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2012年6月23日土曜日

案外、買い物好き

村上龍
幻冬社文庫

イタリア人はみんな青のシャツを着ているという気づきから、シャツのフリークスになる。

記者クラブ崩壊

上杉隆
小学館101新書

2012年6月16日土曜日

一般論とコンメンテーターについて

他人にいわれて間違ってはないのだけれども、つい反発してしまうことはないだろうか。
私はある。
「自分でわかっていることをダメだしされる」もしくは「自分の立場を差し置いて一般論を平然といわれる」時である。

前者の方は、反発するにしても、
「悔しいですけれどもその通りなんです。でもまだその事実を自分の中でも消化しきれてなくて。」的な後ろめたさを内蔵した反発であって、勢い引くに引けなくなってしまった場の悪さがある。

後者は誰も反対できないことで正論であったりするから、いわれると困ってしまう。
一般論ってのは正しい。
「わかっちゃいるけど、やめられない」というフレーズがあるけれども「わかってはいる」のである。
ただ、「できない」し、「できなかった」のである。
それは様々な要因なり原因がある。
そういったことを差し置いて、自分は関係ありませんがあなたのために一応忠告しておきますよ、みたいな立場からの発言。
一言でいえば、おせっかいみたいなもんですが、こちらが苦々しく思ってることに相手があまりに無頓着だと、
ケロッグコーンフレーク的にいえば「もう我慢できない!!」となり、私は思わずガオーってなります。


テレビでは「コメンテーター」って方がよくいらっしゃいますが、この方々がまたよく一般論をおっしゃられること。
扱うネタは様々で、明らかにわからねえだろということにも次々とコメントを残しています。
「まったく世の中、どうしちゃったんでしょうかね。」
「政治家には国民のことをもっと考えてもらいたいですね」
「戦争のない世の中にはならないのですかね」
わからないことはわからないというべきです。
興味がないなら興味がないというべきです。
決まり文句をいっても相手には何も伝わらないことを知るべきです。


さて、だんだんと、この文章も一般論めいてきましたので終了します。

2012年6月14日木曜日

テレビと私

テレビは麻薬である。
そう感じるようになってから意識的に距離を置いている。
だが、私は高校生くらいまでは中毒者だった。
テレビゲームも中学生をピークに時間を忘れてのめり込んだものだ。
以下、雑感。
ひとりごと。

好きだったテレビ番組について書く。

「電波少年」
日本テレビ。
やっぱり面白かった。
ヒッチハイク系の旅モノはもちろん、なすびの懸賞生活とか坂元ちゃんと東大を目指す勉強モノも好きだった。
放送時間は毎週日曜夜10時半あたりと記憶している。
次の日から学校だけども、休みに浸かってしまってからだが適応でなそうな不安を感じながら観る、っていう感じか思い出される。

「ワレワレハ地球人だ」
フジテレビ。
スネークハンターという企画が大好きだった。
謎のイギリス人作家フィリップと巨大蛇を追う冒険。
取材班のディレクター木伏と険悪でいつも喧嘩してるのが面白かった。

「ジャスト」
TBS。
中3で、推薦でさっさと高校決めて家で暇している時によく観ていた。午後二時からの昼上がりのワイドショー枠。
「亭主改造計画」という企画が好きでした。

「三年B組金八先生」
健次郎(風間くん)〜鶴本直(上戸彩)あたりが、自分も中学生で年齢が近くて、ハマっていた。
でもやっぱり健次郎だ。
お兄ちゃん、お兄ちゃん。


「晴れたらイイね!」
フジテレビ。
日曜日の朝の小旅行チックな番組。
キンカンのCMが印象に残ってる。
フジテレビのアナウンサーが毎回出演。
アウトドア系とかの企画が特に好きだった。
突然、終了したので、あっけにとられた。
通常の番組内で最後にさらりとアナウンスされて終わった。
数年は続いていた番組なのにな。

2012年6月13日水曜日

スロージョギングで人生が変わる

田中宏暁

「当事者」の時代

佐々木俊尚
光文社新書


なかなか読み応えのある本だった。
元毎日新聞記者で、現在はネット関係に強いジャーナリストの著者。
ずっとマスコミに抱いた違和感の正体がおぼろげながら見えた気がした。

以下、雑感。

今のマスコミを考える時にいつも浮かぶのが、「サンデージャポン」というT番組。
バラエティ要素たっぷりのニュース番組だ。

この「サンデージャポン」はTBS系列の番組である。
TBSといえば、オウムにビデオを提供していたことが発覚し、大変な騒ぎになった。
坂本弁護士一家殺害事件に関連した事件である。
そこで、TBSはニュース番組のあり方を省みたのか、朝や昼のワイドショーを廃止し、生活に役立つ番組路線の「はなまるマーケット」、「ジャスト」が始まったと記憶している。
報道からの撤退である。
その頃私は小学生から中学生になるあたりで、テレビっ子だからよく観てたものだ。

