2012年7月8日日曜日
2012年7月3日火曜日
2012年6月30日土曜日
2012年6月23日土曜日
2012年6月16日土曜日
一般論とコンメンテーターについて
私はある。
「自分でわかっていることをダメだしされる」もしくは「自分の立場を差し置いて一般論を平然といわれる」時である。
前者の方は、反発するにしても、
「悔しいですけれどもその通りなんです。でもまだその事実を自分の中でも消化しきれてなくて。」的な後ろめたさを内蔵した反発であって、勢い引くに引けなくなってしまった場の悪さがある。
後者は誰も反対できないことで正論であったりするから、いわれると困ってしまう。
一般論ってのは正しい。
「わかっちゃいるけど、やめられない」というフレーズがあるけれども「わかってはいる」のである。
ただ、「できない」し、「できなかった」のである。
それは様々な要因なり原因がある。
そういったことを差し置いて、自分は関係ありませんがあなたのために一応忠告しておきますよ、みたいな立場からの発言。
一言でいえば、おせっかいみたいなもんですが、こちらが苦々しく思ってることに相手があまりに無頓着だと、
ケロッグコーンフレーク的にいえば「もう我慢できない!!」となり、私は思わずガオーってなります。
テレビでは「コメンテーター」って方がよくいらっしゃいますが、この方々がまたよく一般論をおっしゃられること。
扱うネタは様々で、明らかにわからねえだろということにも次々とコメントを残しています。
「まったく世の中、どうしちゃったんでしょうかね。」
「政治家には国民のことをもっと考えてもらいたいですね」
「戦争のない世の中にはならないのですかね」
わからないことはわからないというべきです。
興味がないなら興味がないというべきです。
決まり文句をいっても相手には何も伝わらないことを知るべきです。
さて、だんだんと、この文章も一般論めいてきましたので終了します。
2012年6月14日木曜日
テレビと私
そう感じるようになってから意識的に距離を置いている。
だが、私は高校生くらいまでは中毒者だった。
テレビゲームも中学生をピークに時間を忘れてのめり込んだものだ。
以下、雑感。
ひとりごと。
好きだったテレビ番組について書く。
「電波少年」
日本テレビ。
やっぱり面白かった。
ヒッチハイク系の旅モノはもちろん、なすびの懸賞生活とか坂元ちゃんと東大を目指す勉強モノも好きだった。
放送時間は毎週日曜夜10時半あたりと記憶している。
次の日から学校だけども、休みに浸かってしまってからだが適応でなそうな不安を感じながら観る、っていう感じか思い出される。
「ワレワレハ地球人だ」
フジテレビ。
スネークハンターという企画が大好きだった。
謎のイギリス人作家フィリップと巨大蛇を追う冒険。
取材班のディレクター木伏と険悪でいつも喧嘩してるのが面白かった。
「ジャスト」
TBS。
中3で、推薦でさっさと高校決めて家で暇している時によく観ていた。午後二時からの昼上がりのワイドショー枠。
「亭主改造計画」という企画が好きでした。
「三年B組金八先生」
健次郎(風間くん)〜鶴本直(上戸彩)あたりが、自分も中学生で年齢が近くて、ハマっていた。
でもやっぱり健次郎だ。
お兄ちゃん、お兄ちゃん。
「晴れたらイイね!」
フジテレビ。
日曜日の朝の小旅行チックな番組。
キンカンのCMが印象に残ってる。
フジテレビのアナウンサーが毎回出演。
アウトドア系とかの企画が特に好きだった。
突然、終了したので、あっけにとられた。
通常の番組内で最後にさらりとアナウンスされて終わった。
数年は続いていた番組なのにな。
