2日目には肌が赤くなり、熱を持つようになった。
サドルも尻に食い込み、たまに立ち漕ぎをしなければならないくらいに痛んだ。
6日かけて伊勢神宮までたどり着いた。 



4年前。
私はとある出版社の最終面接まで進み、社長から「何か面白いこと話して」と言われ、思いっきりすべった(で、どこが面白いの?って返された)。
もちろん、落ちた。
これが最後の持ち駒だった。
先はなかった。
大学に残ったまま就職活動を行う就職浪人とも違い、私は大学はその春に既に卒業しており、身分は何もない。
お先真っ暗であった。 

自分が何をしたいのかもわからなかったし、就職における志望動機というのも、型にハマったものであって、どこか自分で自分に嘘をついている気がした。
しかし、これが大人になることだ、と思い込むことにしたが、どこか気持ちが入らない。
 とにかく本を読んで、時間をつぶしていた。
そうすると、今度は頭でっかちになってしまい「働くことはなにか」「なぜ生きるのか」「社会とはなにか」みたいなめんどくさいことばかり考えてしまうという悪循環。
「こりゃ、あかん。一区切りつけるためにも、肉体を酷使して考えないようにするぞ、しかもできるだけ遠くに行くぞ。」
ということで、思い立ったのが自転車でのお伊勢参りであった。
一人だと必ず挫折するので、友人を巻き込むことにした。 

そうして始まったお伊勢参りだが(出発は友人宅がある神奈川大和市)、 道中、何度も心が折れた。
友人(ゆうじ、という。以下、ゆうじ)が常に前を行き、私がそれについていくスタイル。 
私は尊敬する長渕剛「勇次」を歌い、自分を鼓舞し、ゆうじを励ますことで、ペダルを漕ぎ続けた。
海援隊の「♪ペダルを漕いで〜」というメロディが無限ループで頭の中で再生されていたのは秘密だ) 



最初の関門は箱根の山。
ここでは自転車から降りて、押し続けた。
静岡は長かった。
宿はない、野宿。
蚊取り線香をたいて寝た。
頭の近くでたいたので、けっこうむせた。

日に日に進む距離も伸びていき、名古屋に着く頃には一日100キロ走った。 
伊勢神宮に着いたのは6日目。
とりあえずほっとした。 

あれから4年。 状況は大きく変化したけれども、根本的なところはあまり大きく変わっていない。
確かなのは、もう二度と伊勢まではママチャリで行くもんか、という教訓ができたことだ。






【参考】ゆうじ


天皇の影法師

猪瀬直樹
朝日文庫

2012年7月23日月曜日

四度目の夕張訪問

先週末(7/20-22)、二泊三日で北海道夕張市を訪問した。
11人の仲間とともに。
財政破綻をした、あの夕張に、である。

仕事(研修)がきっかけで、夕張とは縁ができたわけだが、自腹を切った訪問は今回で三回目。
「どこかでメロン狩りできませんか?」と素朴に相談した相手が、なかなかの世話人であって、トントン拍子で農協とつないでくれたり、現地での交流に一役も二役も買ってくれて、こっちもついつい訪問する流れとなっている。

今回も交流の場があって、ジンギスカンパーティとして、バーベキュー風に行われた。
集まったのは30人くらい。
「何もない夕張になぜ、そんなにくるんですか?」との地元人の素朴な疑問には酔っ払った勢いもあったが、間髪入れずに「人に会うため」と即答した。

私はひねくれものなので、いわゆる観光は好きではない。
旅は好きだが、旅行は好きではない。
用意されている感動や妙に洗練された観光コースとかは大嫌い。
不便だったり、選択肢があまりないほうが性にあっている。

元々東京都にしか血縁、地縁がない私にとって、夕張は始めて地方で地縁のある街となった。
たまにだけれども、その土地に行けばその人がいて、東京にはないものがあって、むこうも自分たちにはないものを私やその仲間たちに感じてくれて、それを喜んでくれる。

うまく言い表すのは難しいが、安心感のある非日常とでもいうべきか。
夕張にいると、普段は感じない心地よさがある。
単なる旅行でもなく、観光でもなく、研修でもない。
一応、毎回何らかのボランティアを取り入れているので「自主研修」という形をとって訪問している。
今回は草刈りをボランティアとしてやった。
(この草刈りについて、何となく鎌もってヨイショヨイショと草を刈る姿を予想していたが、さにあらず。機会使って、バシバシガンガン草をなぎ倒し、はねっかえる草や草汁まみれになるとはつゆしらず。これぞカルチャーショックである。後遺症か、ボーボーに生えた草をみるとつい刈りたくなってしまう。)
あとは、夕張岳というそこそこキツい山に登山をしたり。

まだ帰ってきたばかりだが、次は何をしにいこうかな、とぼんやりと考えている。

2012年6月23日土曜日

案外、買い物好き

村上龍
幻冬社文庫

イタリア人はみんな青のシャツを着ているという気づきから、シャツのフリークスになる。

記者クラブ崩壊

上杉隆
小学館101新書

2012年6月16日土曜日

一般論とコンメンテーターについて

他人にいわれて間違ってはないのだけれども、つい反発してしまうことはないだろうか。
私はある。
「自分でわかっていることをダメだしされる」もしくは「自分の立場を差し置いて一般論を平然といわれる」時である。

前者の方は、反発するにしても、
「悔しいですけれどもその通りなんです。でもまだその事実を自分の中でも消化しきれてなくて。」的な後ろめたさを内蔵した反発であって、勢い引くに引けなくなってしまった場の悪さがある。

