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2014年8月20日水曜日

日本人のための「集団的自衛権」入門

石破茂
新潮社、2014年

親知らず

昨日8/19から、親知らずを抜いたところが腫れて痛む。右下の奥である。痛みのため、よく眠れなかった。夏に眠れないなんて、蚊に起こされるくらいしか思い当たらない。
バファリンとか飲めばいいのか。
痛いと集中力が欠けてしまうので困る。

2014年6月22日日曜日

これまでの読書の振り返り

本を読むと心が豊かになるか。
ならないと思う。

私は結構本を読んできたが、心は豊かではないと思う。
それは、読む本にも原因があるのかもしれない。
そこで、これまでの読書を振り返ってみることにする。

私の最も古い記憶は幼稚園くらいまでしかない。
三島由紀夫は産湯に浸かって頃を記憶していたというが、本当だろうか。


【幼稚園】
「昔話」の絵本を読んでもらっていた。
幼稚園の図書室で「おしいれのぼうけん」を借りた記憶がある。他にも「ぐりとぐら」とかを読んでいた気もするが、記憶がない。

【小学校】
低学年(←この言葉の響きが懐かしい)は、「エルマーの冒険」は流行っていたので読んでいた。ワニが出てきてたのを覚えている。展覧会で紙粘土でそのワニを作成した。歯のところが難しかった。
中学年(←こんな言い方があったっけ? 中学と紛らわしい)では、コロコロコミック(月刊の漫画雑誌)を買いだした。ミニ四駆情報を得ていた。
「(タイトル忘れた)」野球少年だった私は野球の本を好んで読んでいた。当時はそのモデルが誰なのか知らなかったが、高田繁(元巨人軍V戦士、横浜ベイスターズGM)の少年時代の話が記憶に残っている。二年連続で読書感想文を書いたら、二年目に何かに掲載された。
教科書に載っていた「モチモチの木」は、学校の課題で一日一回以上読むことになっていて、母親の前で読んでチェックをもらっていた。そのためか、丸暗記をした。この頃が、記憶力のピークだったのかもしれない。
そして、何と言っても「ズッコケ三人組シリーズ」である。中身は全く覚えていないが、よく読んでいた、また寝る前に父親に読んでもらっていた記憶がある。
また、なぜか山下清の伝記についても寝る前に父親に読んでもらっていたが、父親がなぜか飛ばしながら読むので、全く頭に入ってこなかった。そのことを指摘すると、私が寝ていたせいにされた。あれは父親が読みながら寝ていたから、飛ばし飛ばし読んでしまったものと解釈している。
高学年では、イチローの関連本ばかり読んでいた。

【中学校】
読書感想文でダウンタウンの浜田の「読め!」を扱ったら、教師に苦い顔をされた。当時はバス釣りが流行っていたので、今江克隆プロの本をバイブルのようにして毎日読んでいた。また、サッカーワールドカップで日本が初めて出場した。中田英寿の「中田語録」は中3の時にカバンの中に入れて持ち歩いていた。

【高校】
中学時代の国語の便覧がこの頃のバイブルになっていた(なお、大学に入学するまでバイブルとなっていた)。
学歴を初めて気にしたのもこの便覧のせいである。
文学史に名を刻む作家たちはほぼ東大か早稲田だった(本当はそれ以外にもいるが、当時はそう思い込んでいた)。
東大は無理そうだったので、とりあえず早稲田を目指そうと思った。
谷崎潤一郎が運動オンチということを知ったのも便覧だった。
そこで、文学青年になろうと急に思い立ち高一の夏休みに徹夜で太宰治の「人間失格」を読んだが、眠くなって後半は字面を追うだけになってしまった。とはいえ、ゆめうつつで読んだため、変に夢の中と行き来してしまい、しばらく誤った「人間失格」像をもってしまうことになる。なぜか、ファイナルファンタジーⅥと麻薬で精神病院入れられる人という記憶になっている。
高2から河合塾に通ったが、古典の先生の授業が面白く、日本の古典に興味をもった。とりあえず「あさきゆめみし」(源氏物語の漫画)を読んだ。古典の授業は土曜日にあり、授業後は毎回立川のオリオン書房に行くのが恒例になった。毎回4時間位滞在し、5千円くらい本を買っていた。村上龍を読みだし、ハマっていた。基本的には中学の便覧に載っていた作家の本を買っていた。
爆笑問題のラジオを聴くようになり、太田光が進めていた本は大体買った。亀井勝一郎「青春について」が太田光の青春時代のバイブルだと知り、探したが見つからなかった(絶版だった)。
司馬遼太郎は寝る前に読むと、すぐに寝ていた。本の厚さのわりに字が大きかったり、改行ばっかりのため意外と読み進めることができた。竜馬がゆく全8巻を読み終えたことで、本を読むことに対して自信がついた。
気づけば本ばかり読んでいて、受験勉強はしなくなっていた。そして、午前中の授業ないらしいぞという理由で受けた早稲田の社学を受験し、落ちた。