ところが、オウムへのビデオ提供事件も風化してくると、状況は変わってくる。
事実関係は確認していないし、テレビにも興味が薄いので、あくまで「実感」や「推測」に基づいた話となることを予めご承知いただきたい。
みのもんたが司会の朝の報道番組「朝ズバ!」が始まったあたりから振り子は反対へと振れていったのではないだろうか。
みのもんたは「庶民」(弱者)よりの目線で、「難しい顔」をして、「世の中に疑問」を呈する。
でも実はみのもんたは庶民ではないし、難しい事は考えてないし、世の中に疑問は持っていない。
なぜそんなことを言い切れるのか、といわれると正直困るが、あえて反論をすれば、それはテレビの中の「記号」であり、「茶番」であり、「決まり文句」でしかないと考えるからである。
お前庶民じゃないっしょ、という人間が演じる庶民。
だからこそ、それより庶民よりの人間は安心して自分を外においてテレビを楽しめる(当事者性の欠如)。
それはテレビではあまりに見慣れた光景で「記号」となっている。
そんな偽物の庶民が今度は難しい顔をして、いっちょまえの事をいう矛盾。
滑稽である。
しかし滑稽であることを忘れるほど、日常の風景と化していて、それが説得力をもったりする。
それは決まり文句(正論)しかいわないからだ。

ただ、お前がいうな!という当事者性はない。
テレビの出演者も視聴者も当事者ではないからだ。
他人の不幸は蜜の味。
こうして、ワイドショーは徹底して「難しい顔」をして「自分とは関係のない他人の不幸」をショーと化していくのだと思う。

「朝ズバ」で味をしめたTBSはすっかり、バラエティに力を入れるわけだが、その一つとして「サンデージャポン」が誕生する。
バラエティかニュース番組かという分類があるか、ここではそれはあまり問わないことにする。
ただひとつ言えることは、「サンデージャポン」はとても面白いということだ。
最近のニュースをわかりやすく、時には出演者をキャラクタライズする過剰な演出もあって面白おかしく説明してくれる。
ニュースも硬いものからエンタメまで幅が広く、それをうまくパッケージ化して、笑いにつつんで視聴者に届けてくれる。

ただし、「面白くても、ためにならない」のである。
そんなことはテレビでは当たり前だ、という人もいると思う。
当然そうだと思う。
私は別にテレビに何かためになることだけをやれと期待し、NHKだけを見る堅物ではない。
むしろ、たけし軍団で何かやらないかなと年に数回しかない特番に密かに胸を踊らせてラテ欄を眺める若者である。
「ためにならない」の真意は無意識の侵食性にある。
簡単にいうと、
何か知らねえけど、偉そうになってる!
状態になってしまうことである。
無意識の中で他人をさげずむ視点が備わってしまうことである。
それは笑いという麻薬を使って。
これってすごく「ヤバイ」ことだと思う。
単なるワイドショーでは「難しい顔」をして「他人の不幸」を味わうんだけども、「サンデージャポン」って笑いながら他人の不幸を味わうことだと思う。
やっぱり報道としてのニュースと笑いは両立しえないと思う。
両立させてはいけないと思う。

2012年6月9日土曜日

一生食べられる働き方

村上憲郎
PHP新書


P104-105
では、進化できる企業、すなわち生き残れる企業と、進化できずに消えていく企業との違いはどこにあるのか。私は、「モンキートラップを逃れられるかどうか」がその境目だと考えています。
これはよくできたお話だと思うのですが、猿の手がやっと入るくらいの小さな口の容器にエサを入れておくと、猿がやってきて手を入れて、エサを握る。エサを握りしめた猿の手は容器から抜けられなくなる。エサを離せば、手は抜けて逃げられなくなるのに、せっかくのエサを握りしめて話そうとしないばかりに手が抜けられなくなり、猿は捕まってしまう。これがモンキートラップで、要するに、成功体験から脱却できないために、かえって身を滅ぼすことの愚を戒めた寓話です。

2012年6月4日月曜日

山を登ることについて語る時に僕の語ること

(6/3日、奥多摩の川苔山あたりに登山に行きました)


朝の五時過ぎに目が覚める。
窓から外をみると、路面は濡れているが雨は降っていないようであった。
本日は決行、との旨のメールを打つ。

朝七時、立川駅に集合。
声をかけた七人のうち、四人が集まった。
よく来たな、と会う顔それぞれが思ってる。
なるほど、事前にも雨の予報だし、この分厚い雲は見事に雨が降りそうである。
立川駅から奥多摩行きの電車に乗る。

いつも通勤で使っているので見慣れた風景であるが、どうも知り合いと一緒だと、どこか田舎に行くような小旅行気分に浸れる。
車窓の風景は次第に住宅街だけとなり、山が近づいてくるに従って、その密度が薄くなる。

早起きしたせいからか、眠くなる。
目的の「鳩ノ巣駅」の近くまでしばし寝た。
起きると、すっかり山である。
駅から駅の間も長い。
トンネルまである。

鳩ノ巣駅に到着。
以前、鳩ノ巣駅をゴールに登山をしたことがあるが、駅以外はあまり思い出せなかった。
たぶん、道も違ったのだろう。
鳩ノ巣あたりは、あきる野出身の私がいうのもあれだが、本当に東京とは思えないのどかな雰囲気がある。
とてもポジティブな意味で。
マンガ日本昔話や日本人の遠い記憶の中の田舎の心象風景がそのままあるようだ。
山里、なのである。