2012年6月13日水曜日
「当事者」の時代
光文社新書
なかなか読み応えのある本だった。
元毎日新聞記者で、現在はネット関係に強いジャーナリストの著者。
ずっとマスコミに抱いた違和感の正体がおぼろげながら見えた気がした。
以下、雑感。
今のマスコミを考える時にいつも浮かぶのが、「サンデージャポン」というT番組。
バラエティ要素たっぷりのニュース番組だ。
この「サンデージャポン」はTBS系列の番組である。
TBSといえば、オウムにビデオを提供していたことが発覚し、大変な騒ぎになった。
坂本弁護士一家殺害事件に関連した事件である。
そこで、TBSはニュース番組のあり方を省みたのか、朝や昼のワイドショーを廃止し、生活に役立つ番組路線の「はなまるマーケット」、「ジャスト」が始まったと記憶している。
報道からの撤退である。
その頃私は小学生から中学生になるあたりで、テレビっ子だからよく観てたものだ。
ところが、オウムへのビデオ提供事件も風化してくると、状況は変わってくる。
事実関係は確認していないし、テレビにも興味が薄いので、あくまで「実感」や「推測」に基づいた話となることを予めご承知いただきたい。
みのもんたが司会の朝の報道番組「朝ズバ!」が始まったあたりから振り子は反対へと振れていったのではないだろうか。
みのもんたは「庶民」(弱者)よりの目線で、「難しい顔」をして、「世の中に疑問」を呈する。
でも実はみのもんたは庶民ではないし、難しい事は考えてないし、世の中に疑問は持っていない。
なぜそんなことを言い切れるのか、といわれると正直困るが、あえて反論をすれば、それはテレビの中の「記号」であり、「茶番」であり、「決まり文句」でしかないと考えるからである。
お前庶民じゃないっしょ、という人間が演じる庶民。
だからこそ、それより庶民よりの人間は安心して自分を外においてテレビを楽しめる(当事者性の欠如)。
それはテレビではあまりに見慣れた光景で「記号」となっている。
そんな偽物の庶民が今度は難しい顔をして、いっちょまえの事をいう矛盾。
滑稽である。
しかし滑稽であることを忘れるほど、日常の風景と化していて、それが説得力をもったりする。
それは決まり文句(正論)しかいわないからだ。
ただ、お前がいうな!という当事者性はない。
テレビの出演者も視聴者も当事者ではないからだ。
他人の不幸は蜜の味。
こうして、ワイドショーは徹底して「難しい顔」をして「自分とは関係のない他人の不幸」をショーと化していくのだと思う。
「朝ズバ」で味をしめたTBSはすっかり、バラエティに力を入れるわけだが、その一つとして「サンデージャポン」が誕生する。
バラエティかニュース番組かという分類があるか、ここではそれはあまり問わないことにする。
ただひとつ言えることは、「サンデージャポン」はとても面白いということだ。
最近のニュースをわかりやすく、時には出演者をキャラクタライズする過剰な演出もあって面白おかしく説明してくれる。
ニュースも硬いものからエンタメまで幅が広く、それをうまくパッケージ化して、笑いにつつんで視聴者に届けてくれる。
ただし、「面白くても、ためにならない」のである。
そんなことはテレビでは当たり前だ、という人もいると思う。
当然そうだと思う。
私は別にテレビに何かためになることだけをやれと期待し、NHKだけを見る堅物ではない。
むしろ、たけし軍団で何かやらないかなと年に数回しかない特番に密かに胸を踊らせてラテ欄を眺める若者である。
「ためにならない」の真意は無意識の侵食性にある。
簡単にいうと、
何か知らねえけど、偉そうになってる!
