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2012年3月2日金曜日

支える医療へ

村上智彦
エイチエス株式会社


財政破綻した夕張へ、一億の借金をしてまで飛び込んで行ったお医者さん。
先日実際にお会いした時にはサインまでもらってしまった。
本にサインをもらうのは川崎和男教授以来。
どうも私は信念と理念をお持ちの頑固者の天才肌に弱いようだ。
お医者さんだが、取り組みはまちづくりそのもの。
現場では個と個との関係を積み重ねつつ、それを踏まえて日本の将来を見据えている。
デザイナーは喧嘩師であれ、とは川崎和男教授の言葉であるが、村上智彦医師もまた喧嘩師であった。
何に対しての喧嘩か。
既得権益、偏見、不合理に対してである。

2012年2月15日水曜日

極北ラプソディ

海堂尊
朝日新聞出版

大石係長からお借りした。


世良医師のトリックスターぶりが面白い。特に前半は世良医師が中心に描かれていて興味深かった。

2012年2月7日火曜日

極北クレイマー 下

海堂尊
朝日文庫


P228
メディアはいつもそうだ。白か黒の二者択一。そんなあなたたちが世の中をクレイマーだらけにしているのに、まだ気がつかないのか。日本人は今や一億二千万、総クレイマーだ。自分以外の人間を責め立てて生きている。だからここは地獄だ。まんな医療に寄りかかるが、医療のためになにかしようなどと考える市民はいない。医療に助けてもらうことだけが当然だと信じて疑わない。何と傲慢で貧しい社会であることか

P230
「地域医療の再建屋として名高い世良先生は、いわばご自身を悪性に対するワクチンだとでもおっしゃりたいんですか?」
世良は目を細めて、即答する。
「ワクチン?そんな生やさしいものではないですよ。私の存在は譬えれば抗癌剤です。健康体にとっては猛毒。私がこの地に招聘された幸と不幸を、極北市民はいずれ思い知ることでしょう」」

2012年2月5日日曜日

2012年1月22日日曜日

新IT医療革命

Team 医療3.0
アスキー新書


P22
考えながら動き、動きながら考える「考動力」

P218
「人は外発的に動機付けされても生産性は向上しません。自分の関心や楽しみが動機となって初めて、クリエイティブな活動ができるといえます。」

2012年1月21日土曜日

憂恋の花

浦嶋れいじ監督

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭出品作ということで、見に行った。
映画の前後にトークつきの企画。

「憂恋の花」ってのはアジサイ。
アジサイの花言葉は「移り気」。

2012年1月19日木曜日

びんぼう君

五反田団
アトリエヘリコプターにて。
ままごととか人形遊びって全力だと面白い、ということを知る。

2012年1月18日水曜日

首長パンチー最年少市長GABBA奮戦記

樋渡啓祐ひわたしけいすけ
講談社


総務庁キャリア。
武雄市長。
日本ツイッター学会会長。
地域医療ー公立病院を民間移譲。

2012年1月4日水曜日

小笠原旅行(4泊5日) 2011年12月29日−2012年1月3日

年末年始は小笠原に行って来た。
職場関連の友人2人と。

小笠原は東京から南に1000km。
距離的には東京から北海道、緯度的には沖縄と同じ。
空路はなく、船便しかない。 船便は「おがさわら丸」という船で、25時間半かかる。
「東洋のガラパゴス」と呼ばれ、固有種が多く、そんな感じで(←テキトー)2011年6月に世界自然遺産に登録された。
 

(おがさわら丸) 

1日目(12月29日)〜出発『おがさわら丸』〜

船は朝10時に出発。
なので9時に竹芝桟橋に集合しました。
船の名は「おがさわら丸」です。
席は一番安い「2等和室」。
とはいえ、11月7日予約するのに1時間近く電話してようやくつながった経緯があります。
料金は片道25,000円前後。
席というか与えられた場は、身を縮めて横になるのがやっとで、とはいえ足も曲げなければならないスペースしかありません。
そこで25時間半も過ごすのかと思うと、自然と「奴隷船かい」という言葉が口から出る状況でした。
後になって知るのですが、通は荷物だけそこにおいて、船の空きスペースに敷物を敷いてそこで過ごすことがわかりました。
当然ながら、私も寝る時は2等室にいて、起きているときは船内散策や、船の空きスペースでビールを飲んだりして過ごしました。
酔い止め薬は飲みませんでした。
行きはほとんど揺れなかったので、正直「なんとかなる。いける」と思っていました。
これが、帰りの船で痛い目を見ることになります。