登山開始。
そこそこ急で、結構疲れる。
単に苦しい、という疲れではなく、気怠いような疲れである。
足が重い。
周囲は霧に包まれている。
もののけ姫の森のようである。
しばらく歩くと、カエルがいた。
今にも雨が降りそうな、というかすでに数時間前には降ったようで、地面も空気も湿っているためカエルにはもってこいの気候である。
拳を一回りも二回りも小さくしたサイズのカエルだが、触るにははばかられるシルエットをしている。
ちっさいミドリのカエルは好きだが、土と一体化しそうな、カエルは苦手である。
どことなくグロテスクである。
でもそれがかえって興味をそそられたりして、つい見入ったりもする。

しばらく登り続ける。
正直、じんわりと辛かった。
ふと、思ったこと。
「何で山なんか登ってるんだろう?」

登るのが楽しいから?
つらいのが楽しいから?
登ったという達成感ともうやらなくていいという優越感を得るため?

どれも違う。
何でだろう。
もしも、この世に自分だけしかいなかったら山に登っているだろうか?
そんなことも考える。
見栄とか虚栄心とかをなしにして、本当に自分がやりたいことってのを自分に問いかけるってのも意外と難しいことだったりする。
案外周囲に流されて気づくことだってあるし、それは別に悪いことでないような気がする。
ただ、それは安易なことで、楽なことで、か弱いものである。
そういうことを大っ嫌いなのが村上龍という作家であって、自立のためにタフであり続け、ものすごいエネルギーをもってしまう存在だ。
つい最近、村上龍のエッセイを、読んだからこんなことも思ったのだろうか。

山登りの前半はあまり覚えていない。
記憶に残っているのは川苔山の近くまできて、平坦な道へ出たところだ。

とはいえ、平坦な箇所はすぐに終わり、
相変わらずの急な下り、そして登りだった。


とりあえずの目標の峰まで行って一息つく。
人けもなくて、こじんまりとしているところだけど、それがかえっていい。
悲しむらくは曇りのため、景色が全く見えないことである。
たが、そんな天気だからこその味わいもある。



帰りは楽しかった。
この時点で、1時あたりで、9時に登り始めてから4時間を経過している。
半分まで来たというだけで気分が良い。
事実、帰りの道は下りが多く歩きやすくて気分も上々だった。

特に良かったのは川沿いを歩くルート。
これがしばしば続く。
まさに渓流というような川の脇に登山道がある。
木で出来た小さな橋を渡る。
橋から眺める渓流。
水が綺麗だ。

かつてはこうした渓流でヤマメやイワナを釣ったものである。
フライとかで。
そんなことを思い出したりして懐かしい気分になる。
ただ、釣りに関してはゲームの話であって、憧れに憧れているだけに過ぎない。
中学生の頃の憧れであった。
実際には釣りは、現在は悪名高いブラックバスしかやったことがない。


水が綺麗なため、ところどころ、ワサビを栽培しているところを見つける。
柵で囲まれていて、中には有刺鉄線まであって、それが徒然草にでてくるように「興ざめ」してしまったりするが、それもまた「をかし」、だ。

渓流沿いの登山道を抜けると、林道に出た。
舗装されている道。
ここからは長かった。
淡々と歩き続ける。
心を無にして。


やっとこさ、人家があるあたりまで行き、
ふとみつけた「なんとか茶屋」の文字。
店の外で、コケの生えまくった水槽で鯉を飼っているおばちゃんがいた。
聴けば、新潟の鯉だという。
新潟で地震があった時に安く買ったそうな。
話の流れで、店で売っていたビールを買う。
よくみると、そこは正確にはキャンプ場だった。
食堂とかもなくて、シンプルにコテージと川があるだけのキャンプ場。
素朴な感じとても好感を抱いた。
おばちゃんの身の上話を聞きながらのビール。
だいたいこういう時に話されるのは、息子の話と嫁入りしてきたという観点からの地域の考察である。
僕は割とこの類が好きである。

この茶屋からは少し歩いたところにバス停があって、しかも始発だったので座って出発を待った。
やっとゆっくり座れた。
青梅線の川井駅で下車する。
下山完了である。

そのまま、青梅線に乗って立川まで行って、飲み屋に行って締めました。
本当はピザが食べたかったのだけと、目当てのピザ屋は貸し切られてました。
それが心残りでした。


おしまい。

2012年6月2日土曜日

ダイイングアイ

東野圭吾
光文社文庫


陳腐な言い方だけれども、作品の展開が気になって夢中で読んだ。
素晴らしいストーリーテリング能力である。

無趣味のすすめ

村上龍
幻冬社文庫

P94「最優先事項を把握している場合、決断には法則がある。もっともやっかいで、もっとも難しく、もっとも面倒な選択肢が正解ということだ。」