状態になってしまうことである。
無意識の中で他人をさげずむ視点が備わってしまうことである。
それは笑いという麻薬を使って。
これってすごく「ヤバイ」ことだと思う。
単なるワイドショーでは「難しい顔」をして「他人の不幸」を味わうんだけども、「サンデージャポン」って笑いながら他人の不幸を味わうことだと思う。
やっぱり報道としてのニュースと笑いは両立しえないと思う。
両立させてはいけないと思う。
2012年6月10日日曜日
2012年6月9日土曜日
一生食べられる働き方
PHP新書
P104-105
では、進化できる企業、すなわち生き残れる企業と、進化できずに消えていく企業との違いはどこにあるのか。私は、「モンキートラップを逃れられるかどうか」がその境目だと考えています。
これはよくできたお話だと思うのですが、猿の手がやっと入るくらいの小さな口の容器にエサを入れておくと、猿がやってきて手を入れて、エサを握る。エサを握りしめた猿の手は容器から抜けられなくなる。エサを離せば、手は抜けて逃げられなくなるのに、せっかくのエサを握りしめて話そうとしないばかりに手が抜けられなくなり、猿は捕まってしまう。これがモンキートラップで、要するに、成功体験から脱却できないために、かえって身を滅ぼすことの愚を戒めた寓話です。
2012年6月4日月曜日
山を登ることについて語る時に僕の語ること
朝の五時過ぎに目が覚める。
窓から外をみると、路面は濡れているが雨は降っていないようであった。
本日は決行、との旨のメールを打つ。
朝七時、立川駅に集合。
声をかけた七人のうち、四人が集まった。
よく来たな、と会う顔それぞれが思ってる。
なるほど、事前にも雨の予報だし、この分厚い雲は見事に雨が降りそうである。
立川駅から奥多摩行きの電車に乗る。
いつも通勤で使っているので見慣れた風景であるが、どうも知り合いと一緒だと、どこか田舎に行くような小旅行気分に浸れる。
車窓の風景は次第に住宅街だけとなり、山が近づいてくるに従って、その密度が薄くなる。
早起きしたせいからか、眠くなる。
目的の「鳩ノ巣駅」の近くまでしばし寝た。
起きると、すっかり山である。
駅から駅の間も長い。
トンネルまである。
鳩ノ巣駅に到着。
以前、鳩ノ巣駅をゴールに登山をしたことがあるが、駅以外はあまり思い出せなかった。
たぶん、道も違ったのだろう。
鳩ノ巣あたりは、あきる野出身の私がいうのもあれだが、本当に東京とは思えないのどかな雰囲気がある。
とてもポジティブな意味で。
マンガ日本昔話や日本人の遠い記憶の中の田舎の心象風景がそのままあるようだ。
山里、なのである。
登山開始。
そこそこ急で、結構疲れる。
単に苦しい、という疲れではなく、気怠いような疲れである。
足が重い。
周囲は霧に包まれている。
もののけ姫の森のようである。
しばらく歩くと、カエルがいた。
今にも雨が降りそうな、というかすでに数時間前には降ったようで、地面も空気も湿っているためカエルにはもってこいの気候である。
拳を一回りも二回りも小さくしたサイズのカエルだが、触るにははばかられるシルエットをしている。
ちっさいミドリのカエルは好きだが、土と一体化しそうな、カエルは苦手である。
どことなくグロテスクである。
でもそれがかえって興味をそそられたりして、つい見入ったりもする。
しばらく登り続ける。
正直、じんわりと辛かった。
ふと、思ったこと。
「何で山なんか登ってるんだろう?」
登るのが楽しいから?
つらいのが楽しいから?
登ったという達成感ともうやらなくていいという優越感を得るため?
どれも違う。
何でだろう。
もしも、この世に自分だけしかいなかったら山に登っているだろうか?
そんなことも考える。
見栄とか虚栄心とかをなしにして、本当に自分がやりたいことってのを自分に問いかけるってのも意外と難しいことだったりする。
案外周囲に流されて気づくことだってあるし、それは別に悪いことでないような気がする。
ただ、それは安易なことで、楽なことで、か弱いものである。
そういうことを大っ嫌いなのが村上龍という作家であって、自立のためにタフであり続け、ものすごいエネルギーをもってしまう存在だ。
つい最近、村上龍のエッセイを、読んだからこんなことも思ったのだろうか。
