主語と目的語を必要以上に意識する
中間日本語という概念
2011年1月31日月曜日
2011年1月30日日曜日
2011年1月27日木曜日
2011年1月25日火曜日
2011年1月23日日曜日
サンスポ千葉マリンマラソン
右膝痛のため、ゆっくりと走る。
タイムは59分。
レース後は、右膝痛が悪化。
階段の上り下りで激痛。
エスカレーター、スロープをなるべく使う。
バリアフリーって有り難い。
よく、高齢者が階段で苦労しているのを見かけるがようやく得心。
これからはやさしく気を配ろうと思います。
ちなみに千葉マリンスタジアムのあるJR海浜幕張駅まで片道二時間かかりました。
走ることが嫌いな方は理解出来ないでしょう。
私も理解出来きません。
2011年1月22日土曜日
2011年1月19日水曜日
2011年1月17日月曜日
2011年1月16日日曜日
2011年1月13日木曜日
メカジキ、さかなクン
メカジキはクジラやサメにも襲いかかるというかなり凶暴な魚らしい。
体長は最大4.5mというからかなり大きい。
魚界でも頂点に君臨するほどの猛者である。
突きん棒(つきんぼ)漁という方法で漁をする。
突きん棒漁とは、船からモリで直接メカジキを仕留める、原始的かつ勇壮な漁である。
魚について調べる時に、外せないのはやはりさかなクンである。
さかなクンのHPをのぞいたら、当然のようにメカジキのイラストを描いていた。
プロフィールのところをみたら、さかなクンが魚を好きになったエピソードも載っていた。
最初はタコが好きだったようだ。
小学生の時に、友達にノートに落書きされたのがタコだった。
そこから関心が高まり、吸盤の数を数えたり、タコ料理を食べまくったようだ。
タコを港に通い見てるうちに、魚全般に興味を抱くようになったらしい。
Wikipediaでもさかなクンをチェック。
本当かはわからないが、やはりさかなラブエピソードは面白い。
中学時代は吹奏楽部だったそうだが、始めたきっかけは水槽学だと勘違いしたらしい。
初恋は魚(自称、タコじゃないのか!)、アルバイトは全て魚に関すること、年齢は成魚らしい。
あと、浜崎あゆみを知らず「あゆ」ときいて魚の「鮎」だと思ってしまったことなど。
2011年1月12日水曜日
2011年1月11日火曜日
サロマ湖100kmウルトラマラソン
寒すぎたこと、飛行機に乗り遅れたことだ。
他のことがどうでもよくなるくらいに寒すぎたおかげで、東京の冬の寒さを相対的に捉えることができた。
飛行機に乗り遅れたおかげで、また英語を学び海外に行ってやろうという気持ちになった。
つらいことやハプニングは味噌汁のダシのようなもので、それが無いと旅はひどく味気ない。
サウナも長くいればいるほど、出たときに開放感がある。
喉をカラカラにしたときの水ほどうまいものはない。
さて、次は何しようかと思ってるとこにいいのを見つけた。
サロマ湖100kmウルトラマラソン
http://saromanblue.jp/top/
100kmとはすごい。
一度走ったら二度と走りたくない。
できれば一度も走りたくない。
大会でもなければ走ることすら思いもよらない。
三年前の夏、神奈川県中央林間から伊勢神宮までチャリンコで行ったときに、一日の移動距離が100kmだ。
いや、正確には最初のうちはもっと短かかった。
伊勢まで6日かかったわけだが、徐々に慣れて距離を伸ばし、一日に100km進めるようになった。
あの時は心は完全に折れて、相棒の原氏に任せきりだった。
その事もあり、彼はもうきっと一緒に来てくれないだろう。
しかも月給が6万という日常生活のほうがよっぽど大変なので、それどころではないかもしれない。
エントリーしたらすごく後悔しそうで、悩んでいる。
2011年1月10日月曜日
もったいないね このバチ当たりめ!