後者は誰も反対できないことで正論であったりするから、いわれると困ってしまう。
一般論ってのは正しい。
「わかっちゃいるけど、やめられない」というフレーズがあるけれども「わかってはいる」のである。
ただ、「できない」し、「できなかった」のである。
それは様々な要因なり原因がある。
そういったことを差し置いて、自分は関係ありませんがあなたのために一応忠告しておきますよ、みたいな立場からの発言。
一言でいえば、おせっかいみたいなもんですが、こちらが苦々しく思ってることに相手があまりに無頓着だと、
ケロッグコーンフレーク的にいえば「もう我慢できない!!」となり、私は思わずガオーってなります。


テレビでは「コメンテーター」って方がよくいらっしゃいますが、この方々がまたよく一般論をおっしゃられること。
扱うネタは様々で、明らかにわからねえだろということにも次々とコメントを残しています。
「まったく世の中、どうしちゃったんでしょうかね。」
「政治家には国民のことをもっと考えてもらいたいですね」
「戦争のない世の中にはならないのですかね」
わからないことはわからないというべきです。
興味がないなら興味がないというべきです。
決まり文句をいっても相手には何も伝わらないことを知るべきです。


さて、だんだんと、この文章も一般論めいてきましたので終了します。

2012年6月14日木曜日

テレビと私

テレビは麻薬である。
そう感じるようになってから意識的に距離を置いている。
だが、私は高校生くらいまでは中毒者だった。
テレビゲームも中学生をピークに時間を忘れてのめり込んだものだ。
以下、雑感。
ひとりごと。

好きだったテレビ番組について書く。

「電波少年」
日本テレビ。
やっぱり面白かった。
ヒッチハイク系の旅モノはもちろん、なすびの懸賞生活とか坂元ちゃんと東大を目指す勉強モノも好きだった。
放送時間は毎週日曜夜10時半あたりと記憶している。
次の日から学校だけども、休みに浸かってしまってからだが適応でなそうな不安を感じながら観る、っていう感じか思い出される。

「ワレワレハ地球人だ」
フジテレビ。
スネークハンターという企画が大好きだった。
謎のイギリス人作家フィリップと巨大蛇を追う冒険。
取材班のディレクター木伏と険悪でいつも喧嘩してるのが面白かった。

「ジャスト」
TBS。
中3で、推薦でさっさと高校決めて家で暇している時によく観ていた。午後二時からの昼上がりのワイドショー枠。
「亭主改造計画」という企画が好きでした。

「三年B組金八先生」
健次郎(風間くん)〜鶴本直(上戸彩)あたりが、自分も中学生で年齢が近くて、ハマっていた。
でもやっぱり健次郎だ。
お兄ちゃん、お兄ちゃん。


「晴れたらイイね!」
フジテレビ。
日曜日の朝の小旅行チックな番組。
キンカンのCMが印象に残ってる。
フジテレビのアナウンサーが毎回出演。
アウトドア系とかの企画が特に好きだった。
突然、終了したので、あっけにとられた。
通常の番組内で最後にさらりとアナウンスされて終わった。
数年は続いていた番組なのにな。

2012年6月13日水曜日

スロージョギングで人生が変わる

田中宏暁

「当事者」の時代

佐々木俊尚
光文社新書


なかなか読み応えのある本だった。
元毎日新聞記者で、現在はネット関係に強いジャーナリストの著者。
ずっとマスコミに抱いた違和感の正体がおぼろげながら見えた気がした。

以下、雑感。

今のマスコミを考える時にいつも浮かぶのが、「サンデージャポン」というT番組。
バラエティ要素たっぷりのニュース番組だ。

この「サンデージャポン」はTBS系列の番組である。
TBSといえば、オウムにビデオを提供していたことが発覚し、大変な騒ぎになった。
坂本弁護士一家殺害事件に関連した事件である。
そこで、TBSはニュース番組のあり方を省みたのか、朝や昼のワイドショーを廃止し、生活に役立つ番組路線の「はなまるマーケット」、「ジャスト」が始まったと記憶している。
報道からの撤退である。
その頃私は小学生から中学生になるあたりで、テレビっ子だからよく観てたものだ。

ところが、オウムへのビデオ提供事件も風化してくると、状況は変わってくる。
事実関係は確認していないし、テレビにも興味が薄いので、あくまで「実感」や「推測」に基づいた話となることを予めご承知いただきたい。
みのもんたが司会の朝の報道番組「朝ズバ!」が始まったあたりから振り子は反対へと振れていったのではないだろうか。
みのもんたは「庶民」(弱者)よりの目線で、「難しい顔」をして、「世の中に疑問」を呈する。
でも実はみのもんたは庶民ではないし、難しい事は考えてないし、世の中に疑問は持っていない。
なぜそんなことを言い切れるのか、といわれると正直困るが、あえて反論をすれば、それはテレビの中の「記号」であり、「茶番」であり、「決まり文句」でしかないと考えるからである。
お前庶民じゃないっしょ、という人間が演じる庶民。
だからこそ、それより庶民よりの人間は安心して自分を外においてテレビを楽しめる(当事者性の欠如)。
それはテレビではあまりに見慣れた光景で「記号」となっている。
そんな偽物の庶民が今度は難しい顔をして、いっちょまえの事をいう矛盾。
滑稽である。
しかし滑稽であることを忘れるほど、日常の風景と化していて、それが説得力をもったりする。
それは決まり文句(正論)しかいわないからだ。