山登りの前半はあまり覚えていない。
記憶に残っているのは川苔山の近くまできて、平坦な道へ出たところだ。
とはいえ、平坦な箇所はすぐに終わり、
相変わらずの急な下り、そして登りだった。
とりあえずの目標の峰まで行って一息つく。
人けもなくて、こじんまりとしているところだけど、それがかえっていい。
悲しむらくは曇りのため、景色が全く見えないことである。
たが、そんな天気だからこその味わいもある。
帰りは楽しかった。
この時点で、1時あたりで、9時に登り始めてから4時間を経過している。
半分まで来たというだけで気分が良い。
事実、帰りの道は下りが多く歩きやすくて気分も上々だった。
特に良かったのは川沿いを歩くルート。
これがしばしば続く。
まさに渓流というような川の脇に登山道がある。
木で出来た小さな橋を渡る。
橋から眺める渓流。
水が綺麗だ。
かつてはこうした渓流でヤマメやイワナを釣ったものである。
フライとかで。
そんなことを思い出したりして懐かしい気分になる。
ただ、釣りに関してはゲームの話であって、憧れに憧れているだけに過ぎない。
中学生の頃の憧れであった。
実際には釣りは、現在は悪名高いブラックバスしかやったことがない。
水が綺麗なため、ところどころ、ワサビを栽培しているところを見つける。
柵で囲まれていて、中には有刺鉄線まであって、それが徒然草にでてくるように「興ざめ」してしまったりするが、それもまた「をかし」、だ。
渓流沿いの登山道を抜けると、林道に出た。
舗装されている道。
ここからは長かった。
淡々と歩き続ける。
心を無にして。
やっとこさ、人家があるあたりまで行き、
ふとみつけた「なんとか茶屋」の文字。
店の外で、コケの生えまくった水槽で鯉を飼っているおばちゃんがいた。
聴けば、新潟の鯉だという。
新潟で地震があった時に安く買ったそうな。
話の流れで、店で売っていたビールを買う。
よくみると、そこは正確にはキャンプ場だった。
食堂とかもなくて、シンプルにコテージと川があるだけのキャンプ場。
素朴な感じとても好感を抱いた。
おばちゃんの身の上話を聞きながらのビール。
だいたいこういう時に話されるのは、息子の話と嫁入りしてきたという観点からの地域の考察である。
僕は割とこの類が好きである。
この茶屋からは少し歩いたところにバス停があって、しかも始発だったので座って出発を待った。
やっとゆっくり座れた。
青梅線の川井駅で下車する。
下山完了である。
そのまま、青梅線に乗って立川まで行って、飲み屋に行って締めました。
本当はピザが食べたかったのだけと、目当てのピザ屋は貸し切られてました。
それが心残りでした。
おしまい。
2012年6月2日土曜日
2012年5月30日水曜日
2012年5月28日月曜日
2012年5月21日月曜日
2012年5月16日水曜日
旅行記:宮城県県山元町等訪問2
山元町ではいろんなところからボランティアが集まっていた。ご案内していただいてた清水さんも元々は関東から通ってたわけだし、前日に飲んだ人もわざわざ遠くから来てる人もいた。
聞くところによると、FacebookやTwitterを活用して、情報発信や共有をしているらしい。エジプトとかを持ち出すまでもないが、FacebookといったSNSが人や時代を動かしてるってことを改めて感じる。
テレビやネットだけの世界ではない。SNSってのはもはやインフラで現実世界を補完するものに他ならないのだ。バーチャルじゃない。
なんか不思議だな。いつも思うのだけれども、ブログとかFacebook、Twitterに掲載されてる写真って何時の間にとったり、記事書いたりしてんのかな。どうやって現実と折り合いをつけるのだろう。さて、写真撮るぞーってとるタイミングとかあるのかな。特に食事をとる人はレストランとかで撮るわけで。僕は何かすぐ食べたくなっちゃったりして、写真とってからはい、食べようってのができない。最近気づいたけれども、デジ一で撮るのは全然恥ずかしくない。ただ、コンデジとかだと恥ずかしい。携帯だと、こっぱずかしくてエイヤと気合入れないととれない。カメラマンっていうペルソナがデジ一を持つことであって、そういうキャラクターが与えられて演じるだけなら容易い。
閑話休題。