2日目(12月30日)〜到着。父島。〜

予定通り、25時間半で父島の二見港に到着しました。
港では滞在先の宿の店主が、看板を持って迎えに来てくれていました。
車ですぐのところに宿はありました。
いわゆるペンションの作りで、我々の部屋は6畳一間。
3人にしては少し狭いが、繁忙期なので仕方がありません(ちなみに情報通によれば、GWと年末年始が最も混むのだということです)
その後、二見港近辺のメインストリート大村を散策。
昼食を食べて、小笠原名物のビーチサンダル・ギョサンを買いました。

午後はツアーに参加。
『戦跡ツアー』です。
小笠原は第2次世界大戦の舞台ともなっており、山には壕や砲台があります。
それを巡るツアーでしたが、ガイドのおじさんが怒鳴った事のほうが記憶に残っています。
我々3人の他に、もう2組参加者がいました。
1組だけ、予定の時間になっても現れず、最初はニコニコしていたガイドさんもだんだんイライラしていくのがわかりました。
迎えに行った場所にいないことがわかるとついにブチ切れました。
「そこを動くな!」
携帯にシャウトするやいなや、車は猛スピードで坂道をぶっちぎります。
私は島というのは、おだやかで、ゆるやかな「島時間」なるものが存在すると想像していましたが、予想を裏切られました。(ちなみに10月に伊豆大島に行きましたが、そこの料理屋は注文してから1時間してから料理が出てきたりしました。あと、一回目を聞きそびれてしまったらしく30分後にオーダーを聞いて来ました)
遅刻者達がこっぴとどく怒られたのはいうまでもありません。
「あー、遅れなくて良かった」
心底、そう思いました。

ツアー後、宿でひとっ風呂浴びることに。
と思ったら、シャワーが冷たいままです。
そうこうしているうちに、水すら出なくなってきました。
完全に止まるのではなく、ちょろちょろ出ていたので、それで何とかしました。
いやあ、前途多難です。


3日目(12月31日)〜ダイビング。カウントダウン。〜

小笠原は沖縄と同じ緯度にあるといえ、一応冬ですから、朝と夜はそこそこ冷えます。
昼間は半袖でも大丈夫ですが、風があると寒いです。
その寒さをダイレクトに感じたのが、このダイビングの時でした。
前日のガイドさんのブチ切れもあったので、ビビリがちな私達は8時半集合のところを8時過ぎには到着してしましました。
「早すぎるよー」といって、朝食の箸を止めてニコニコして出てきたのがダイビングのガイドさんでした。
怒られなさそうなので、とりあえずほっとしました。
私は高校の修学旅行で、沖縄でダイブ経験があります。
といっても全部忘れています。
でも、何とかなりました。
ネムリブカという、おとなしいサメも見ることができました。
ただ、水は冷たく、船に待機している時の寒いこと。
とにかく風が強いのです。
14時くらいに終わり、真っ先に宿の風呂に飛び込みました。
シャワーのお湯が出ました!
当たり前のことに喜びを感じる一幕でした。
ただ、お風呂は熱湯コマーシャル並の熱さというおまけ付きでした。

夜はカウントダウンイベントに参加。
島名物ラム酒や、カップそば、暖かいコーヒーなどが無料で配られていました。
年越しの瞬間には花火も盛大に打ち上げられていました。
そのまま、初詣に。
神社がありました。
おみくじは「吉」。
一緒に行った三人とも「吉」でした。
酒入りの甘酒に程良くよって、いい気分で宿に帰りました。