あ・うん、という謎の出版社
環境問題についての対談
北野大は環境問題の専門家である。
p189たけし版鶴の恩返し
『昔々ある所にお爺さんがいました。お爺さんは傷ついた鶴を見つけて、手当てをしてやりました。何日かしたあとに若い娘がお爺さんの家にやってきました。お爺さんは恩返しをしてくれるんじゃないかと密かに期待していたんですが、娘は散々飲んで食って出て行ってしまいました。お爺さんが「鶴は恩返しするんじゃねぇのか?」と怒りました。すると「バカ野郎!あたしゃ鶴じゃない。サギだ」』
2011年1月9日日曜日
谷川真理ハーフマラソン
人生初のハーフマラソン。
たくさんランナーがいた。
ラフタイムは2時間1分
(追記)
種目名 ハーフ一般男子
タイム 2;02;20
(ネットタイム 2;00;24)
10K通過タイム 1;02;43
種目順位 2675位/3825位
総合順位 5888位/9272位
2011年1月7日金曜日
北京旅行記ー四日目
万里の長城に向かう。
北京北駅で一人運賃18元。
電車までの時間があるため、近くで時間を潰すことに。
ちょうどデパートがあった。
昼食。
チャーハンと、春巻き的なもの
鳥肉的なものを注文。
チャーハンは予想通りのチャーハンだったが、春巻き的なものは餅みたいな皮で、鳥肉は紹興酒で味つけしたクセのある味の脚の先の生々しいものだった。
電車で万里の長城へ向かう。
八、がつく駅を目指す。
道中は当然寝る。
我々はかつて、何度も旅先の電車で寝過ぎて目的地と出発駅との間を何度も往復する過去を持っている。
うまいことに降りる駅では起きていて無事に下車。
万里の長城へ。
入場料40元。
果てしなく続く万里の長城。
目的地の、その辺りで一番の標高の高い所ははるか彼方に見える。
ロープウェイとかはあるようだが、金にきびしい我々は見向きもせず歩いて目指す。
山登りみたいだった。
そのため、この度て唯一汗をかく。
そのため、あまり寒さは感じなかった。
一時間くらいかけて、その目的地へ。
登ってきた道のりをみると、なるほど遠くまできた感慨がある。
そのまま歩いて引き返す。
帰りはバス。
なかなか来ない。
あと15分待って来なかったら三時間後の電車で帰ろう、みたいな話を園原氏が振ったら、タイミングよくバスがくる。
バスは満員。
高速道路みたいなところをひたすら下って行く。
一時間半後に積水譚駅周辺に。
地下鉄で王府井に。
お土産を買う。
近くの屋台街に行く。
ヒトデ、サソリ、サナギ、鳩の丸焼き、トカゲなどが売られている。
名物らしい蜂蜜入りヨーグルトがあり、3元だったので飲む。
とてもおいしい。
この旅1番の味であった。
もう一杯飲む。
こちらはお湯で温めてあるもの。
これもとても美味しい。
ああ、北京来てよかった。
心からそう思った。
園原氏は私のこの感情を理解できかねるご様子であった。
そんな園原氏はサソリを食っていた。
阿佐ヶ谷で売っていた沢ガニのフライみたいな味だと言っていた。
サソリの毒を気にしていた。
食べる前に尻尾を降り、私のポッケにいれやがっていた(わたしがそれに気付いたのはHotelに戻ってから)。
ホテルに戻り、寝る。
寝る前に長渕剛先生とジブラの掛け合いを聴く。
しあわせになろうよ04という曲である。
次の日は帰る日で、午前の便なので、早起きしようね、といって早めに寝る。
23時前くらいのことである。
そして次の日も予定よりも遅く起きる(6時半くらい)。
そうして、飛行機に乗り遅れたのだった。
http://datsuryoku-memo.blogspot.com/2011/01/blog-post_03.html
北京旅行記ー三日目
前日、9時に出ようと言ったか言われた
気がするが、案の定寝坊し、ホテルを出たのが11時くらい。
一日目、二日目と泊まったホテルだが、この日でチェックアウト。
部屋にマフラーを忘れ、慌てて取りに行く。
H.I.Sのページではそのホテルから徒歩圏内となっていた天壇公園に向かう。
30分くらい歩いた気がする。
ようやく到着。
相変わらずだだっ広い。
またもや寒過ぎてそこの歴史的価値などどうでもよくなる。
そもそも天壇公園の価値について知らないこともある。
ひたすら寒い思いをし、一通り見学をし、次のホテルでチェックインするべく地下鉄の駅に向かう。
地下鉄では北京駅に向かう。
北京駅から歩いて10分くらいでホテルへ。
チェックインするが、なぜかデポジットとして300元とられた。
部屋に荷物を置き、再び街に繰り出す。
北京駅近くの飲食店で昼食後。
私は、麺類を、園原氏は角煮の丼物を注文。