ボランティア内容だが、土を掘ってのゴミ拾い。同じ場所では竹やぶらしきところの竹をすでに切ってあって、その竹の枝を折ってそれを、一つの場所に集めていた。
僕が行ったのは前者のゴミ拾い。とりあえず表面上のゴミを拾う。大体、土に埋まっていてゴミは土まみれになっている。ゴミとしては、ガラスの破片、ビニール、ビン、鉄などなどたくさん。特徴的なのは、どうやらこの場所にはビニールハウスがあったらしく、デカいビニールが埋まっていた。ビニールは大蛇みたいな太さであり、また長く扱いづらい。それをまた回収車が収集しやすいようにと袋にいれるのだが、それがまた収まりづらい。ちょっと時間をかければ、ビニールもある程度の長さで切れないこともないのだか、たくさんあるのでなかなか骨が折れた。
ガラスの破片が落ちているのは、津波で家のガラスが粉々になったからだ。津波が確かにこの地にきたことを実感させる。
また、ゴミも室内にありそうなものの一部といったものが多くある。鉄も何かの家具の一部だろうし、プラスチック類もよくでてくる。
わさびのチューブまで出てきていた。
フォークみたいに細い刃先数本があって、鍬みたいに歯が90°くらいに傾いているなっている道具で、地面を掘る。
ところどころ草が根を張っていて掘りづらい。
掘り返すと、ゴミはもちろん、ダンゴムシなんかもたくさんでてくる。
小学生以来か。
土に久しぶりに触れた気がした(手のひら側だけゴムみたいに塗装されてる軍手はしていたけれども)。
土の柔らかく、湿った感触。
懐かしい気分になると同時に、この土は海水を浴びたのだというにわかに信じ難い現実に直面する。
清水さんによれば、一年前と比べ「色がある」のだという。
一年前は、津波に流されしまったままであった。
全壊した家もそのままにされていた。
今は、土に生える雑草はもちろん、ところどころ家もリフォームをしており、少ないかもしれないが確実に復興の兆しがある。
ただ、解体されてそのままの家も多く、広い平野にぽつんぽつんと家が立っているのが印象的であった。
ボランティアは30、40人くらいいた。直接話したのは数名だが、小耳にはさんだところによれば、栃木、福島相馬市、埼玉、一番遠いところで大阪がいた。
震災から一年たってもこうして、被災地に身を寄せるのだから本物だ。
また、僕のように今回初めてというわけでもなさそうであった。
通うことで深まる絆。
そんなものを垣間見た気がした。
つづく
2012年5月13日日曜日
ナイロン100℃「百年の秘密」
久しぶりのお芝居観劇。
大学のサークルの後輩が出演というとがあり、チケットをとってもらった。
映像が特にすごかった。
劇場で単に映像を流すということではなく、舞台だからこその表現としての映像の使い方があった。
あと、女優陣の演技。
特に犬山さんが幼児から老婆までを演じていて、見事であった。
2012年5月11日金曜日
2012年5月8日火曜日
2012年5月6日日曜日
旅行記:宮城県山元町訪問等
2012年5月2日水曜日
2012年4月30日月曜日
2012年4月22日日曜日
走りながら考える
日常の惰性に流されている気がしている今日このごろ。
ちょっと立ち止まって考えてみたこと(小さな決意)。
たらたら書く。
モノは持たない主義にする(私の身の回りははすぐに汚くなるので)
無駄なものは処分。買わない、持たない。
あると役に立つかもは、大体役に立たない。
必要な時に必要に迫られてこそそのモノは必要なのである(たぶん)。
ストックは要らない。
でも貯金はしたい。
走りながら考える。
比喩じゃなくて、本当にジョギングしながら考えるようにしたい。
そのほうが、違った視点で考えられるのと、運動もちゃんとしたいから。
怠け者なので、なかなか走り出せない。
フルマラソンちゃんと走りたい。
書を捨てよ、街へ出よう、を実践する。
とにかく挑戦者になる。
内弁慶にならない。
外で道場破りになる。
2012年4月15日日曜日
2012年4月8日日曜日
2012年3月31日土曜日
2012年3月25日日曜日
2012年3月24日土曜日
2012年3月21日水曜日
2012年3月20日火曜日
2012年3月18日日曜日
2012年3月13日火曜日
2012年3月10日土曜日
2012年3月5日月曜日