4日目(1月1日)〜NHK中継。ナイトツアー〜

朝から年明けイベントに参加。
NHKの中継がありました。
海岸に女優のとよた真帆さん、めちゃイケに出てるらしい敦士さんがおりました。
(注:正直、私も普段テレビを全く見ないので、最初は「アツシ」って誰だよ。とか思ったりしてしましました。でも、島にいるとあらゆるところで「誰あいつ?」みたいになってしまっていて、敦士さんがかわいそうになってきました。ごめんなさい、敦士さん。モデルやっているとだけあって、背が高くてかっこいいです。リンク貼っておきましょう。)
敦士さんのオフィシャルブログ 
wikipedeia

話がそれました。
最初のNHKの中継は海岸での「日本一早い海開き」というもの。
数年前の私なら絶対に参加していましたが、「濡れるの嫌だし、私はちょっと」という老化による消極的な姿勢により見学者に徹しました。
でも、ミーハーなので「テレビ映んねえかな」と密かに興奮してしまいました。
たぶん映ってません。
時間をおいて、続いての中継は「ウミガメの放流」です。
また「テレビ映んねんかな」と思いましたが、たぶん映ってません。
(NHK中継の様子)


夜はまたツアーに参加。
「ナイトツアー」というものです。
オガサワラオオコウモリという天然記念物やヤドカリを見に来ました。
夜になると緑色に光る「グリーンぺぺ」というキノコは寒いため見れませんでした。

あ、夜寝る前にバーに行って、「ウミガメの刺身」と「ウミガメの唐揚げ」を食べました。



4日目(1月2日)〜島最終日。ホエールウォッチングのはずが大しけ、でも南島上陸〜

朝からツアー。
朝食時にそのガイドさんから電話。
「海荒れてるけどどうする?」
「やめたほうがいい」ということなのかわかりませんが、とりあえず「行きます。よろしく」と答えておきました。

案の定、しけていました。
並に高さは3,4メーターとか。
潮が満ちているのと、風が突風のように強いので、晴れているとはいえ、大荒れの様相です。
私、個人的にはホエールウォッチングは一番楽しみにしていました。
ここでも他の2組と合同でのツアーでしたが、その中の一組はホエールウォッチングに「3度目の正直に期待」とおっしゃってました。
ただ、しけています。
船に乗るやいなや、誰も「ホエールウォッチング」を口にすることはありませんでした。

それでも、観光名所の南島に行きました。
この島は環境保護が徹底しており、ガイドさんと一緒でないと上陸はおろか島内でも行動ができません。
なかなかの景色でした。
(南島)

この南島から戻る時の船が本当に大変でした。

私は船の頭のほうにいたのですが、気を抜くと振り落とされそうになるくらい揺れます。
波はかぶるは、打ち付けられるはで、これが荒波の海か、と感心したものです。
ちなみにこの時のガイドさん(船長)、あとから聞いたのですが島一番の飛ばし屋とのこと。
どおりで「波たけえからゆっくりいくぞ」と言いながらスピードをあげていたものだと合点がいきました。

そして、午後2時に帰りの船が出発です。
もちろん「おがさわら丸」。
与えられた場所は狭いです。
ですので、階段脇のスペースを確保(実際に座れるのは出港後1時間くらいしてからです)。
ですが、まさか同じ場に24時間も寝続けることになるとは思ってもみませんでした。
揺れるは揺れる。
出港後すぐに、外に出れないように封鎖されました。
窓から覗くと、波を被りまくっています。
外に出たら危ない。
大型船とはいえ、大きく打ち付けられる。
この浮揚感が、船酔いをもたらしました。
揺れのせいもありますが、立っていられません。
次第に横になってないと気持ち悪くなってきます。
だんだん動けなくなってきます。
起きてると気持ち悪くなってきます。
あとはひたすら寝るしかありませんでした。
時折、打ち付けられる衝撃に目を覚ましながら。
24時間私は、食事もせず、トイレに立った2回以外はひたすら寝続けました。


5日目(1月3日)〜東京帰還。旅終了〜

大島が見えるあたりでは揺れは大分収まっていました。
そこでようやく身を起こし、座る姿勢をとれました。
ゴザを敷いているとはいえ、ほぼ床に寝たも同然。
体が痛みます。

やがて、船内アナウンスで、元の位置に戻れとの指令。
みな、引き上げていきます。
あとはぐだぐだ過ごしてたら無事竹芝桟橋につきました。

ちなみに前日の大しけの中のツアーのため、靴が濡れてしまったため、サンダルで家まで帰りました。

(おしまい)

2011年12月3日土曜日

ライフネット生命社長の常識破りの思考法 ビジネスマンは「旅」と「読書」で学びなさい!