ただ、お前がいうな!という当事者性はない。
テレビの出演者も視聴者も当事者ではないからだ。
他人の不幸は蜜の味。
こうして、ワイドショーは徹底して「難しい顔」をして「自分とは関係のない他人の不幸」をショーと化していくのだと思う。

「朝ズバ」で味をしめたTBSはすっかり、バラエティに力を入れるわけだが、その一つとして「サンデージャポン」が誕生する。
バラエティかニュース番組かという分類があるか、ここではそれはあまり問わないことにする。
ただひとつ言えることは、「サンデージャポン」はとても面白いということだ。
最近のニュースをわかりやすく、時には出演者をキャラクタライズする過剰な演出もあって面白おかしく説明してくれる。
ニュースも硬いものからエンタメまで幅が広く、それをうまくパッケージ化して、笑いにつつんで視聴者に届けてくれる。

ただし、「面白くても、ためにならない」のである。
そんなことはテレビでは当たり前だ、という人もいると思う。
当然そうだと思う。
私は別にテレビに何かためになることだけをやれと期待し、NHKだけを見る堅物ではない。
むしろ、たけし軍団で何かやらないかなと年に数回しかない特番に密かに胸を踊らせてラテ欄を眺める若者である。
「ためにならない」の真意は無意識の侵食性にある。
簡単にいうと、
何か知らねえけど、偉そうになってる!
状態になってしまうことである。
無意識の中で他人をさげずむ視点が備わってしまうことである。
それは笑いという麻薬を使って。
これってすごく「ヤバイ」ことだと思う。
単なるワイドショーでは「難しい顔」をして「他人の不幸」を味わうんだけども、「サンデージャポン」って笑いながら他人の不幸を味わうことだと思う。
やっぱり報道としてのニュースと笑いは両立しえないと思う。
両立させてはいけないと思う。

2012年6月9日土曜日

一生食べられる働き方

村上憲郎
PHP新書


P104-105
では、進化できる企業、すなわち生き残れる企業と、進化できずに消えていく企業との違いはどこにあるのか。私は、「モンキートラップを逃れられるかどうか」がその境目だと考えています。
これはよくできたお話だと思うのですが、猿の手がやっと入るくらいの小さな口の容器にエサを入れておくと、猿がやってきて手を入れて、エサを握る。エサを握りしめた猿の手は容器から抜けられなくなる。エサを離せば、手は抜けて逃げられなくなるのに、せっかくのエサを握りしめて話そうとしないばかりに手が抜けられなくなり、猿は捕まってしまう。これがモンキートラップで、要するに、成功体験から脱却できないために、かえって身を滅ぼすことの愚を戒めた寓話です。

2012年6月4日月曜日

山を登ることについて語る時に僕の語ること

(6/3日、奥多摩の川苔山あたりに登山に行きました)


朝の五時過ぎに目が覚める。
窓から外をみると、路面は濡れているが雨は降っていないようであった。
本日は決行、との旨のメールを打つ。

朝七時、立川駅に集合。
声をかけた七人のうち、四人が集まった。
よく来たな、と会う顔それぞれが思ってる。
なるほど、事前にも雨の予報だし、この分厚い雲は見事に雨が降りそうである。
立川駅から奥多摩行きの電車に乗る。

いつも通勤で使っているので見慣れた風景であるが、どうも知り合いと一緒だと、どこか田舎に行くような小旅行気分に浸れる。
車窓の風景は次第に住宅街だけとなり、山が近づいてくるに従って、その密度が薄くなる。

早起きしたせいからか、眠くなる。
目的の「鳩ノ巣駅」の近くまでしばし寝た。
起きると、すっかり山である。
駅から駅の間も長い。
トンネルまである。

鳩ノ巣駅に到着。
以前、鳩ノ巣駅をゴールに登山をしたことがあるが、駅以外はあまり思い出せなかった。
たぶん、道も違ったのだろう。
鳩ノ巣あたりは、あきる野出身の私がいうのもあれだが、本当に東京とは思えないのどかな雰囲気がある。
とてもポジティブな意味で。
マンガ日本昔話や日本人の遠い記憶の中の田舎の心象風景がそのままあるようだ。
山里、なのである。


登山開始。
そこそこ急で、結構疲れる。
単に苦しい、という疲れではなく、気怠いような疲れである。
足が重い。
周囲は霧に包まれている。
もののけ姫の森のようである。
しばらく歩くと、カエルがいた。
今にも雨が降りそうな、というかすでに数時間前には降ったようで、地面も空気も湿っているためカエルにはもってこいの気候である。
拳を一回りも二回りも小さくしたサイズのカエルだが、触るにははばかられるシルエットをしている。
ちっさいミドリのカエルは好きだが、土と一体化しそうな、カエルは苦手である。
どことなくグロテスクである。
でもそれがかえって興味をそそられたりして、つい見入ったりもする。

しばらく登り続ける。
正直、じんわりと辛かった。
ふと、思ったこと。
「何で山なんか登ってるんだろう?」

登るのが楽しいから?
つらいのが楽しいから?
登ったという達成感ともうやらなくていいという優越感を得るため?

