まだ走る気が全く起きないが、走っている人について思い出した事があるので書く。
山の神こと東洋大学の柏原竜二についてである。
彼の箱根駅伝デビューでは心の底からすごいと思った記憶がある。
箱根のあの山を、すたこらサッサと走るだけでも大変な事なのである。
ましてや彼は前半から飛ばしまくっていた。
後半の下りで早稲田の人に追いつかれてしまったけど、最後は根性で突き放していた。
すごく苦しそうに走ってて、正月にだらだら過ごしてる自分が少し申し訳なくなった。
でも、自分にも箱根で苦しんだ経験がある。
弥次さん喜多さんに憧れて(本当は人生に行き詰まって)、伊勢神宮までママチャリで行ったことがある。
神奈川県の中央林間から。
あれは、二年前の夏、相棒は同じく人生に行き詰まっていた(いる?今も?)
はらゆうじである。
この旅で強く記憶に残っているのは、箱根のつらさと、静岡の東西の長さと、コインランドリーで犬を連れたおじさんに蹴って起こされた事である。
要はこの旅は二度と繰り返したくない類のものである。
箱根の山はきつかった。
自転車に乗るのはもちろん、押して歩くのもこたえた。
感覚がおかしくなっていて、目では平行に見えても実は登りだったりする。
しかも山でくねくね曲がりばっかりだから先が見えない。
まるでいえでネトゲーばかりやっているはらゆうじの人生のようだった。
鈍い圧迫感を足に感じながらも自転車を押し続けなければ前に進めない逃げられない状況。
いや、逃げられるのかもしれないが、そういった決断すらめんどくさくなっていた。
人間、余計なことを考えすぎなのだ。
はらゆうじは山登りの後半には犬と会話しだした。
おばあさんと会話するおじいさんみたいに、一見怒っているのかのようにぶっきらぼうに話す姿が印象的だった。
これは朝方だった。
まだかよ、まだだよ、みたいな感じでなかなか終わりが見えない。
段々と傾斜が緩やかになって、下りがあったり、かと思えば登りだったりして、まだかよ、まだだを繰り返す。
我々は一晩かけて箱根の山を登り、早朝五時ごろに芦ノ湖に着いて寝た。
朝といえど、真夏の太陽の日差しはすぐに地面を鉄板状態にした。
休み場所はなかった。
自転車を漕ぐしかなかった。
そんな感じで伊勢まで行きました。
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