芸術区に向かうため、地下鉄を乗り継ぐ。
駅を降りたとこにいたタクシーはやはりぼったくり。
無視して、流しのタクシーを捕まえようと試みるがなかなか捕まらない。
反対車線でようやく捕まえる。
30分くらいで到着。
またもやなぜか1元多くとられた。
案の定、寒い。
芸術などどうでもよくなっていたが、芸術があるところが室内だったためにあり、寒さしのぎに入る。
その後はガイドブックに載っていたカフェに。
アメリカ人が経営しているらしく、洋風。
私はティラミスとカフェラテ、園原氏はウォッカを注文。
ちなみに園原氏のウォッカの発音は通じていなかった。
いくつか室内のギャラリーを見て、次の場所へ向かう。
北京オリンピックで注目を集めた鳥の巣が目的地である。
バスに乗るが、とても寒かった。
でもお構いなしに寝てしまった。
最寄の駅に着き、夕食を取るため、ケンタッキーに。
注文がうまく通じなかったせいもあるが、サイズは小さく、小腹を満たした程度だった。
歩いて三里屯へ。
ユニクロやナイキショップ、アップルストアがある、先端的なおしゃれタウンであった。
この日は大晦日である。
最初に行ったクラブは中国人だらけで、われわれが入り込む隙間はなかった。
次のバーは外国人は多くいたが、個人主義で特に知り合うこともなかった、
その次の日本食系バーも日本人はほとんどいなかった。
さて、そろそろ年越しまで30分である。
次こそはと、ガイドブックに書いてあった店に向かうがチャージ料が高く、断念。
近くのバーへ。
そこでなんとなく、年を越してしまった。
遠くで花火の音が聞こえた。
タクシーで、ホテルの最寄の北京駅まで行く。
そこからは歩き。
そのままホテルへ帰って就寝。
あっという間の年越し。
北京旅行記ー二日目
前日、明日は9時出発とか言ったか言われた気がするが、案の定、寝坊する。
結局、ホテルを出たのは11時くらい。
ひとまず万里の長城を目指す。
地下鉄を乗り継いで、積水譚という駅で降りる。
明らかに観光客目当てのタクシーがふっかけてくる。
適当にあしらい、近くのデパートに入る。
地下の食品売り場などを見学。
鯉とかナマズとかが水槽にいた。
食品売り場にあるので、食用だと思う。
園原氏、ポケットティッシュを買う。
デパート近くの、食堂へ。
一軒目で、園原氏が大学生五年間習ったという(なかなか単位が取れなかっただけ)中国語を活かし、麺料理ありますか?、みたいな事を聴き、ない、とのことで次の店に。
二軒目。
指差し会話帳で、オススメ料理教えてください、とやる。
出て来たのは、ナポリタン風の麺料理だった。
ナポリタンは嫌いだし、特にピーマンは苦手なのでがっかり。
でも食べてみたら麺は美味しかった。
きしめんのような歯応えでありながら、きしめんよりも細い。
園原氏は、黒いスープの謎の麺料理だが、食べてみるとこちらのほうがおいしかった。
あっさりスープと麺がよく合う。
その後、万里の長城を目指すべく、それらしきバス停に。
ガイドブックには12元と書いてあったが、そこにいた人間によると、片道80元かかるという。
筆談で会話。
80×2人=160
往復で320元らしい。
おかしい、高い。
しかも誰も並んでいない場所、動きそうのないバスの前で、ここだよ、といって待たされる。
園原氏が水を買いに行こうと場を離れると、その人間はまた話しかけて来て、タクシーなら往復で400元だ、みたいなことをいってタクシーの方へ連れて行こうとする。
魂胆がわかってしまったのと、あまりにも寒かったので、もう結構!と思い改めて出直すことに。
とりあえず天安門へ向かうことにした。
ちなみに園原氏は水を買ったが、外で売られていたため中が少し凍っていた。
地下鉄で、天安門へ。
そのまま故宮を見学。
だだっ広く、隙間風が強いため寒い。
寒すぎる。
正直故宮などどうでもよくなってしまった。
最後のほうで、お土産内に四席だけのカフェらしき一角があって、底でコーヒーを。
砂糖入りで甘いコーヒーだった。
故宮を出たあとは、胡同という細い路地がある地区へ向かう。
古い街並みを活かし、おしゃれカフェがあるという場所。
道中もあまりにも寒く、コンビニ便利店で手袋を買う。
カフェに入る。
西洋風の普通のおしゃれカフェ。
あったかいものを頼む。
あとで聞いた話によると、園原氏、カフェのトイレを詰まらせてしまったようだ。
地下鉄を乗り継いで、王府井へ。
北京一の繁華街だ。
北京飯店という老舗ホテルで、元に両替する。
それぞれ、一万五千円ずつ。
道路のマンホールの穴からなぜか白いけむりがでている。
湯気か?