どれも違う。
何でだろう。
もしも、この世に自分だけしかいなかったら山に登っているだろうか?
そんなことも考える。
見栄とか虚栄心とかをなしにして、本当に自分がやりたいことってのを自分に問いかけるってのも意外と難しいことだったりする。
案外周囲に流されて気づくことだってあるし、それは別に悪いことでないような気がする。
ただ、それは安易なことで、楽なことで、か弱いものである。
そういうことを大っ嫌いなのが村上龍という作家であって、自立のためにタフであり続け、ものすごいエネルギーをもってしまう存在だ。
つい最近、村上龍のエッセイを、読んだからこんなことも思ったのだろうか。

山登りの前半はあまり覚えていない。
記憶に残っているのは川苔山の近くまできて、平坦な道へ出たところだ。

とはいえ、平坦な箇所はすぐに終わり、
相変わらずの急な下り、そして登りだった。


とりあえずの目標の峰まで行って一息つく。
人けもなくて、こじんまりとしているところだけど、それがかえっていい。
悲しむらくは曇りのため、景色が全く見えないことである。
たが、そんな天気だからこその味わいもある。



帰りは楽しかった。
この時点で、1時あたりで、9時に登り始めてから4時間を経過している。
半分まで来たというだけで気分が良い。
事実、帰りの道は下りが多く歩きやすくて気分も上々だった。

特に良かったのは川沿いを歩くルート。
これがしばしば続く。
まさに渓流というような川の脇に登山道がある。
木で出来た小さな橋を渡る。
橋から眺める渓流。
水が綺麗だ。

かつてはこうした渓流でヤマメやイワナを釣ったものである。
フライとかで。
そんなことを思い出したりして懐かしい気分になる。
ただ、釣りに関してはゲームの話であって、憧れに憧れているだけに過ぎない。
中学生の頃の憧れであった。
実際には釣りは、現在は悪名高いブラックバスしかやったことがない。


水が綺麗なため、ところどころ、ワサビを栽培しているところを見つける。
柵で囲まれていて、中には有刺鉄線まであって、それが徒然草にでてくるように「興ざめ」してしまったりするが、それもまた「をかし」、だ。

渓流沿いの登山道を抜けると、林道に出た。
舗装されている道。
ここからは長かった。
淡々と歩き続ける。
心を無にして。


やっとこさ、人家があるあたりまで行き、
ふとみつけた「なんとか茶屋」の文字。
店の外で、コケの生えまくった水槽で鯉を飼っているおばちゃんがいた。
聴けば、新潟の鯉だという。
新潟で地震があった時に安く買ったそうな。
話の流れで、店で売っていたビールを買う。
よくみると、そこは正確にはキャンプ場だった。
食堂とかもなくて、シンプルにコテージと川があるだけのキャンプ場。
素朴な感じとても好感を抱いた。
おばちゃんの身の上話を聞きながらのビール。
だいたいこういう時に話されるのは、息子の話と嫁入りしてきたという観点からの地域の考察である。
僕は割とこの類が好きである。

この茶屋からは少し歩いたところにバス停があって、しかも始発だったので座って出発を待った。
やっとゆっくり座れた。
青梅線の川井駅で下車する。
下山完了である。

そのまま、青梅線に乗って立川まで行って、飲み屋に行って締めました。
本当はピザが食べたかったのだけと、目当てのピザ屋は貸し切られてました。
それが心残りでした。


おしまい。

2012年6月2日土曜日

ダイイングアイ

東野圭吾
光文社文庫


陳腐な言い方だけれども、作品の展開が気になって夢中で読んだ。
素晴らしいストーリーテリング能力である。

無趣味のすすめ

村上龍
幻冬社文庫

P94「最優先事項を把握している場合、決断には法則がある。もっともやっかいで、もっとも難しく、もっとも面倒な選択肢が正解ということだ。」

2012年5月30日水曜日

2012年5月16日水曜日

旅行記:宮城県県山元町等訪問2

忘れないうちに雑感を。パンセ。

山元町ではいろんなところからボランティアが集まっていた。ご案内していただいてた清水さんも元々は関東から通ってたわけだし、前日に飲んだ人もわざわざ遠くから来てる人もいた。
聞くところによると、FacebookやTwitterを活用して、情報発信や共有をしているらしい。エジプトとかを持ち出すまでもないが、FacebookといったSNSが人や時代を動かしてるってことを改めて感じる。
テレビやネットだけの世界ではない。SNSってのはもはやインフラで現実世界を補完するものに他ならないのだ。バーチャルじゃない。
なんか不思議だな。いつも思うのだけれども、ブログとかFacebook、Twitterに掲載されてる写真って何時の間にとったり、記事書いたりしてんのかな。どうやって現実と折り合いをつけるのだろう。さて、写真撮るぞーってとるタイミングとかあるのかな。特に食事をとる人はレストランとかで撮るわけで。僕は何かすぐ食べたくなっちゃったりして、写真とってからはい、食べようってのができない。最近気づいたけれども、デジ一で撮るのは全然恥ずかしくない。ただ、コンデジとかだと恥ずかしい。携帯だと、こっぱずかしくてエイヤと気合入れないととれない。カメラマンっていうペルソナがデジ一を持つことであって、そういうキャラクターが与えられて演じるだけなら容易い。