日本能率協会マネジメントセンター


日本各地をヒッチハイクで巡った時にも、本を携えていたことを思い出す。
夜の瀬戸大橋を渡った時には江戸川乱歩を読んでいたのが印象に残ってる。

齋藤孝のざっくり!日本史

齋藤孝
祥伝社黄金文庫

2011年8月17日水曜日

結婚式

大学の先輩の谷さんの結婚式に参加。


場所は池袋の劇場。
谷さんらしい。

途中から参加したが、余興とか面白かった。
あんなに演劇や笑いにあふれた結婚式はなかなかないのではないか。
最後、一応新郎新婦の親御さんのご挨拶、新郎新婦当人のご挨拶があった。
ここはまあ真面目にいくのねと、油断してたら、思わず感動して涙が出てきてしまった。
田中カヨコさん(新婦の母。おぼえてしまった)は鳥取訛りを交えて話すもんだから、ぐっと心を捕まれてしまった。


心が洗われました。

2011年8月14日日曜日

夢を形見に

川崎和男


久しぶりに川崎先生の本を。

2011年8月12日金曜日

走ル

羽田圭介


二年前にこの本を読んで、ママチャリで伊勢神宮に行った。

2011年5月4日水曜日

マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一

猪瀬直樹

僕の青春放浪

猪瀬直樹

【動画】奥多摩登山

ちゃちゃっと編集。


2011年5月1日日曜日

登山

約一年ぶりに登山。
朝7時半に立川駅集合なので、あまり集まらないと思ったら結構集まった。

奥多摩駅からバスを使って途中まで行き、川苔山というところを目指した。
人はほとんどいなかった。
沢がとてもキレイだった。










2011年4月17日日曜日

作家の誕生

猪瀬直樹

作家という「職業」の成立史。
当たり前だけど太宰も三島も昔から神聖視されていたわけではない。
当然身を立てるための葛藤やら駆け引きという人間臭い事をしていた。
文学史は作品だけ読んでもわからない。
こうした生活者としての面も捉える事で理解が深まるのだと思う。

2011年4月10日日曜日

ミカドの肖像

猪瀬直樹

名前が「ミカド」ということでアメリカの小さな街まで取材に行く行動力。

2011年3月22日火曜日

北京仙人



2011年3月21日月曜日

小論文の書き方

猪瀬直樹

p377
「祭の要素を分解して示せば、集団であること、肉体の衝突による危険とその回避、共生感のある昂奮、厳粛さと死の匂い、終りがあること、などであろうか。祭の後には、これまでの自分とは別の自己と向き合っている。他者を発見しているからだ。大人になるとはそういう独立心を獲得することではないか。」

2011年3月20日日曜日

松田聖子 瑠璃色の地球



2011年3月10日木曜日

医療再生はこの病院・地域に学べ!

平井愛山、神津仁ほか
洋泉社新書


8つの医療再生の成功モデル。
村上智彦を目当てにこの本を買った。

村上スキーム。
徹底して依存体質を批判する。
目指すところは、「普通の医師が、疲弊しないペースで普通に働いていける環境を作ることが、安定した地域医療を長く続けるポイント」となる。
さらに「誰かの犠牲の上で成り立つ医療は、もう終わりにしてもいいのではないか。」と意識革命を求める。
夕張の破綻の原因。
�問題の先送り
�責任転嫁
�知る努力をしなかった
とバッサリ。

2011年3月9日水曜日

芸人学生

そのまんま東

二文を出て、早稲田政経に入るまでの話。

2011年3月7日月曜日

村上スキーム

村上智彦

ニーズとウォンツの区別。
欲望なり強欲の類はウォンツ。
これを聞き入れるから医療崩壊してしまうのだと。

P262
村上医師がめざす地域医療のかたちは、カリスマ医師を必要とせず、「普通の医師」がだれでも行える予防医療やプライマリケアの仕組みをつくることである。
…彼は医師法第一条の正当なエージェントなのである。