そんなT字路を渡り、全聚徳という有名らしい北京ダック屋に。
少し、高級な雰囲気。
北京ダックは美味しかった。
クレープのような薄い皮につつんで食べた。
会計は420元くらい。
この旅で一番の支出だった。
園原氏の出版社魂もあって、本屋へ。
村上春樹はもちろん東野圭吾も売っていた。
その後に行った駅ナカのスーパーみたいなところでも雑誌が置いてあり、園原氏は数点購入。
地下鉄で最寄りの駅へ。
数分歩くが、真逆に来ていることが判明。
タクシーを拾ってホテルへ。
なぜか一元余計に取られた。
部屋に戻り、シャワーを浴びて就寝。
2011年1月6日木曜日
北京旅行記ー一日目
まず園原家に集合。
当初は午前中に集合し、大掃除するつもりが、お互いの寝坊により、おじゃんに。
私は2時に園原家に着いたが、その時点では園原氏は何も準備していなかった。
寝ていました、とおっしゃってました。
申し訳程度に掃除機かけて、30分くらいで荷造りをしていた。
15:30護国寺を出る。
17:00成田空港に着く。
北京に着くのが22時過ぎになので、予め元に両替する(二人で一万円分くらい)
園原氏、ユニクロでヒートテックを買ったり、本屋でガイドブックを買ったり。
この人、明らかに今、準備しだしてます。
成田19:00発の飛行機(ユナイテッド航空)に乗る。
のんびりしてたら、15分前でラストコールだった(こんな感じだから、帰りの便で乗り遅れることに…)
現地時間22時過ぎに北京着。
日本との時差はマイナス1時間。
空港から外に一歩出ると、とても寒い。
タクシーで、ホテルに向かう。
英語は通じないので、指差し会話。
意味が通じたようで、出発。
一時間くらいで、無事にホテルに着く。
料金は110元くらい。
チェックイン後、近くで一杯。
この時、24時過ぎ。
ビールと、冷めたほうれん草炒め的なもの、ミミガー、キムチなどを注文。
量が多い事もあり、残す。
お勘定は660元くらいだった気がする。
ホテルに戻り就寝。
25時過ぎ。
2011年1月5日水曜日
2011年1月3日月曜日
北京空港で乗り遅れる
最高気温でもマイナスなので、とにかく寒かったです。
最後の最後でハプニングがありましたので、メモしときます。
海外の空港にて、飛行機に乗り遅れました。
会話は英語や中国語なので、何を言われたかはあいまいです。
こんなハプニングの中でも、連れの園原くんはずっと「ノルウェイの森」の松山ケンイチのモノマネをしておりました。
1月2日北京旅行最終日。
ユナイティッド航空で北京ー成田10;40の便。
これになんと乗り遅れてしまった。
搭乗口まで行き、本当に最後のとこまで行ったが駄目だった。
着いたのが10;40の少し前であったためである。
果たして帰れるのか。
〈原因〉
北京空港が広いのが誤算であった。
まず、第二ターミナルと第三ターミナルを最初に間違えていた(第三ターミナルは新しく大きいので迷ったらこっちに行けばよいと思う)。
第二ターミナルから無料のシャトルバスで第三ターミナルに向かった。
そのため窓口でチェックインしたのが、9;30と一時間と少し前くらい。
その後、食事をとり、残った元を使ってしまおうとお土産屋へ。
そうこうしているうちに25分前であることに気づき、慌てて搭乗口に向かう。
搭乗口に行くまでは自動のモノレールみたいなのに乗らなければならない。
その後、出国審査を済ませると、あっという間に10分前。
こりゃ本気でまずいとカートに乗り、搭乗口へ向かう。(ちなみにこのカートは無料だと思ったら一人当たり10元とられた)