【浪人時代】
筑摩文庫から出ている夏目漱石の全集を読むことに決めた。
日本史は司馬遼太郎を読むことで、勉強に代えることとした。
明治大学の教授齋藤孝が「読書力」という本で、とりあえず文庫50冊、新書100冊読みなさいとのことだったたので、従うことにした。
また、齋藤孝の影響で3色ボールペンで線を引きながら、本を読み出した。齋藤メソッドによれば、赤は一番重要なところ、青は次に重要なところ、緑は主観的に面白いと思ったところに線を引く。よくわからなければとりあえず線を引きなさいとのことだったたので、ほぼ線を引きまくった。ただし、それは前半だけで、後半は線を引くことを忘れ、まっさら状況になっていた。私は覚えが悪かった。
結果として、合計200冊くらい読んでいた。この頃は、「ドストエフスキー」をド「フ」トエフスキーだと思い込んでいたが、「罪と罰」の新潮文庫版を読んでいたら、急に目が悪くなった。そこからメガネになった。
なお、この時期に映画を300本くらい観た。

【大学時代】
演劇学専攻だったので、この時期に初めて戯曲を読んだ。
最初のテキストは「オイディプス王」だった。シェイクスピアでは最後の作品と言われている「テンペスト」を読んだ。
ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、セルバンデス「ドンキホーテ」、サリンジャー「フラニーとゾーイ」など、海外の文学にハマる。
「いやあ、私は英米文学を専攻していまして、いつもヘミングウェイ、ヘミングウェイって言ってるんですよ」と初対面の時に言われ面食らったが、その鬱陶しい奴がやがて親友になった。
文学を語れる仲間もでき、とりあえず、村上春樹ってダメだよね、みたいなことを言っていればそれなりですみたいな状況にいた。

【就職浪人時代】
なぜか東野圭吾にハマりほぼ読破する。犯人を教えてくれない作品があって、今だに私はわからないままだ。
勝間和代を一応押さえておいた。

【社会人】
猪瀬直樹氏に怒られたことがきっかけで、猪瀬直樹作品にハマる。
「唱歌の誕生」以外はほぼ全て読んでいる(これから読もうと思った時に氏は知事を辞任した)。
代表作「ミカドの肖像」は電子書籍バージョンでも読んだことが印象深い。
そして、生まれて初めて参加した読書会での作品も「ミカドの肖像」だ。
「小論文の書き方」という新書があるが、ほぼ中身が「小論文の書き方」ではないことに驚いたこともいい思い出だ。

最近は気づけば新書ばかり読んでいる。古典は全く読んでいない。一度、20世紀最大の名作と言われる「失われた時を求めて」を読破しようとしたが、全13巻のうち1巻だけしか読まず、結局うまいことまとまっている新書を読んで、分かった気になっておこうということをしてしまった。

