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2012年8月7日火曜日

4年前

ロンドンオリンピック。 
テレビでやっているとついみてしまう。
始まる前は全く興味はなかったものの、鍛えぬかれた肉体を持った人間が全力を注ぐ姿を観ることはやはり興味深い。

4年ごとに開催されるオリンピック。
4年という歳月は人を大きく変える。
私にとってもこの4年の変化は大きい。 

4年前。 北京オリンピックがテレビから流れていた。
私は神奈川から伊勢神宮へ自転車で向かっていた。
友人と二人で。
道中で立ち寄るスーパー銭湯や飲食店で北京オリンピックを見ていた。 

自転車といってもママチャリ。
神奈川から伊勢神宮まで距離にして400キロ。
真夏の日差しは強い。
2日目には肌が赤くなり、熱を持つようになった。
サドルも尻に食い込み、たまに立ち漕ぎをしなければならないくらいに痛んだ。
6日かけて伊勢神宮までたどり着いた。 



4年前。
私はとある出版社の最終面接まで進み、社長から「何か面白いこと話して」と言われ、思いっきりすべった(で、どこが面白いの?って返された)。
もちろん、落ちた。
これが最後の持ち駒だった。
先はなかった。
大学に残ったまま就職活動を行う就職浪人とも違い、私は大学はその春に既に卒業しており、身分は何もない。
お先真っ暗であった。 

自分が何をしたいのかもわからなかったし、就職における志望動機というのも、型にハマったものであって、どこか自分で自分に嘘をついている気がした。
しかし、これが大人になることだ、と思い込むことにしたが、どこか気持ちが入らない。
 とにかく本を読んで、時間をつぶしていた。
そうすると、今度は頭でっかちになってしまい「働くことはなにか」「なぜ生きるのか」「社会とはなにか」みたいなめんどくさいことばかり考えてしまうという悪循環。
「こりゃ、あかん。一区切りつけるためにも、肉体を酷使して考えないようにするぞ、しかもできるだけ遠くに行くぞ。」
ということで、思い立ったのが自転車でのお伊勢参りであった。
一人だと必ず挫折するので、友人を巻き込むことにした。 

そうして始まったお伊勢参りだが(出発は友人宅がある神奈川大和市)、 道中、何度も心が折れた。
友人(ゆうじ、という。以下、ゆうじ)が常に前を行き、私がそれについていくスタイル。 
私は尊敬する長渕剛「勇次」を歌い、自分を鼓舞し、ゆうじを励ますことで、ペダルを漕ぎ続けた。
海援隊の「♪ペダルを漕いで〜」というメロディが無限ループで頭の中で再生されていたのは秘密だ) 



最初の関門は箱根の山。
ここでは自転車から降りて、押し続けた。
静岡は長かった。
宿はない、野宿。
蚊取り線香をたいて寝た。
頭の近くでたいたので、けっこうむせた。

日に日に進む距離も伸びていき、名古屋に着く頃には一日100キロ走った。 
伊勢神宮に着いたのは6日目。
とりあえずほっとした。 

あれから4年。 状況は大きく変化したけれども、根本的なところはあまり大きく変わっていない。
確かなのは、もう二度と伊勢まではママチャリで行くもんか、という教訓ができたことだ。






【参考】ゆうじ


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