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2012年6月13日水曜日

「当事者」の時代

佐々木俊尚
光文社新書


なかなか読み応えのある本だった。
元毎日新聞記者で、現在はネット関係に強いジャーナリストの著者。
ずっとマスコミに抱いた違和感の正体がおぼろげながら見えた気がした。

以下、雑感。

今のマスコミを考える時にいつも浮かぶのが、「サンデージャポン」というT番組。
バラエティ要素たっぷりのニュース番組だ。

この「サンデージャポン」はTBS系列の番組である。
TBSといえば、オウムにビデオを提供していたことが発覚し、大変な騒ぎになった。
坂本弁護士一家殺害事件に関連した事件である。
そこで、TBSはニュース番組のあり方を省みたのか、朝や昼のワイドショーを廃止し、生活に役立つ番組路線の「はなまるマーケット」、「ジャスト」が始まったと記憶している。
報道からの撤退である。
その頃私は小学生から中学生になるあたりで、テレビっ子だからよく観てたものだ。

ところが、オウムへのビデオ提供事件も風化してくると、状況は変わってくる。
事実関係は確認していないし、テレビにも興味が薄いので、あくまで「実感」や「推測」に基づいた話となることを予めご承知いただきたい。
みのもんたが司会の朝の報道番組「朝ズバ!」が始まったあたりから振り子は反対へと振れていったのではないだろうか。
みのもんたは「庶民」(弱者)よりの目線で、「難しい顔」をして、「世の中に疑問」を呈する。
でも実はみのもんたは庶民ではないし、難しい事は考えてないし、世の中に疑問は持っていない。
なぜそんなことを言い切れるのか、といわれると正直困るが、あえて反論をすれば、それはテレビの中の「記号」であり、「茶番」であり、「決まり文句」でしかないと考えるからである。
お前庶民じゃないっしょ、という人間が演じる庶民。
だからこそ、それより庶民よりの人間は安心して自分を外においてテレビを楽しめる(当事者性の欠如)。
それはテレビではあまりに見慣れた光景で「記号」となっている。
そんな偽物の庶民が今度は難しい顔をして、いっちょまえの事をいう矛盾。
滑稽である。
しかし滑稽であることを忘れるほど、日常の風景と化していて、それが説得力をもったりする。
それは決まり文句(正論)しかいわないからだ。

ただ、お前がいうな!という当事者性はない。
テレビの出演者も視聴者も当事者ではないからだ。
他人の不幸は蜜の味。
こうして、ワイドショーは徹底して「難しい顔」をして「自分とは関係のない他人の不幸」をショーと化していくのだと思う。

「朝ズバ」で味をしめたTBSはすっかり、バラエティに力を入れるわけだが、その一つとして「サンデージャポン」が誕生する。
バラエティかニュース番組かという分類があるか、ここではそれはあまり問わないことにする。
ただひとつ言えることは、「サンデージャポン」はとても面白いということだ。
最近のニュースをわかりやすく、時には出演者をキャラクタライズする過剰な演出もあって面白おかしく説明してくれる。
ニュースも硬いものからエンタメまで幅が広く、それをうまくパッケージ化して、笑いにつつんで視聴者に届けてくれる。

ただし、「面白くても、ためにならない」のである。
そんなことはテレビでは当たり前だ、という人もいると思う。
当然そうだと思う。
私は別にテレビに何かためになることだけをやれと期待し、NHKだけを見る堅物ではない。
むしろ、たけし軍団で何かやらないかなと年に数回しかない特番に密かに胸を踊らせてラテ欄を眺める若者である。
「ためにならない」の真意は無意識の侵食性にある。
簡単にいうと、
何か知らねえけど、偉そうになってる!
状態になってしまうことである。
無意識の中で他人をさげずむ視点が備わってしまうことである。
それは笑いという麻薬を使って。
これってすごく「ヤバイ」ことだと思う。
単なるワイドショーでは「難しい顔」をして「他人の不幸」を味わうんだけども、「サンデージャポン」って笑いながら他人の不幸を味わうことだと思う。
やっぱり報道としてのニュースと笑いは両立しえないと思う。
両立させてはいけないと思う。

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