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2016年12月9日金曜日

体育会系の内在論理

体育会系の内在論理とは、
「俺も(下級生の時に)苦労したからお前も苦労しろ」
ではないか。

私は体育会系は肌が合わない。
嫌いなわけではないが、私自身は体育会系にはなれない。
私は、
「俺は苦労したから、お前は苦労するな」派。
でも、体育会系から見たら、「そんなことをしたら、成長の機会を奪うことになる」とか言われそう。
成長の機会は奪わないように接すればいいだけではないか。
自分の都合なのに、他人の都合のようにすり替えるのはフェアではないと私は思っている。

急に語り出してしまったが、
上司がそうだとか、今、悩んでるとかではない(ちなみに上司は体育会系でもないし、すごくすごく尊敬できる方)。

最近、YouTubeでドキュメンタリー番組をよく見ていていて、スパルタな指導とそれを耐えて成長する姿というのはとても面白い。
だけど、自分が耐える側だったらいやだな、と思ったので考えてみただけのこと。

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