2014年6月1日日曜日

論点思考

内田和成
東洋経済新報社、2010年

 BCGと聞けば条件反射で「ハンコ注射」を思い出し、続いて「ツベルクリン反応」の単語を連想してしまう私はビジネスマンとしては失格であろう。そのようなビジネス音痴な私の対極に位置するのが、BCGの日本代表、そしてシニアアドバイザーを歴任した内田氏である。ご承知のとおり、BCGはボストン・コンサルティング ・グループの略称であり、世界的に有名なコンサルティング会社である。本著は内田氏の豊富なビジネス経験から培われた思考法が紹介されている。

 ビジネス音痴の私であるが、BCGがコンサルティング会社であることは知っていた。それは、例えば自己啓発本の分野では著名な岩瀬大輔氏の出身会社であるからだ。また、これまた自己啓発本の分野では著名な勝間和代氏がコンサルティング会社として有名なマッキンゼー出身であることも知っている。学歴と同じように、これらのコンサルティング会社出身であることが、有能であることの社会的なステータスになりえているのは何となく伝わってくる。例えば、前述の岩瀬氏は開成出身、東大出身、司法試験合格、ハーバードビジネススクール出身と並べてBCG出身として認知されている。絵に書いたようなエリート経歴の者が選ぶ就職先、それがコンサルティング会社なのである。

 さて、著者の内田氏自身が述べているように本著は「問題発見に力点を置いた本」(P233)である。また、本著のタイトルでもある「論点思考」とは、「『自分が解くべき問題』を定義するプロセス」(P31)である。なぜ、問題を定義することが大切なのか。それは学校での試験とは違って、「ビジネスの世界では誰も『あなたが解くべき問題はこれである』と教えてくれない。上司がいても、本当に正しい問題を与えてくれるかどうかもたしかではない」(P31)からである。正しく問題を定義した上で問題を解決しなければビジネスでは成果を上げることはできないのである。また、もちろん、これはビジネスの世界だけにはとどまらない。例として挙げられているのは元ニューヨーク市長のジュリアーニ氏の行政分野での取組である。ジュリアーニ氏はニューヨークの治安回復に大きな成果を上げた人物である。ジュリアーニ氏は次のように「論点思考」を行った。「いきなり凶悪犯罪を減らすことはできないし、それより小さな犯罪を徹底的に取り締まったほうが簡単だし、結果として街が安全になる。」建物の窓が壊れているのを放置したままにするとそれが関心の低さのサインとなり、犯罪を誘発するという割れ窓理論に基づき、ジュリアーニ氏は軽微な犯罪も見逃さずに取り締まった。結果として、在任期間中、ニューヨーク市の殺人事件は3分の2に減り、全体の犯罪件数も約半分になったという。

  本著はビジネスに限らず、行政分野でも十分応用可能な思考法を教えてくれる。俗な言葉でいえば、「仕事のやり方」ということになろうが、どんな世界でもやはり一流の人間の方法は真似したくなるものである。そうした意味でも仕事について改めて問い直しを行い、これまでの自分の仕事の仕方について反省をする良い機会となった。

2014年5月1日木曜日

2014年4月18日金曜日

はなぼん

花井裕一郎
文屋、2013年

 図書館は一種のサービス業である。そのサービス業に「もてなす」という精神を重要視したのが「まちとしょテラソ」であると感じた。著者は「もてなす」ことを、「『以って為す』。自分の持てる物や発想、能力のすべてを駆使して、目の前にいる大切な人を喜ばせるために、またその人がより輝き、幸せになるために、全力を尽くし、自らは黒子に徹すること」であると捉えている。
 「仏作って魂を入れず」ではないが、図書館の善し悪しを決めるのも。詰まるところそうした基本的なことなのかもしれない。どんなに立派な建物で大量の蔵書を抱えていても、図書館員の対応が悪ければ図書館自体の印象も悪くなってしまう。また反対に一部に「無料貸本屋」との批判のある公共図書館でももてなしの精神があれば、本を貸すだけではなく、行けば元気になるというような「体験」も提供できるのであろう。
 しかし、著者の肩書が「元館長」となっていたので気になったことがある。そうした精神的なものが継続的に提供できるのか、という問題だ。もちろん、小布施は年間120万人の来訪者が訪れる町であり、それは葛飾北斎を魅了したように江戸時代からもてなす文化が町民に根付いてはいるのだろう。だが、図書館を一公共施設として捉えた場合、一定のサービスの水準が求められる。組織として運営する以上、ある程度はシステム化せざるを得ない部分があろう。館長が代わっても、もてなす図書館は健在なのか。現場に足を運び、現場で呼吸をして確かめてみたい。