2012年3月2日金曜日
支える医療へ
エイチエス株式会社
財政破綻した夕張へ、一億の借金をしてまで飛び込んで行ったお医者さん。
先日実際にお会いした時にはサインまでもらってしまった。
本にサインをもらうのは川崎和男教授以来。
どうも私は信念と理念をお持ちの頑固者の天才肌に弱いようだ。
お医者さんだが、取り組みはまちづくりそのもの。
現場では個と個との関係を積み重ねつつ、それを踏まえて日本の将来を見据えている。
デザイナーは喧嘩師であれ、とは川崎和男教授の言葉であるが、村上智彦医師もまた喧嘩師であった。
何に対しての喧嘩か。
既得権益、偏見、不合理に対してである。
2012年2月15日水曜日
2012年2月8日水曜日
2012年2月7日火曜日
極北クレイマー 下
朝日文庫
P228
メディアはいつもそうだ。白か黒の二者択一。そんなあなたたちが世の中をクレイマーだらけにしているのに、まだ気がつかないのか。日本人は今や一億二千万、総クレイマーだ。自分以外の人間を責め立てて生きている。だからここは地獄だ。まんな医療に寄りかかるが、医療のためになにかしようなどと考える市民はいない。医療に助けてもらうことだけが当然だと信じて疑わない。何と傲慢で貧しい社会であることか
P230
「地域医療の再建屋として名高い世良先生は、いわばご自身を悪性に対するワクチンだとでもおっしゃりたいんですか?」
世良は目を細めて、即答する。
「ワクチン?そんな生やさしいものではないですよ。私の存在は譬えれば抗癌剤です。健康体にとっては猛毒。私がこの地に招聘された幸と不幸を、極北市民はいずれ思い知ることでしょう」」
2012年2月6日月曜日
2012年2月5日日曜日
2012年2月2日木曜日
2012年1月23日月曜日
2012年1月22日日曜日
新IT医療革命
アスキー新書
P22
考えながら動き、動きながら考える「考動力」
P218
「人は外発的に動機付けされても生産性は向上しません。自分の関心や楽しみが動機となって初めて、クリエイティブな活動ができるといえます。」
2012年1月21日土曜日
2012年1月19日木曜日
2012年1月18日水曜日
2012年1月16日月曜日
2012年1月14日土曜日
2012年1月9日月曜日
2012年1月7日土曜日
2012年1月4日水曜日
小笠原旅行(4泊5日) 2011年12月29日−2012年1月3日
職場関連の友人2人と。
小笠原は東京から南に1000km。
距離的には東京から北海道、緯度的には沖縄と同じ。
空路はなく、船便しかない。 船便は「おがさわら丸」という船で、25時間半かかる。
「東洋のガラパゴス」と呼ばれ、固有種が多く、そんな感じで(←テキトー)2011年6月に世界自然遺産に登録された。
(おがさわら丸)
1日目(12月29日)〜出発『おがさわら丸』〜
船は朝10時に出発。
なので9時に竹芝桟橋に集合しました。
船の名は「おがさわら丸」です。
席は一番安い「2等和室」。
とはいえ、11月7日予約するのに1時間近く電話してようやくつながった経緯があります。
料金は片道25,000円前後。
席というか与えられた場は、身を縮めて横になるのがやっとで、とはいえ足も曲げなければならないスペースしかありません。
そこで25時間半も過ごすのかと思うと、自然と「奴隷船かい」という言葉が口から出る状況でした。
後になって知るのですが、通は荷物だけそこにおいて、船の空きスペースに敷物を敷いてそこで過ごすことがわかりました。
当然ながら、私も寝る時は2等室にいて、起きているときは船内散策や、船の空きスペースでビールを飲んだりして過ごしました。
酔い止め薬は飲みませんでした。
行きはほとんど揺れなかったので、正直「なんとかなる。いける」と思っていました。
これが、帰りの船で痛い目を見ることになります。
2日目(12月30日)〜到着。父島。〜
予定通り、25時間半で父島の二見港に到着しました。
港では滞在先の宿の店主が、看板を持って迎えに来てくれていました。
車ですぐのところに宿はありました。
いわゆるペンションの作りで、我々の部屋は6畳一間。
3人にしては少し狭いが、繁忙期なので仕方がありません(ちなみに情報通によれば、GWと年末年始が最も混むのだということです)