閑話休題。
ボランティア内容だが、土を掘ってのゴミ拾い。同じ場所では竹やぶらしきところの竹をすでに切ってあって、その竹の枝を折ってそれを、一つの場所に集めていた。
僕が行ったのは前者のゴミ拾い。とりあえず表面上のゴミを拾う。大体、土に埋まっていてゴミは土まみれになっている。ゴミとしては、ガラスの破片、ビニール、ビン、鉄などなどたくさん。特徴的なのは、どうやらこの場所にはビニールハウスがあったらしく、デカいビニールが埋まっていた。ビニールは大蛇みたいな太さであり、また長く扱いづらい。それをまた回収車が収集しやすいようにと袋にいれるのだが、それがまた収まりづらい。ちょっと時間をかければ、ビニールもある程度の長さで切れないこともないのだか、たくさんあるのでなかなか骨が折れた。
ガラスの破片が落ちているのは、津波で家のガラスが粉々になったからだ。津波が確かにこの地にきたことを実感させる。
また、ゴミも室内にありそうなものの一部といったものが多くある。鉄も何かの家具の一部だろうし、プラスチック類もよくでてくる。
わさびのチューブまで出てきていた。

フォークみたいに細い刃先数本があって、鍬みたいに歯が90°くらいに傾いているなっている道具で、地面を掘る。
ところどころ草が根を張っていて掘りづらい。
掘り返すと、ゴミはもちろん、ダンゴムシなんかもたくさんでてくる。
小学生以来か。
土に久しぶりに触れた気がした(手のひら側だけゴムみたいに塗装されてる軍手はしていたけれども)。
土の柔らかく、湿った感触。
懐かしい気分になると同時に、この土は海水を浴びたのだというにわかに信じ難い現実に直面する。

清水さんによれば、一年前と比べ「色がある」のだという。
一年前は、津波に流されしまったままであった。
全壊した家もそのままにされていた。

今は、土に生える雑草はもちろん、ところどころ家もリフォームをしており、少ないかもしれないが確実に復興の兆しがある。
ただ、解体されてそのままの家も多く、広い平野にぽつんぽつんと家が立っているのが印象的であった。

ボランティアは30、40人くらいいた。直接話したのは数名だが、小耳にはさんだところによれば、栃木、福島相馬市、埼玉、一番遠いところで大阪がいた。
震災から一年たってもこうして、被災地に身を寄せるのだから本物だ。
また、僕のように今回初めてというわけでもなさそうであった。
通うことで深まる絆。
そんなものを垣間見た気がした。


つづく

2012年5月13日日曜日

ナイロン100℃「百年の秘密」

本多劇場

久しぶりのお芝居観劇。
大学のサークルの後輩が出演というとがあり、チケットをとってもらった。

映像が特にすごかった。
劇場で単に映像を流すということではなく、舞台だからこその表現としての映像の使い方があった。
あと、女優陣の演技。
特に犬山さんが幼児から老婆までを演じていて、見事であった。

2012年5月11日金曜日

35歳の教科書

藤原和博

テレビ、ケータイもドラッグ。
成長社会から成熟社会へ。正解主義から修正主義へ。

2012年5月6日日曜日

旅行記:宮城県山元町訪問等


GWは2泊3日で旅行に行った。
目的は被災地でのボランティア。
とはいっても半日くらいしかやっていないので、ほとんどは観光であった。
ただし、被災地を実際に訪問してみて、いろんなことを感じたので、ここに記しておく。
(つれづれなるままに書いてますので、頭のわるい文章になってます。)

《初日ー5月3日》

仙台まで新幹線。
宿はビジネスホテル。
めっちゃ雨が降ってた。
折りたたみ傘ではよく濡れた。

東北については、大学生の時にヒッチハイクで福島(郡山、喜多方、会津若松)、宮城(仙台)、青森(青森市)を巡ったことがある。
それ以来の東北。
仙台についても今回で2回目。
「そういや、前きたときは仙台駅前のブックオフで司馬遼太郎の『梟の城』買ったなー。」とか「牛たんって実はオーストラリア産らしいって聞いたなー」とか「漫喫に泊まったなー」とか思い出した。


閑話休題。
仙台についてすぐに「清水さん」と合流。
清水さんは同じ会社の人で、今は仙台派遣中の御方だ。
後にも出てくるが、津波で被災した宮城県山元町というところで一年来熱心にボランティア活動をしている。
知り合いづてにそういうことを聞いていたので今回コーディネーターをお願いした次第である。
今回の旅行は全て清水さんの車で移動した。
実は僕と会うのは今回で2度目である。
「とても面倒見がよいあんちゃん」というのが第一印象。
第二印象というものがあれば、それも同じく「とても面倒見がよいあんちゃん」であった。

さて、最初に車で「せんだいメディアテーク」に行った。
ずっと行きたかった「せんだいメディアテーク」。
念願かなったわけである。
ただ、「ずっと」期間が長すぎてそもそもなぜ来たかったのかを忘れてしまった。
伊東豊雄設計くらいしか確かなことは覚えていない。
しかも伊東豊雄さんも誰だったか記憶が曖昧である。
たしかモギケン時代のNHK「プロフェッショナル」で観た気がする。
いや、グッドデザイン賞もとってたな。
アートマネジメント系の本で観た気もする。

そんなことを思いながら館内を巡っていたらとある本が目にとまった。
「震災時のトイレ対策のあり方〜」
震災関連特集の棚にあったこの本。
抜群に面白かった。
神戸の震災時のトイレのあり方を検証しただけかとおもいきや、最初の方にはトイレの歴史から書いてあった。
震災とトイレ。
確かにこれは身近でかつ大変な問題だ。
それをこの本においては真面目に検討していた。
また、読みたい。

そのあとは仙台市の沿岸部、荒浜へ。
多数の犠牲者が出た場所である。

夜は清水さんの山元町ボランティア仲間と飲み。
※ピントがあっていないのは持っていったデジカメ「RICOH GR DIGITALⅢ」に手ぶれ補正がないから(だと思う)
2次会まであって、よく飲んだ。(自分的には)
みなさん、本当によく飲む人だった。
中学生だったらみんな友達になってた。
楽しかった。