2014年3月15日土曜日

内閣総理大臣 ーその力量と資質の見極め方

舛添要一
角川書店、2002年


95頁
「私は、ギリシア悲劇とシェークスピアが政治学の最大のテキストであると信じている。そこに書かれてあるのは「生身の人間」である。そして、人間とは、また人間関係というのは、ギリシアの昔から変わっていないことを知る。」

ムーバスの思想 武蔵野市の実践

土屋正忠
東洋経済新報社、2004年

愛の渦

監督 三浦大輔
テアトルシネマ新宿

2014年2月23日日曜日

母に繦をあてるとき

舛添要一

繦(むつき)とはオムツのこと。
舛添さん曰く政治の原点という母の介護。

家族崩壊の叙述とか賛否両論はあろうが、私らこの本を読んで、舛添さんのファンになってしまった。
口述筆記の本も多いらしいけど、可能な限り、全部読もう。

2014年1月18日土曜日

2014年1月13日月曜日

東京育ちの東京論

伊藤滋
PHP新書、2002年

155頁、図11
新宿副都心(新宿駅の西側)
亜流の丸の内

2013年10月29日火曜日

丹下健三 一本の鉛筆から

丹下健三
日本図書センター


日経新聞「私の履歴書」をまとめたもの

2013年10月15日火曜日

最後の恋 MEN'S つまり、自分史上最高の恋

朝井リョウ
伊坂幸太郎
石田衣良
荻原浩
越谷オサム
白石一文
橋本紡
新潮文庫。

2013年9月27日金曜日

踊りませんかーー社交ダンスの世界

浅野素女
集英社新書

バレエがダンス芸術の王道ならば、社交ダンスは民衆文化。
演劇で言うところの、歌舞伎と小劇場みたいな関係。
ちょっと違うか。


「…ワルツは愛の成就を、タンゴはその後にやって来る衝突や失望や嫉妬を表している。さらにスローフォックスは、争いや衝突を経て再び一体感を取り戻したふたりの愛の深まりを表現していると言われる。スローフォックスから感じ取られるひずみのないハーモニーややすらぎは、試練を乗り越えた果てにようやく辿り着くことのできる、カップルのおる境地を示しているのかもしれない。」94頁

2013年9月25日水曜日

バレエの宇宙

佐々木涼子
文春新書

プルースト研究家によるバレエ入門書。

2013年9月23日月曜日

風立ちぬ

宮崎駿
吉祥寺オデオンにて

3回目の観劇。
うち2回は立川シネマシティで観たのだが、あそこは音響のよさが素晴らしいと改めて感じた。
ドルビーではなく、SONYの4Kとか(4Kって映像の規格ではないのかな。高画質の)。

さて、3回目の観劇だが、今回は事前に堀辰雄の「風立ちぬ」と堀越二郎の「零戦 その誕生と栄光の記録」を読んだ。
基本的に映画は宮崎駿がこの二冊から着想を得て再構築したフィクションだということを認識。
宮崎駿ってややっぱり想像力や粘り強さ(一手間かける気力)がすごいなと思い続けていて、あまり映画に集中できなかった。
あと風立ちぬっていう映画は「矛盾」に満ちた映画だということを感じた。
戦闘機好きの戦争嫌いの宮崎駿。
それをそのまま、葛藤とかも含めて表現してしまう。
だからこそ、割り切れない、すっきりしない部分もあるんだけども、矛盾に満ちたまま描く表現力。
引退会見とかでも「この映画に込めたメッセージは」という質問に「映画をみてください」と返しているのは、一言でいえる類のものではないからなのだろう。
もっとたくさん映画を作って欲しいです。