参考
医師法第一条
医師は、医療及び保険指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする。

2011年3月5日土曜日

人生を劇的に変える東国原式勉強法

東国原英夫

メモ魔らしい。

ノートの使い方
右ページ 板書とか
左ページ 疑問に思ったこととか

僕が見たアフリカの国 セネガル見聞録

上野庸平

アフリカ、言葉では知ってるが中身は知らない。
アフリカといってもアジアと同じ様に、国ごとに大きく異なるはずだ。
セネガルについての本。
異次元といってもよい世界。
ペットの話とかストリートチルドレンの話とか興味深いエピソードがたくさんあった。

2011年2月27日日曜日

初マラソンー東京マラソンー

タイムは5時間16分23秒であった。
http://p.tokyo42195.org/numberfile/39294.html
トイレ(1回だけ)、給水、給食以外では歩かなかった。
たらたら走りだけど、歩かずに走りきった。

20キロ過ぎたあたりで、足が重くなった。
そこからはあと何キロかを意識しすぎて、なかなか減っていかない。
1キロってこんな長かったか、42キロって長すぎる、などネガティブ思考に陥りそうになる。
学校の授業やアルバイトで、時間を意識しすぎて何度も時計をみてしまい、ちっとも時が経たない感覚に似ている。

とはいえ、走り切れたのは、普段は経験できない道路の真中を走る喜び、ちょくちょくある給水や給食であった。
給食はバナナを食べた。
走っていても意外と空腹を感じるもので、とても美味しかった。

さらには沿道の応援の声。
これはとても心に響いた。
みなさん、ランナー心理を熟知しているかのように巧みな応援をしている。
これがなければ走りきれなかっただろう。
紙に書いた応援もあって自分の中のヒットは
「なんでエントリーしたの?」(←ちょっと後悔している心理を巧みにつかれた)
「つらいのは気のせいです」(←終盤バテバテの中、面白くて笑ってしまった)

42.195キロはとても長かった。
ついエントリーしてしまった6月のサロマ湖ウルトラマラソンは100キロだ。
とんでもないことをしてしまったと、今さらながらに気づいた。



2011年2月13日日曜日

赤羽ハーフマラソン

荒川河川敷


向かい風できつかった。
タイムは二時間十分。

何度も歩くという誘惑が。
でも歩かなかった。

(追記)
前回のハーフマラソンから一ヶ月。
しかも前回は初ハーフマラソン。
この時はあっさり走れたので、今回はもっと楽に走れると思いきや大違いだった。
足が重かった。
つらい、あと何キロだ、という気持ちのままで走る時の辛さを身を持って感じた。

2011年2月12日土曜日

限界自治 夕張検証 女性記者が追った600日

読売新聞北海道支社夕張市局編著

主に執筆者は若手記者の酒井麻里子という方なのだそうだ。
とても緻密に書かれており、読み応えがあった。
ところでこの酒井記者、写真をみるとワセミの長倉素子先生に顔が似ていた。

復活!ゆうばり映画祭

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭実行委員会編
北海道新聞社刊

ストーブパーティってのにすごく興味がある。

2011年2月8日火曜日

お昼

「お昼は400円まで、基本、駅前の立ち食いそば」という生活を送っていたが、2月から改めている。
そう、東京マラソンに向けてだ。
今は「さくら水産」のランチ500円に毎日通っている。
ランチメニューは3種類だが、なんとご飯、味噌汁、卵、ノリがおかわり自由。
とりあえずお替わりする。
少食なのでちょっと無理している。
だが、おかげで走るとき、明らかにスタミナが違う(気がする)。
ちなみに職場のお昼当番の日は、混雑タイムから外れるのでSAPANAというインドカレー屋に行く。
インド本場の味に近く、ギラギラしたエネルギーを貰える。
こちらもナン、ライスのおかわり可能。
締めのチャイも絶品である。