その後、二見港近辺のメインストリート大村を散策。
昼食を食べて、小笠原名物のビーチサンダル・ギョサンを買いました。
午後はツアーに参加。
『戦跡ツアー』です。
小笠原は第2次世界大戦の舞台ともなっており、山には壕や砲台があります。
それを巡るツアーでしたが、ガイドのおじさんが怒鳴った事のほうが記憶に残っています。
我々3人の他に、もう2組参加者がいました。
1組だけ、予定の時間になっても現れず、最初はニコニコしていたガイドさんもだんだんイライラしていくのがわかりました。
迎えに行った場所にいないことがわかるとついにブチ切れました。
「そこを動くな!」
携帯にシャウトするやいなや、車は猛スピードで坂道をぶっちぎります。
私は島というのは、おだやかで、ゆるやかな「島時間」なるものが存在すると想像していましたが、予想を裏切られました。(ちなみに10月に伊豆大島に行きましたが、そこの料理屋は注文してから1時間してから料理が出てきたりしました。あと、一回目を聞きそびれてしまったらしく30分後にオーダーを聞いて来ました)
遅刻者達がこっぴとどく怒られたのはいうまでもありません。
「あー、遅れなくて良かった」
心底、そう思いました。
ツアー後、宿でひとっ風呂浴びることに。
と思ったら、シャワーが冷たいままです。
そうこうしているうちに、水すら出なくなってきました。
完全に止まるのではなく、ちょろちょろ出ていたので、それで何とかしました。
いやあ、前途多難です。
3日目(12月31日)〜ダイビング。カウントダウン。〜
小笠原は沖縄と同じ緯度にあるといえ、一応冬ですから、朝と夜はそこそこ冷えます。
昼間は半袖でも大丈夫ですが、風があると寒いです。
その寒さをダイレクトに感じたのが、このダイビングの時でした。
前日のガイドさんのブチ切れもあったので、ビビリがちな私達は8時半集合のところを8時過ぎには到着してしましました。
「早すぎるよー」といって、朝食の箸を止めてニコニコして出てきたのがダイビングのガイドさんでした。
怒られなさそうなので、とりあえずほっとしました。
私は高校の修学旅行で、沖縄でダイブ経験があります。
といっても全部忘れています。
でも、何とかなりました。
ネムリブカという、おとなしいサメも見ることができました。
ただ、水は冷たく、船に待機している時の寒いこと。
とにかく風が強いのです。
14時くらいに終わり、真っ先に宿の風呂に飛び込みました。
シャワーのお湯が出ました!
当たり前のことに喜びを感じる一幕でした。
ただ、お風呂は熱湯コマーシャル並の熱さというおまけ付きでした。
夜はカウントダウンイベントに参加。
島名物ラム酒や、カップそば、暖かいコーヒーなどが無料で配られていました。
年越しの瞬間には花火も盛大に打ち上げられていました。
そのまま、初詣に。
神社がありました。
おみくじは「吉」。
一緒に行った三人とも「吉」でした。
酒入りの甘酒に程良くよって、いい気分で宿に帰りました。
4日目(1月1日)〜NHK中継。ナイトツアー〜
朝から年明けイベントに参加。
NHKの中継がありました。
海岸に女優のとよた真帆さん、めちゃイケに出てるらしい敦士さんがおりました。
(注:正直、私も普段テレビを全く見ないので、最初は「アツシ」って誰だよ。とか思ったりしてしましました。でも、島にいるとあらゆるところで「誰あいつ?」みたいになってしまっていて、敦士さんがかわいそうになってきました。ごめんなさい、敦士さん。モデルやっているとだけあって、背が高くてかっこいいです。リンク貼っておきましょう。)
◯敦士さんのオフィシャルブログ
◯wikipedeia
話がそれました。
最初のNHKの中継は海岸での「日本一早い海開き」というもの。
数年前の私なら絶対に参加していましたが、「濡れるの嫌だし、私はちょっと」という老化による消極的な姿勢により見学者に徹しました。
でも、ミーハーなので「テレビ映んねえかな」と密かに興奮してしまいました。
たぶん映ってません。
時間をおいて、続いての中継は「ウミガメの放流」です。
また「テレビ映んねんかな」と思いましたが、たぶん映ってません。
(NHK中継の様子)
夜はまたツアーに参加。
「ナイトツアー」というものです。