東京問題の政治学

土岐寛
日本評論社

こちらも2週間前くらいに読了

学生時代にやらなくてもいい20のこと

朝井リョウ
文藝春秋

2週間前くらいに読んで、ショックを受けた。
この人の才能は驚異である。
学生時代に同じようなことを思ったり、やったりしていたけれども、こんなに生き生きとユーモア満載で表現できるなんて。
こんな友達がいいな、とも思わせる文章。
ああ、ショックだ。

2013年9月18日水曜日

2013年9月14日土曜日

プルーストを読むーー『失われた時を求めて』の世界

鈴木道彦
集英社新書


これを読んで大分プルーストがわかった気になってしまった。
かいつまんで知るには最適。

本編もちゃんと読まないとダメだろうか……。
また一巻半ば、全十三巻もある。
うう……。

自治体行政の領域 「官」と「民」の境界線を考える

稲継裕昭 編著
ぎょうせい

2013年9月9日月曜日

立候補

中野ポレポレ

泡沫候補のドキュメンタリー。
マック赤坂とか羽柴秀吉とか。
同じ選挙ドキュメンタリーでは、想田和弘監督の「選挙」ってのがある。
小泉旋風の時期の選挙で、夫婦ゲンカのシーンとか、選対の方に怒られたりするシーンが印象的だった。

やっぱり選挙に、政治に興味を持つならば(無理して、また日常生活のはけ口として興味を持つ必要はたぶんない)、選挙ボランティアが一番ではないでしょうか。
同時に私は、日々の日常生活を大切にしようと思いました。

2013年9月8日日曜日

東京オリンピックの開会式の演出家

2020年は東京オリンピックとなった。
賛否両論あるかもしれないが、とりあえずやることは決まった。
私の関心事は誰が開会式の総合演出をするかだ。

もはや北野武と宮崎駿の両名を除いてはいない。
個人的にはキタニストなので、北野武を推したいが、宮崎駿も「風立ちぬ」が素晴らしすぎたので、何とも言い切れない。

2008年の北京オリンピックは中国の映画監督・張芸謀、
2012年のロンドンオリンピックは英国の映画監督・ダニー・ボイル、
と映画監督で続いている。
現代において、総合演出に長けているのは映画監督においてない。

音楽に関しては、1992年のバルセロナオリンピックの開会式で指揮を担当した坂本龍一の起用もあるかもしれない。

いろいろと楽しみである。

2013年9月7日土曜日

NO DAMAGE

佐野元春のLIVE映画

エンドロールのサムデイ以外一曲もわからなかった

2013年9月6日金曜日

マルセル・プルースト「失われた時を求めて」(集英社文庫・鈴木道彦訳)を読んで(P247まで)

「20世紀を代表する文学」として名高いマルセル・プルースト「失われた時を求めて」を読んでいる。
この本はジェームズ・ジョイス「ユリシーズ」と並んで、20世紀を代表する文学とされている。
が、実際に読んだことがある人には出会ったことはないし、私も数々の文学作品を紐解いてきたがなかなか手をつけられなかった。
とにかく長いのである。
私の読んでいる集英社文庫でも13巻もある。
源氏物語よりも、戦争と平和よりも長い。
一度読みだした本は最後まで読む、をモットーにしている私にとっても、読みだすのにも勇気がいる。
今回、一緒に読んでくれる仲間をみつけて(3名)読みだした。

読みだしてみたものの、とにかく、頭に入ってこない。
もはや文字を追うだけになっている。
面白くもなんともない。
物語もよくわからない。
かの有名な「紅茶とマドレーヌ」のくだりは、急に光が刺したように(実際に「光」というキーワードが現れる)読みやすくなったものの、すぐに章が終わってしまい、また暗闇に突き落とされる。
これでは、先行きが大変不安なので、訳者の鈴木道彦氏が著した「プルーストを読む」(集英社新書)をという新書をまず読んで、骨格というが世界観を手っ取り早くつかもうと同時並行で読み進める。

