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2010年10月11日月曜日

ゼミ合宿

この二日間は早稲田でゼミ合宿があった。

昨日はいちむらみさこさんのワークショップ。
いちむらさんはホームレスアーティストである。
街角でダンボールを拾い、戸山公園で話をしてもらったり寝たりした。
その後はDVD上映会など。

ホームレスについて、真剣に想像力を働かせたのは今回が初めてだ。
テント村の話はとても興味深かった。
人を介して濃密なコミュニティがあることを聞いていたが、実際に話を聞くとリアリティをもった話としてぐっと引き込まれた。
格差はあっても、できないということが価値を下げることにはならない、というコミュニティのあり方はとても考えさせられた。
縄文時代とかもそうだったのであろうか。
原始的な人間のコミュニティ形態はそうだったのであろうか。
そうすると、今の社会というのはとてもシステム化されてすぎていて、無理が出てきてしまう人間があらわれるのであろう。
またそうした、社会制度も、排除も「暴力」と捉える暴力論も興味深かった。
これは太宰治の「家庭の幸福は不幸のもと」ではないが、世間のこずるさ、PTA的な良心、偽善という圧迫感への告発でもある。
例えばホームレスに対して、子供によくない、景観をみ出すなどの小市民的圧力だ。
これは自分自身にも経験がある。
中学生の時である。
ある決まりを破った時、「信じていたのに」といってとある教師泣いた。
直感的に僕は汚いと思った。
何を信じていたのいうのだろうか。
別に仲良くしていたわけでも、勉強が出来て可愛がられていたというわけでもない。
僕は裏切ってしまったのだろうか。
一気に関係が立ち切れた気がした。
とても暴力的に。
今では言葉に出来るが、何年もこの記憶は不気味なまま頭の片隅に鎮座していた。
暴力での応酬は、暴力の連鎖を生み出す。
アートは暴力への最大の抵抗となるか、ということをいみむらみさこさんに感じた。

ゼミには他にも、次回のゲスト立岩真也氏のテキストを読んだりして意見交換をしたりした。
いまだ持って所有とアートの関係が結びつかないでいる。

ゼミ生はみな強力な論客で、
すごいとしかいえない。
教授、社長、博士過程、教員、劇場職員、学芸員など役者揃いだ。
アートだけでなく、政治学、文学、社会学、経済学など様々な知識を駆使して議論を闘わせている。
全体討論では、議論を理解するので精一杯で、また、あまりの活発さが面白く、ほとんど発言せずに(できずに)聞き役に徹していた。
毎回、自分の中での宿題が雪だるま式に増えていく。



合宿班(会計係)であった。
事前準備にあまり参加できなかったので、当日は頑張ろうと心がけた。
これはなかなか楽しかった。
これから決算報告をしなければならない。

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