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2011年2月13日日曜日

赤羽ハーフマラソン

荒川河川敷


向かい風できつかった。
タイムは二時間十分。

何度も歩くという誘惑が。
でも歩かなかった。

(追記)
前回のハーフマラソンから一ヶ月。
しかも前回は初ハーフマラソン。
この時はあっさり走れたので、今回はもっと楽に走れると思いきや大違いだった。
足が重かった。
つらい、あと何キロだ、という気持ちのままで走る時の辛さを身を持って感じた。

2011年2月12日土曜日

限界自治 夕張検証 女性記者が追った600日

読売新聞北海道支社夕張市局編著

主に執筆者は若手記者の酒井麻里子という方なのだそうだ。
とても緻密に書かれており、読み応えがあった。
ところでこの酒井記者、写真をみるとワセミの長倉素子先生に顔が似ていた。

復活!ゆうばり映画祭

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭実行委員会編
北海道新聞社刊

ストーブパーティってのにすごく興味がある。

2011年2月8日火曜日

お昼

「お昼は400円まで、基本、駅前の立ち食いそば」という生活を送っていたが、2月から改めている。
そう、東京マラソンに向けてだ。
今は「さくら水産」のランチ500円に毎日通っている。
ランチメニューは3種類だが、なんとご飯、味噌汁、卵、ノリがおかわり自由。
とりあえずお替わりする。
少食なのでちょっと無理している。
だが、おかげで走るとき、明らかにスタミナが違う(気がする)。
ちなみに職場のお昼当番の日は、混雑タイムから外れるのでSAPANAというインドカレー屋に行く。
インド本場の味に近く、ギラギラしたエネルギーを貰える。
こちらもナン、ライスのおかわり可能。
締めのチャイも絶品である。

2011年2月7日月曜日

2011年2月6日日曜日

幸福の黄色いハンカチ

山田洋次監督。

高倉健
武田鉄矢
桃井かおり

夕張 破綻と再生

保母武彦、河合博司、佐々木忠、平岡和久

2011年2月3日木曜日

消費生活アドバイザー

本日、結果発表があり合格していた。
既に同種の資格の相談員試験も合格しているので、受かってたらラッキーだなと思っていたが、やはりほっとする。
合格率は二割くらいなのだそうだ。

比較的マイナーな試験なので、情報集めには苦労した。
ネットには大変お世話になった。
少しでもお役に立てればと思い、メモしておく。

時間軸でまとめておく。
7月下旬 出願

9月上旬 勉強開始

10月上旬 一次試験(選択問題)←会場:昭和女子大の入り口がわからず遅刻する

11月上旬 試験結果発表(一次試験)

11月下旬 土曜 二次試験(論文3つ)←消しゴムを忘れる。コンビニで買う。一安心して試験に臨む。そしたらシャーペンの芯が先っちょだけしかなくてかなり焦る。筆圧を軽めに書く。
日曜 二次試験(面接)

2月上旬 結果発表(二次試験)


◯使った参考書
過去問
産業能率大学の想定問題
くらしの豆知識
分厚い辞書見たいな対策本


◯一次試験の勉強法
対策本の問題のところを解く。間違えたところはチェックしておく(ほぼ全問間違えた。まぐれ当たりは間違いに換算)。
二周目は間違えたところだけ解く。同じく間違えたところはチェック。
三周目も同じ要領で。

過去問、想定問題
対策本と同じ要領で繰り返し解く。答えを覚えてしまうくらい繰り返す。


◯二次試験の勉強法
対策本は重いし、分厚いので、ほとんど使わなかった。
通勤時間とかにくらしの豆知識を読む。
特に数字とか覚えるように心がける。
あと、一つの話題に対して番号を3つふってポイントとして押さえる。
ネットに載ってる論文をみて構成を参考にする。
私の場合は書かなきゃな書かなきゃなと思っているうちに本番を迎える。
結局、一回も論文を書かなかった。
面接対策は志望動機、資格とったらどうしたいか、最近の気になる消費者問題を考えておいた。


◯勉強時間
一次試験
一ヶ月前から一日二時間くらい。

二次試験
半月前から一日一時間くらい。


◯不安だったこと
対策本の分厚さ。
範囲の広さ。
ネットに登場する受験生の勤勉さ。


◯終わってみての感想
対策本はほぼ一つ。だけど、必ずしも使う必要はないと思います。過去問がやはり1番。

範囲は広いが全てマスターする必要はない。繊維とかわからないものはわからない。ただし、得意分野を作っておくと精神的に有利。私の場合は、消費者問題。

ネットに登場する方の中には、二年目の挑戦者もいて、気合が入っている。論文とか人に見てもらったりの正攻法で勉強している。私は結局事前に一回も書かなかった。文章を書くのは決して得意ではない。ただ、形式だけは意識し、あとは本番の馬鹿力で書き上げた。