《2日目ー5月4日》
朝、7時半に清水さんがホテル前に車でお迎え。
なんと清水さん車中泊。
けろっとしてるところもスゴイ。

そして、この日は山元町へ。
仙台から高速などを利用しておよそ一時間といったところだろうか。
まずクボさん宅へ行く。
ここも津波の被害を受けたところで、クボさんが修理して使っているとのこと。

ちなみにこの「クボさん」がとんでもなく面白い人であった。
何気ない日常の発言もだけど、経歴とかも。
その面白さについては僕の筆力では表現しきれない。
いつかクボさん自身に自伝を書いてもらうことにしよう。

簡単に説明しておくと、クボさんは山元町出身ではなく他地域から来たボランティアの一人である。
ただ、連休明けには住民票をうつし、山元町民になるとのことだから面白い。
腰を据えてしまうわけである。
この日の夜の飲み会で聞いたところによれば、クボさんは世界各地に住んでいたたこともあるとのこと。
穏やかな人なんだけれども、やっていることはバイタリティにあふれている。
誰にでも愛されるところも加味すると、しっかりしている山下清みたいなとこか。

さてさて、肝心のボランティアである。
津波で流されたゴミが地中に埋まっている。
それをほじり出して分別するというのが作業内容であった。
ボランティアが30人位集まっていた。
半分くらいは伐採した竹の枝落とし。
我々は上記のゴミ拾いである。
以前、ビニールハウスがあったところらしく、ビニールらしきゴミがたくさん出てきた。
他にはビンとかも。
例えば、畑にする場合も、耕運機は使えない。
ゴミが地中に埋まっていると、それがため耕運機の歯がやられてしまうからだ。
だから、地道にほじり出して拾っていくしかないようである。

9時くらいから始めたボランティア作業は14時くらいで切り上げて、そのあとは沿岸部を見に行った。
上記の写真は小学校の体育館の中。
生々しく残っていた。

(つづく)

歪笑小説

東野圭吾
集英社文庫

久しぶりの小説。
久しぶりの東野圭吾。
ついのめり込んでしまった。

2012年5月2日水曜日

あの頃の誰か

東野圭吾
光文社文庫

久しぶりの東野圭吾。
ついつい作品の中に引き込まれた。
本作はワケあって掲載されなかった作品のオムニバス。
あとがきは作者本人による各作品の解説(言い訳)

2012年4月22日日曜日

走りながら考える

久しぶりに何も予定のない休日を過ごした。
日常の惰性に流されている気がしている今日このごろ。
ちょっと立ち止まって考えてみたこと(小さな決意)。
たらたら書く。

モノは持たない主義にする(私の身の回りははすぐに汚くなるので)
無駄なものは処分。買わない、持たない。
あると役に立つかもは、大体役に立たない。
必要な時に必要に迫られてこそそのモノは必要なのである(たぶん)。
ストックは要らない。
でも貯金はしたい。

走りながら考える。
比喩じゃなくて、本当にジョギングしながら考えるようにしたい。
そのほうが、違った視点で考えられるのと、運動もちゃんとしたいから。
怠け者なので、なかなか走り出せない。
フルマラソンちゃんと走りたい。

書を捨てよ、街へ出よう、を実践する。
とにかく挑戦者になる。
内弁慶にならない。
外で道場破りになる。

情報の呼吸法

津田大介
朝日出版社

決断する力

猪瀬直樹
PHPビジネス新書

再読。

2012年3月13日火曜日

朝日新聞記者のネット情報活用術

平和博
朝日新書


ジャーナリストのダン・ギルモア
ウィキペディアは、
手始めには最良の場所だが、結論を得るのには最悪の場所

2012年3月10日土曜日

公務員だけの秘密のサバイバル術

中野雅至
中公新書ラクレ

都庁の三省堂の新書ランキング二位だったので、買ってみた。
ちなみに一位は石原慎太郎だった。

2012年3月2日金曜日

支える医療へ

村上智彦
エイチエス株式会社


財政破綻した夕張へ、一億の借金をしてまで飛び込んで行ったお医者さん。
先日実際にお会いした時にはサインまでもらってしまった。
本にサインをもらうのは川崎和男教授以来。
どうも私は信念と理念をお持ちの頑固者の天才肌に弱いようだ。
お医者さんだが、取り組みはまちづくりそのもの。
現場では個と個との関係を積み重ねつつ、それを踏まえて日本の将来を見据えている。
デザイナーは喧嘩師であれ、とは川崎和男教授の言葉であるが、村上智彦医師もまた喧嘩師であった。
何に対しての喧嘩か。
既得権益、偏見、不合理に対してである。

2012年2月15日水曜日

極北ラプソディ

海堂尊
朝日新聞出版

大石係長からお借りした。


世良医師のトリックスターぶりが面白い。特に前半は世良医師が中心に描かれていて興味深かった。

2012年2月7日火曜日

極北クレイマー 下

海堂尊
朝日文庫


P228
メディアはいつもそうだ。白か黒の二者択一。そんなあなたたちが世の中をクレイマーだらけにしているのに、まだ気がつかないのか。日本人は今や一億二千万、総クレイマーだ。自分以外の人間を責め立てて生きている。だからここは地獄だ。まんな医療に寄りかかるが、医療のためになにかしようなどと考える市民はいない。医療に助けてもらうことだけが当然だと信じて疑わない。何と傲慢で貧しい社会であることか