2011年2月7日月曜日

2011年2月6日日曜日

幸福の黄色いハンカチ

山田洋次監督。

高倉健
武田鉄矢
桃井かおり

夕張 破綻と再生

保母武彦、河合博司、佐々木忠、平岡和久

2011年2月3日木曜日

消費生活アドバイザー

本日、結果発表があり合格していた。
既に同種の資格の相談員試験も合格しているので、受かってたらラッキーだなと思っていたが、やはりほっとする。
合格率は二割くらいなのだそうだ。

比較的マイナーな試験なので、情報集めには苦労した。
ネットには大変お世話になった。
少しでもお役に立てればと思い、メモしておく。

時間軸でまとめておく。
7月下旬 出願

9月上旬 勉強開始

10月上旬 一次試験(選択問題)←会場:昭和女子大の入り口がわからず遅刻する

11月上旬 試験結果発表(一次試験)

11月下旬 土曜 二次試験(論文3つ)←消しゴムを忘れる。コンビニで買う。一安心して試験に臨む。そしたらシャーペンの芯が先っちょだけしかなくてかなり焦る。筆圧を軽めに書く。
日曜 二次試験(面接)

2月上旬 結果発表(二次試験)


◯使った参考書
過去問
産業能率大学の想定問題
くらしの豆知識
分厚い辞書見たいな対策本


◯一次試験の勉強法
対策本の問題のところを解く。間違えたところはチェックしておく(ほぼ全問間違えた。まぐれ当たりは間違いに換算)。
二周目は間違えたところだけ解く。同じく間違えたところはチェック。
三周目も同じ要領で。

過去問、想定問題
対策本と同じ要領で繰り返し解く。答えを覚えてしまうくらい繰り返す。


◯二次試験の勉強法
対策本は重いし、分厚いので、ほとんど使わなかった。
通勤時間とかにくらしの豆知識を読む。
特に数字とか覚えるように心がける。
あと、一つの話題に対して番号を3つふってポイントとして押さえる。
ネットに載ってる論文をみて構成を参考にする。
私の場合は書かなきゃな書かなきゃなと思っているうちに本番を迎える。
結局、一回も論文を書かなかった。
面接対策は志望動機、資格とったらどうしたいか、最近の気になる消費者問題を考えておいた。


◯勉強時間
一次試験
一ヶ月前から一日二時間くらい。

二次試験
半月前から一日一時間くらい。


◯不安だったこと
対策本の分厚さ。
範囲の広さ。
ネットに登場する受験生の勤勉さ。


◯終わってみての感想
対策本はほぼ一つ。だけど、必ずしも使う必要はないと思います。過去問がやはり1番。

範囲は広いが全てマスターする必要はない。繊維とかわからないものはわからない。ただし、得意分野を作っておくと精神的に有利。私の場合は、消費者問題。

ネットに登場する方の中には、二年目の挑戦者もいて、気合が入っている。論文とか人に見てもらったりの正攻法で勉強している。私は結局事前に一回も書かなかった。文章を書くのは決して得意ではない。ただ、形式だけは意識し、あとは本番の馬鹿力で書き上げた。

2011年2月1日火曜日

未来工業

毎回社長をゲストとして呼び、村上龍がお話するカンブリア宮殿。
未来工業の回は面白いとのオススメや評判を聞いて、見てみた。

未来工業の社長は元劇団やってた演劇人。
タイムカードと残業はなし、休みと給料はたくさんある。
「常に考える」っていう社是を日常的に実践するために(身体で覚えるために)、アイディアを提案すればとりあえず500円もらえる。
採用されればもちろんまたお金がもらえる。
夢のような会社。

身体で覚えるとか一種の職人気質があるのかと思う。
例えば、ケチを身体で覚えるための手段。
各人の机の上には蛍光灯があって、スイッチのひもには名札がついている。
ほんとうは蛍光灯はこまめにきるとかえって電気代がかかるのだが、節約ということを実感する上ではこまめにけす習慣がついた方がいいとする。


あと、村上龍とのトークの中での社長は「わからない」には潔さを感じた。
変に繕わず、見栄もはらずに、わかんないものは「わからない」と言い切ってしまう。
人間なんて「わかんない」。
その自覚がこの社長を社長たらしめている。