2011年2月1日火曜日

未来工業

毎回社長をゲストとして呼び、村上龍がお話するカンブリア宮殿。
未来工業の回は面白いとのオススメや評判を聞いて、見てみた。

未来工業の社長は元劇団やってた演劇人。
タイムカードと残業はなし、休みと給料はたくさんある。
「常に考える」っていう社是を日常的に実践するために(身体で覚えるために)、アイディアを提案すればとりあえず500円もらえる。
採用されればもちろんまたお金がもらえる。
夢のような会社。

身体で覚えるとか一種の職人気質があるのかと思う。
例えば、ケチを身体で覚えるための手段。
各人の机の上には蛍光灯があって、スイッチのひもには名札がついている。
ほんとうは蛍光灯はこまめにきるとかえって電気代がかかるのだが、節約ということを実感する上ではこまめにけす習慣がついた方がいいとする。


あと、村上龍とのトークの中での社長は「わからない」には潔さを感じた。
変に繕わず、見栄もはらずに、わかんないものは「わからない」と言い切ってしまう。
人間なんて「わかんない」。
その自覚がこの社長を社長たらしめている。

2011年1月31日月曜日

2011年1月27日木曜日

2011年1月25日火曜日

足痛い

1月9日にハーフマラソンに出て以来、足が痛い。
初めは左膝、次は右膝、今は左足の外側。
一箇所づつ、痛みが転移。
休むのは不安なので、それでも東京マラソンに向けてゆったりと走る。


2011年1月23日日曜日

走ることについて語るときに僕が語ること

村上春樹
再読。

走ることの哲学を求めて再読。
ウルトラマラソンの下りとか面白いな。
抜けるっていう感覚は俗にいうランナーズハイってやつか。
経験してみたい。

サンスポ千葉マリンマラソン

十キロの部に参加。
右膝痛のため、ゆっくりと走る。
タイムは59分。
レース後は、右膝痛が悪化。
階段の上り下りで激痛。
エスカレーター、スロープをなるべく使う。
バリアフリーって有り難い。
よく、高齢者が階段で苦労しているのを見かけるがようやく得心。
これからはやさしく気を配ろうと思います。

ちなみに千葉マリンスタジアムのあるJR海浜幕張駅まで片道二時間かかりました。
走ることが嫌いな方は理解出来ないでしょう。
私も理解出来きません。

2011年1月17日月曜日

デブでも走れる東京マラソン

川村卓正
マイコミ新書

再読。
この本とは関係ないが、松村邦洋にはまた東京マラソンに挑戦して欲しい。
まっちゃんのキムタクのモノマネがまたみたい
まっちゃんは戦国武将に詳しい

2011年1月13日木曜日

メカジキ、さかなクン

ひょんなことからメカジキについて調べている。
メカジキはクジラやサメにも襲いかかるというかなり凶暴な魚らしい。
体長は最大4.5mというからかなり大きい。
魚界でも頂点に君臨するほどの猛者である。
突きん棒(つきんぼ)漁という方法で漁をする。
突きん棒漁とは、船からモリで直接メカジキを仕留める、原始的かつ勇壮な漁である。

魚について調べる時に、外せないのはやはりさかなクンである。
さかなクンのHPをのぞいたら、当然のようにメカジキのイラストを描いていた。
プロフィールのところをみたら、さかなクンが魚を好きになったエピソードも載っていた。
最初はタコが好きだったようだ。
小学生の時に、友達にノートに落書きされたのがタコだった。
そこから関心が高まり、吸盤の数を数えたり、タコ料理を食べまくったようだ。
タコを港に通い見てるうちに、魚全般に興味を抱くようになったらしい。

Wikipediaでもさかなクンをチェック。
本当かはわからないが、やはりさかなラブエピソードは面白い。
中学時代は吹奏楽部だったそうだが、始めたきっかけは水槽学だと勘違いしたらしい。
初恋は魚(自称、タコじゃないのか!)、アルバイトは全て魚に関すること、年齢は成魚らしい。
あと、浜崎あゆみを知らず「あゆ」ときいて魚の「鮎」だと思ってしまったことなど。