P230
「地域医療の再建屋として名高い世良先生は、いわばご自身を悪性に対するワクチンだとでもおっしゃりたいんですか?」
世良は目を細めて、即答する。
「ワクチン?そんな生やさしいものではないですよ。私の存在は譬えれば抗癌剤です。健康体にとっては猛毒。私がこの地に招聘された幸と不幸を、極北市民はいずれ思い知ることでしょう」」

2012年1月22日日曜日

新IT医療革命

Team 医療3.0
アスキー新書


P22
考えながら動き、動きながら考える「考動力」

P218
「人は外発的に動機付けされても生産性は向上しません。自分の関心や楽しみが動機となって初めて、クリエイティブな活動ができるといえます。」

2012年1月21日土曜日

憂恋の花

浦嶋れいじ監督

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭出品作ということで、見に行った。
映画の前後にトークつきの企画。

「憂恋の花」ってのはアジサイ。
アジサイの花言葉は「移り気」。

2012年1月19日木曜日

びんぼう君

五反田団
アトリエヘリコプターにて。
ままごととか人形遊びって全力だと面白い、ということを知る。

2012年1月18日水曜日

首長パンチー最年少市長GABBA奮戦記

樋渡啓祐ひわたしけいすけ
講談社


総務庁キャリア。
武雄市長。
日本ツイッター学会会長。
地域医療ー公立病院を民間移譲。

2012年1月4日水曜日

小笠原旅行(4泊5日) 2011年12月29日−2012年1月3日

年末年始は小笠原に行って来た。
職場関連の友人2人と。

小笠原は東京から南に1000km。
距離的には東京から北海道、緯度的には沖縄と同じ。
空路はなく、船便しかない。 船便は「おがさわら丸」という船で、25時間半かかる。
「東洋のガラパゴス」と呼ばれ、固有種が多く、そんな感じで(←テキトー)2011年6月に世界自然遺産に登録された。
 

(おがさわら丸) 

1日目(12月29日)〜出発『おがさわら丸』〜

船は朝10時に出発。
なので9時に竹芝桟橋に集合しました。
船の名は「おがさわら丸」です。
席は一番安い「2等和室」。
とはいえ、11月7日予約するのに1時間近く電話してようやくつながった経緯があります。
料金は片道25,000円前後。
席というか与えられた場は、身を縮めて横になるのがやっとで、とはいえ足も曲げなければならないスペースしかありません。
そこで25時間半も過ごすのかと思うと、自然と「奴隷船かい」という言葉が口から出る状況でした。
後になって知るのですが、通は荷物だけそこにおいて、船の空きスペースに敷物を敷いてそこで過ごすことがわかりました。
当然ながら、私も寝る時は2等室にいて、起きているときは船内散策や、船の空きスペースでビールを飲んだりして過ごしました。
酔い止め薬は飲みませんでした。
行きはほとんど揺れなかったので、正直「なんとかなる。いける」と思っていました。
これが、帰りの船で痛い目を見ることになります。



2日目(12月30日)〜到着。父島。〜

予定通り、25時間半で父島の二見港に到着しました。
港では滞在先の宿の店主が、看板を持って迎えに来てくれていました。
車ですぐのところに宿はありました。
いわゆるペンションの作りで、我々の部屋は6畳一間。
3人にしては少し狭いが、繁忙期なので仕方がありません(ちなみに情報通によれば、GWと年末年始が最も混むのだということです)
その後、二見港近辺のメインストリート大村を散策。
昼食を食べて、小笠原名物のビーチサンダル・ギョサンを買いました。

午後はツアーに参加。
『戦跡ツアー』です。
小笠原は第2次世界大戦の舞台ともなっており、山には壕や砲台があります。
それを巡るツアーでしたが、ガイドのおじさんが怒鳴った事のほうが記憶に残っています。
我々3人の他に、もう2組参加者がいました。
1組だけ、予定の時間になっても現れず、最初はニコニコしていたガイドさんもだんだんイライラしていくのがわかりました。
迎えに行った場所にいないことがわかるとついにブチ切れました。
「そこを動くな!」
携帯にシャウトするやいなや、車は猛スピードで坂道をぶっちぎります。
私は島というのは、おだやかで、ゆるやかな「島時間」なるものが存在すると想像していましたが、予想を裏切られました。(ちなみに10月に伊豆大島に行きましたが、そこの料理屋は注文してから1時間してから料理が出てきたりしました。あと、一回目を聞きそびれてしまったらしく30分後にオーダーを聞いて来ました)
遅刻者達がこっぴとどく怒られたのはいうまでもありません。
「あー、遅れなくて良かった」
心底、そう思いました。

ツアー後、宿でひとっ風呂浴びることに。
と思ったら、シャワーが冷たいままです。
そうこうしているうちに、水すら出なくなってきました。
完全に止まるのではなく、ちょろちょろ出ていたので、それで何とかしました。
いやあ、前途多難です。


3日目(12月31日)〜ダイビング。カウントダウン。〜

小笠原は沖縄と同じ緯度にあるといえ、一応冬ですから、朝と夜はそこそこ冷えます。
昼間は半袖でも大丈夫ですが、風があると寒いです。
その寒さをダイレクトに感じたのが、このダイビングの時でした。
前日のガイドさんのブチ切れもあったので、ビビリがちな私達は8時半集合のところを8時過ぎには到着してしましました。
「早すぎるよー」といって、朝食の箸を止めてニコニコして出てきたのがダイビングのガイドさんでした。
怒られなさそうなので、とりあえずほっとしました。
私は高校の修学旅行で、沖縄でダイブ経験があります。
といっても全部忘れています。
でも、何とかなりました。
ネムリブカという、おとなしいサメも見ることができました。
ただ、水は冷たく、船に待機している時の寒いこと。
とにかく風が強いのです。
14時くらいに終わり、真っ先に宿の風呂に飛び込みました。
シャワーのお湯が出ました!
当たり前のことに喜びを感じる一幕でした。
ただ、お風呂は熱湯コマーシャル並の熱さというおまけ付きでした。