救われたのは鈴木氏の次の著述である(上記書P12〜13「はじめにー私はどんなふうに『失われた時を求めて』を読んできたかー)。
「頼れる翻訳はなかったから、辞書を引き引きたどたどしくこの未知の領域に入り込んで行ったのだが、手探りで数ヶ月のあいだ進んでゆくうちに、あるときから私は、自分がいくらか馴染みの世界にいるような気がし始めた。そう思ったのはおそらく、その頃に私が抱えていた素朴な問題と関係があったのだろう。それは二十歳前後の者なら誰しも考える類のもので、つまり「私」とは何か、という問題だった。
この「私」は一つの呪縛だった。どこへ行っても、何をしても、たとえ一杯のコーヒーを飲んでいても、私は、これを選び、これをしているのは自分だ、という感覚の周囲を堂々めぐりしていた。確実なものは、皮膚に包まれていたこの肉体の内部に起こることだけで、他人の存在や考えは理解できない世界に思われた。しかも、皮膚の内部の「私」の考えることははなはだ利己的で、どんなに立派な文句を口にしても、他人のために気を使っても、さらには一文の得にもならない犠牲的な行為を敢えてしても、そこにはかならずいやしい計算が働いており、それが自分には隅々まで見えてしまう。だから「自己愛」や「虚栄心」をめぐるラ・ロシュフーコーの『箴言集』の考察は、私には容易に理解できたし、その一方でこのように見え透いた自分の姿は鼻持ちならないものだったから、「自我は嫌悪すべきでものである」というパスカルの『パンセ』の言葉も、ぐさりと心に突き刺さるものを持っていた。
こんなふうに「私」をめぐって思考にもならない思考を繰り返していたも者にとって、プルーストが描く「私」の意識に入りこんでいくのは、たとえ簡単なものでなくとも、抵抗を覚えることではない」


私にとっては「私」とは何か、という問題は、大学時代にゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んだ時に直面したものである。
「若きウェルテルの悩み」は告白文学という形式をとっていることもあり、また許嫁がいる女性への叶わぬ恋をするというわかりやすい構図もあって、余計に身につまされた。
確かにプルーストを読んで、改めて「私」とは何か、という青臭い、そして現代的な言葉でいえば「中二病」のような自我の肥大が私に襲いかかってきた。
もう28歳だというのに。
文学は危険だ。
無意識に自分の自我を肥大させ、その成長痛のような「痛み」を伴う。
痛みを緩和させようと文学を求めるが、鎮痛剤としての作用は全くなく、かえって痛みを最大化させる。
痛みによって、ちっぽけな自己の存在を確認するかのように。

プルーストは自分にとってはあまりにも偉大で、巨大で、その価値が一向にわかる気配はないが、ぶつかり、その断片だけでも感じれたらよい。
そんなことを思う、夜中の酔いどれの落書きである。

2013年8月22日木曜日

プリンセス・トヨトミ

万城目学
文春文庫

よくできた学生演劇の演目にありそうな内容。

2013年8月12日月曜日

何者

朝井リョウ
新潮社

論文作成メモ

職場の先輩から聞いたことをメモ。

【新人の新聞記者の記事作成技法】
新人の新聞記者が記事を作成する場合にどうするか。
まず過去の類似記事を探す。
そして、型を見つける。
オリジナリティをいきなり発揮する必要はなく、過去の記事に積算されたテクニックをまず習得する。
リード文はいかにわかりやすいか、という観点が必要。
同じ新聞内での統率も必要。
文の順番で、時間、場所、誰か、という要素。

その後にくる「雑感」の部分はその記事について、個人的な切り口が必要になってくる。


【論文】
キーワードをたくさん準備しておく。
ネタや数字。
80点を取るものをたくさん準備。
80→100点にするためには人に添削してもらうしかない。

2013年8月9日金曜日

PPPの知識

町田裕彦
日経文庫

読み飛ばした。

メモ
PPPの事例として東京都の秋葉原ITセンター

2013年8月2日金曜日

風立ちぬ

宮崎駿


感動のあまり泣きました。
もう一回観に行こう。