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2012年6月16日土曜日

一般論とコンメンテーターについて

他人にいわれて間違ってはないのだけれども、つい反発してしまうことはないだろうか。
私はある。
「自分でわかっていることをダメだしされる」もしくは「自分の立場を差し置いて一般論を平然といわれる」時である。

前者の方は、反発するにしても、
「悔しいですけれどもその通りなんです。でもまだその事実を自分の中でも消化しきれてなくて。」的な後ろめたさを内蔵した反発であって、勢い引くに引けなくなってしまった場の悪さがある。

後者は誰も反対できないことで正論であったりするから、いわれると困ってしまう。
一般論ってのは正しい。
「わかっちゃいるけど、やめられない」というフレーズがあるけれども「わかってはいる」のである。
ただ、「できない」し、「できなかった」のである。
それは様々な要因なり原因がある。
そういったことを差し置いて、自分は関係ありませんがあなたのために一応忠告しておきますよ、みたいな立場からの発言。
一言でいえば、おせっかいみたいなもんですが、こちらが苦々しく思ってることに相手があまりに無頓着だと、
ケロッグコーンフレーク的にいえば「もう我慢できない!!」となり、私は思わずガオーってなります。


テレビでは「コメンテーター」って方がよくいらっしゃいますが、この方々がまたよく一般論をおっしゃられること。
扱うネタは様々で、明らかにわからねえだろということにも次々とコメントを残しています。
「まったく世の中、どうしちゃったんでしょうかね。」
「政治家には国民のことをもっと考えてもらいたいですね」
「戦争のない世の中にはならないのですかね」
わからないことはわからないというべきです。
興味がないなら興味がないというべきです。
決まり文句をいっても相手には何も伝わらないことを知るべきです。


さて、だんだんと、この文章も一般論めいてきましたので終了します。

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