猪瀬直樹
小学館文庫
再読。
かつて石原慎太郎から「博覧強記の調査魔」と呼ばれた猪瀬直樹。
そのとおりで、疑問的を徹底して洗い出し、膨大な情報をかき集めている。
ただ、ジャーナリストではなく「作家」を自らを規定する彼の特長は物語るところにある。
だからエンタメ的な要素もあって読みやすい(だって「ミカドの肖像」は約900ページもあるんだぜ)。
事実を積み上げてそれを元に「視えない制度」をあぶりだす。
いわば、暗黙知を可視化する能力が彼の最大の才能である。
そして、この「ミカドの肖像」。
この小説ともミステリとも現代日本論とも受けてとれる作品は、誰もが存在を感じながらも巧みに避けてきた戦後最大の「タブー」である天皇制に真正面から向き合い、謎解きを行う。
サブカルチャー全盛の今の時代だが、こうした大きな問題に一個人が真っ向から挑んでいる事自体が新鮮に映る(猪瀬流にいえば、森鷗外のような「家長」的な責任感か。)。
これは「団塊の世代」だからこそなせるワザなのであろうか。
我々の世代だと「前田敦子はキリストを超えた」みたいな本が出てくる次第である(猪瀬流にいえば、「放蕩息子」の文学)。
印象深かったのは、最後の方の文化人類学者の山口昌男の著作を引用しつつ解説している部分。
実は私、山口昌男氏について、先日亡くなった記事を読んで知ったばかりなのだが、「中心と周縁」論はとても興味深い。
それを踏まえ、天皇制も日本人の心の拠り所として空虚な中心を確保するために存在し、その空虚さゆえに周縁部をブラックホールのようにのみこむ(そして「和」をもたらす)という仮説は説得力のあるものであった。
作品では触れられていなかったが、さしずめ西武の「堤康次郎」は価値紊乱者(←この言葉好き)という点でトリックスターという役割を果たしたのだろう。
(250316追記)
欲望のメディア収録のあずまんの猪瀬直樹論を読んでのメモ。
猪瀬直樹の仕事の本質は(戦後日本独特の)権力構造の分析ではないだろうか。
世俗の問題→生活→小さな謎から出発。謎解きはミステリーの要素を持ち娯楽性を物語に与えている。
共時的な問題を通時的な問題として、歴史を縦横無尽に横断し材料をかき集め、不可視のシステムを共時性に軸足をおいて物語る。
権力構造に「仕掛け人」の存在を意識し、そのものを洗いざらい調べ上げて、イデオロギーや理念ではなく、どのようなアーキテクチャーを形成したかをあぶり出す。
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