オガサワラオオコウモリという天然記念物やヤドカリを見に来ました。
夜になると緑色に光る「グリーンぺぺ」というキノコは寒いため見れませんでした。
あ、夜寝る前にバーに行って、「ウミガメの刺身」と「ウミガメの唐揚げ」を食べました。
4日目(1月2日)〜島最終日。ホエールウォッチングのはずが大しけ、でも南島上陸〜
朝からツアー。
朝食時にそのガイドさんから電話。
「海荒れてるけどどうする?」
「やめたほうがいい」ということなのかわかりませんが、とりあえず「行きます。よろしく」と答えておきました。
案の定、しけていました。
並に高さは3,4メーターとか。
潮が満ちているのと、風が突風のように強いので、晴れているとはいえ、大荒れの様相です。
私、個人的にはホエールウォッチングは一番楽しみにしていました。
ここでも他の2組と合同でのツアーでしたが、その中の一組はホエールウォッチングに「3度目の正直に期待」とおっしゃってました。
ただ、しけています。
船に乗るやいなや、誰も「ホエールウォッチング」を口にすることはありませんでした。
それでも、観光名所の南島に行きました。
この島は環境保護が徹底しており、ガイドさんと一緒でないと上陸はおろか島内でも行動ができません。
なかなかの景色でした。
(南島)
この南島から戻る時の船が本当に大変でした。
私は船の頭のほうにいたのですが、気を抜くと振り落とされそうになるくらい揺れます。
波はかぶるは、打ち付けられるはで、これが荒波の海か、と感心したものです。
ちなみにこの時のガイドさん(船長)、あとから聞いたのですが島一番の飛ばし屋とのこと。
どおりで「波たけえからゆっくりいくぞ」と言いながらスピードをあげていたものだと合点がいきました。
そして、午後2時に帰りの船が出発です。
もちろん「おがさわら丸」。
与えられた場所は狭いです。
ですので、階段脇のスペースを確保(実際に座れるのは出港後1時間くらいしてからです)。
ですが、まさか同じ場に24時間も寝続けることになるとは思ってもみませんでした。
揺れるは揺れる。
出港後すぐに、外に出れないように封鎖されました。
窓から覗くと、波を被りまくっています。
外に出たら危ない。
大型船とはいえ、大きく打ち付けられる。
この浮揚感が、船酔いをもたらしました。
揺れのせいもありますが、立っていられません。
次第に横になってないと気持ち悪くなってきます。
だんだん動けなくなってきます。
起きてると気持ち悪くなってきます。
あとはひたすら寝るしかありませんでした。
時折、打ち付けられる衝撃に目を覚ましながら。
24時間私は、食事もせず、トイレに立った2回以外はひたすら寝続けました。
5日目(1月3日)〜東京帰還。旅終了〜
大島が見えるあたりでは揺れは大分収まっていました。
そこでようやく身を起こし、座る姿勢をとれました。
ゴザを敷いているとはいえ、ほぼ床に寝たも同然。
体が痛みます。
やがて、船内アナウンスで、元の位置に戻れとの指令。
みな、引き上げていきます。
あとはぐだぐだ過ごしてたら無事竹芝桟橋につきました。
ちなみに前日の大しけの中のツアーのため、靴が濡れてしまったため、サンダルで家まで帰りました。
(おしまい)
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ライフネット生命社長の常識破りの思考法 ビジネスマンは「旅」と「読書」で学びなさい!
日本各地をヒッチハイクで巡った時にも、本を携えていたことを思い出す。
夜の瀬戸大橋を渡った時には江戸川乱歩を読んでいたのが印象に残ってる。
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結婚式
場所は池袋の劇場。
谷さんらしい。
途中から参加したが、余興とか面白かった。
あんなに演劇や笑いにあふれた結婚式はなかなかないのではないか。
最後、一応新郎新婦の親御さんのご挨拶、新郎新婦当人のご挨拶があった。
ここはまあ真面目にいくのねと、油断してたら、思わず感動して涙が出てきてしまった。
田中カヨコさん(新婦の母。おぼえてしまった)は鳥取訛りを交えて話すもんだから、ぐっと心を捕まれてしまった。
心が洗われました。