夜はカウントダウンイベントに参加。
島名物ラム酒や、カップそば、暖かいコーヒーなどが無料で配られていました。
年越しの瞬間には花火も盛大に打ち上げられていました。
そのまま、初詣に。
神社がありました。
おみくじは「吉」。
一緒に行った三人とも「吉」でした。
酒入りの甘酒に程良くよって、いい気分で宿に帰りました。


4日目(1月1日)〜NHK中継。ナイトツアー〜

朝から年明けイベントに参加。
NHKの中継がありました。
海岸に女優のとよた真帆さん、めちゃイケに出てるらしい敦士さんがおりました。
(注:正直、私も普段テレビを全く見ないので、最初は「アツシ」って誰だよ。とか思ったりしてしましました。でも、島にいるとあらゆるところで「誰あいつ?」みたいになってしまっていて、敦士さんがかわいそうになってきました。ごめんなさい、敦士さん。モデルやっているとだけあって、背が高くてかっこいいです。リンク貼っておきましょう。)
敦士さんのオフィシャルブログ 
wikipedeia

話がそれました。
最初のNHKの中継は海岸での「日本一早い海開き」というもの。
数年前の私なら絶対に参加していましたが、「濡れるの嫌だし、私はちょっと」という老化による消極的な姿勢により見学者に徹しました。
でも、ミーハーなので「テレビ映んねえかな」と密かに興奮してしまいました。
たぶん映ってません。
時間をおいて、続いての中継は「ウミガメの放流」です。
また「テレビ映んねんかな」と思いましたが、たぶん映ってません。
(NHK中継の様子)


夜はまたツアーに参加。
「ナイトツアー」というものです。
オガサワラオオコウモリという天然記念物やヤドカリを見に来ました。
夜になると緑色に光る「グリーンぺぺ」というキノコは寒いため見れませんでした。

あ、夜寝る前にバーに行って、「ウミガメの刺身」と「ウミガメの唐揚げ」を食べました。



4日目(1月2日)〜島最終日。ホエールウォッチングのはずが大しけ、でも南島上陸〜

朝からツアー。
朝食時にそのガイドさんから電話。
「海荒れてるけどどうする?」
「やめたほうがいい」ということなのかわかりませんが、とりあえず「行きます。よろしく」と答えておきました。

案の定、しけていました。
並に高さは3,4メーターとか。
潮が満ちているのと、風が突風のように強いので、晴れているとはいえ、大荒れの様相です。
私、個人的にはホエールウォッチングは一番楽しみにしていました。
ここでも他の2組と合同でのツアーでしたが、その中の一組はホエールウォッチングに「3度目の正直に期待」とおっしゃってました。
ただ、しけています。
船に乗るやいなや、誰も「ホエールウォッチング」を口にすることはありませんでした。

それでも、観光名所の南島に行きました。
この島は環境保護が徹底しており、ガイドさんと一緒でないと上陸はおろか島内でも行動ができません。
なかなかの景色でした。
(南島)

この南島から戻る時の船が本当に大変でした。

私は船の頭のほうにいたのですが、気を抜くと振り落とされそうになるくらい揺れます。
波はかぶるは、打ち付けられるはで、これが荒波の海か、と感心したものです。
ちなみにこの時のガイドさん(船長)、あとから聞いたのですが島一番の飛ばし屋とのこと。
どおりで「波たけえからゆっくりいくぞ」と言いながらスピードをあげていたものだと合点がいきました。

そして、午後2時に帰りの船が出発です。
もちろん「おがさわら丸」。
与えられた場所は狭いです。
ですので、階段脇のスペースを確保(実際に座れるのは出港後1時間くらいしてからです)。
ですが、まさか同じ場に24時間も寝続けることになるとは思ってもみませんでした。
揺れるは揺れる。
出港後すぐに、外に出れないように封鎖されました。
窓から覗くと、波を被りまくっています。
外に出たら危ない。
大型船とはいえ、大きく打ち付けられる。
この浮揚感が、船酔いをもたらしました。
揺れのせいもありますが、立っていられません。
次第に横になってないと気持ち悪くなってきます。
だんだん動けなくなってきます。
起きてると気持ち悪くなってきます。
あとはひたすら寝るしかありませんでした。
時折、打ち付けられる衝撃に目を覚ましながら。
24時間私は、食事もせず、トイレに立った2回以外はひたすら寝続けました。


5日目(1月3日)〜東京帰還。旅終了〜

大島が見えるあたりでは揺れは大分収まっていました。
そこでようやく身を起こし、座る姿勢をとれました。
ゴザを敷いているとはいえ、ほぼ床に寝たも同然。
体が痛みます。

やがて、船内アナウンスで、元の位置に戻れとの指令。
みな、引き上げていきます。
あとはぐだぐだ過ごしてたら無事竹芝桟橋につきました。

ちなみに前日の大しけの中のツアーのため、靴が濡れてしまったため、サンダルで家まで帰りました。

(おしまい)