文春文庫
文学者とは嘘つきだから、それを資料をもとに事実を検証して行くのはどこか野暮な部分もある。
ましてや、太宰と井伏という文学界の大物二人の姿を暴くとなれば、スキャンダラスでもある。
しかしながら、井伏と太宰を通じて描かれるのは世間対個人である。
猪瀬さんは前回観た芝居のアフタートークで「太宰治の『人間失格』は、『人間失格、でも自分だけ人間合格』」との興味深い説を唱えていたが、それを描いたところにこの著書には普遍性があると思う。
井伏鱒二は生活のために雑文を書いていた。
その中の一つの気持ちでジョン万次郎漂流記とか。
リライトしただけとかになってしまう
引用p449
「家庭の幸福」という短篇を書いている。
…結びは「曰く、家庭の不幸は諸悪の本」
「家庭の幸福」という短篇を書いている。
…結びは「曰く、家庭の不幸は諸悪の本」
引用P488
日常生活のみが目的化されれば、見過ぎ世過ぎ、である。太宰は「家庭の幸福」のなかに「津島修治」をおくことですでに示した。「家庭の幸福」に対抗するためには、自分はいつでも死ねる、という一言を持ち込む。すると世界はがらりと変わる。日常性に埋没しそうな卑小な自分を超えられる。この蠱惑的かつ危険な切り札は、おそらく芥川龍之介の自殺によって刷り込まれたのであろう。
日常生活のみが目的化されれば、見過ぎ世過ぎ、である。太宰は「家庭の幸福」のなかに「津島修治」をおくことですでに示した。「家庭の幸福」に対抗するためには、自分はいつでも死ねる、という一言を持ち込む。すると世界はがらりと変わる。日常性に埋没しそうな卑小な自分を超えられる。この蠱惑的かつ危険な切り札は、おそらく芥川龍之介の自殺によって刷り込まれたのであろう。
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