やっとこさ搭乗口に着いたが、係員は「20分前には来いって書いてあるでしょ」的なことを怒っていた。
そして、乗れないことが判明した。
ちょうど同じ境遇らしきカップルもいた。
〈対応〉
とりあえず荷物を受け取ってくれみたいなことを言われた。
チケットに「D16対面」と書いて、そこで受け取れと言われた。
どうすればいいのか途方に暮れていたが、係員に連れられ、逆戻りすることに。
一度出国手続きをしてしまったので、少しややこしそうだった。
これはその係員にパスポートを渡し、われわれは待つだけでよかった。
D16対面、すなわちユナイテッド航空D16窓口の向かいの荷物管理所にいったが、荷物はまだないという(あと1時間半くらいかかると言われた気がしたが、一時間半後にはまだなかった)。
その後、ユナイテッド航空の受付で荷物の行方を聞いて、言葉がよくわからなくて不安になったり、
ユナイテッド航空オフィスに行ったり、いろいろ航空内を歩きまわった。
〈帰国まで〉
どうやら自己責任でも他のチケットは同じ航空会社の他の便に代えてもらえるようだ(ネット情報によっても無料できたとの報告がある。ただし、格安航空券は難しいらしい)。
しかし、今回は近い便が満席のようで替えがなかった。
そのため、AIR CHINAで新しく買うことをユナイテッド航空の受付の人間に勧められた。
そこで、AIR CHINAのカウンターに行き尋ねるとその時点から1時間半後くらいの北京ー成田13;25の便が取れるという。
一人当たり2607元かかるとのことだが、背に腹は代えられないので買った。
インドでは使えなかったJCBのクレジットカードだったが、なんとか使えた。
時間がないので、「すぐにチェックインしろ」と言われた。
しかし、一つ問題があった。
我々が乗り遅れたユナイテッド航空の便に荷物が一度積まれている。
それの行方がわからない(後で判明したことでは荷物はセキュリティ上の問題で下ろされていた)。
このまま成田に向かっても荷物はどうなるのか。
ユナイテッド航空のカウンターにいってそのことを聞いたほうがいいのか。
結果としては、そのまま搭乗口に向かった。
我々には時間がなく、またも乗り過ごしてはシャレにならないと判断したからだ。
実際、搭乗口に着いたの出発15分前くらいであり、ラストラストコールのランプが光っていた。
〈成田にて〉
日本語で窓口で事情を説明した。
ここからはスタッフは日本人。
言葉が通じるということもあってか、とても丁寧に対応してくださったように感じた。。
今回AIR CHINAの航空便で成田に来ているので、荷物を預けたユナイテッド航空ではなくAIR CHINAで手続きをするのだという。
当然、ユナイテッド航空の人も捜索に協力してくれるとのことではある。
AIR CHINAのカウンターで荷物の特徴や、住所、パスポート番号、電話番号、氏名を用紙に記入する。
その場でも成田の便に紛れてないか、捜索してくれた。
30分くらいかかったが見つからず、その場はそれで退散。
もしも今後見つかれば電話で教えてくれるという。
郵送料は都内であれば着払いで2千円くらいらしい。
(追記)
荷物は見つかった。
帰国から3日目にして荷物が実家に届いた。
2011年1月1日土曜日
北京旅行中
(2011/1/5追記)
この文は北京で書いたのだが、なぜかフォントが大きくなっている。
写真もうまくアップできなかった。
これ。
※手でほほを抑えているのは歯が痛いのではなく、川崎和男博士のモノマネをしているらしいです。