ムネオ流マラソン術

鈴木宗男

再読。
還暦でフルマラソンをサブフォー(四時間切る)とは。

2011年1月12日水曜日

東京マラソン

遠藤雅彦


東京都職員として東京マラソン実現に携わった著者による様々な話。

2011年1月11日火曜日

サロマ湖100kmウルトラマラソン

年末年始に北京に旅行して、最も良かったと思うのは二つ。
寒すぎたこと、飛行機に乗り遅れたことだ。
他のことがどうでもよくなるくらいに寒すぎたおかげで、東京の冬の寒さを相対的に捉えることができた。
飛行機に乗り遅れたおかげで、また英語を学び海外に行ってやろうという気持ちになった。
つらいことやハプニングは味噌汁のダシのようなもので、それが無いと旅はひどく味気ない。
サウナも長くいればいるほど、出たときに開放感がある。
喉をカラカラにしたときの水ほどうまいものはない。

さて、次は何しようかと思ってるとこにいいのを見つけた。
サロマ湖100kmウルトラマラソン
http://saromanblue.jp/top/

100kmとはすごい。
一度走ったら二度と走りたくない。
できれば一度も走りたくない。
大会でもなければ走ることすら思いもよらない。

三年前の夏、神奈川県中央林間から伊勢神宮までチャリンコで行ったときに、一日の移動距離が100kmだ。
いや、正確には最初のうちはもっと短かかった。
伊勢まで6日かかったわけだが、徐々に慣れて距離を伸ばし、一日に100km進めるようになった。
あの時は心は完全に折れて、相棒の原氏に任せきりだった。
その事もあり、彼はもうきっと一緒に来てくれないだろう。
しかも月給が6万という日常生活のほうがよっぽど大変なので、それどころではないかもしれない。

エントリーしたらすごく後悔しそうで、悩んでいる。

2011年1月10日月曜日

もったいないね このバチ当たりめ!

北野大、ビートたけし

あ・うん、という謎の出版社

環境問題についての対談
北野大は環境問題の専門家である。

p189たけし版鶴の恩返し
『昔々ある所にお爺さんがいました。お爺さんは傷ついた鶴を見つけて、手当てをしてやりました。何日かしたあとに若い娘がお爺さんの家にやってきました。お爺さんは恩返しをしてくれるんじゃないかと密かに期待していたんですが、娘は散々飲んで食って出て行ってしまいました。お爺さんが「鶴は恩返しするんじゃねぇのか?」と怒りました。すると「バカ野郎!あたしゃ鶴じゃない。サギだ」』

ノルウェイの森(上・下)

村上春樹

原作もチェック。
四年ぶり?くらいの再読。

ノルウェイの森

@日の出ワーナーマイカルシネマ


CMが10分以上もあった

同じ映画を二度観るのは久しぶり。

2011年1月9日日曜日

谷川真理ハーフマラソン

@荒川の金八先生に出てきそうな土手で。

人生初のハーフマラソン。
たくさんランナーがいた。
ラフタイムは2時間1分


(追記)
種目名 ハーフ一般男子
タイム 2;02;20
(ネットタイム 2;00;24)
10K通過タイム 1;02;43
種目順位 2675位/3825位
総合順位 5888位/9272位

2011年1月7日金曜日

北京旅行記ー四日目

一月一日





万里の長城に向かう。
北京北駅で一人運賃18元。
電車までの時間があるため、近くで時間を潰すことに。
ちょうどデパートがあった。
昼食。
チャーハンと、春巻き的なもの
鳥肉的なものを注文。
チャーハンは予想通りのチャーハンだったが、春巻き的なものは餅みたいな皮で、鳥肉は紹興酒で味つけしたクセのある味の脚の先の生々しいものだった。

電車で万里の長城へ向かう。
八、がつく駅を目指す。
道中は当然寝る。
我々はかつて、何度も旅先の電車で寝過ぎて目的地と出発駅との間を何度も往復する過去を持っている。
うまいことに降りる駅では起きていて無事に下車。
万里の長城へ。
入場料40元。
果てしなく続く万里の長城。
目的地の、その辺りで一番の標高の高い所ははるか彼方に見える。
ロープウェイとかはあるようだが、金にきびしい我々は見向きもせず歩いて目指す。
山登りみたいだった。
そのため、この度て唯一汗をかく。
そのため、あまり寒さは感じなかった。
一時間くらいかけて、その目的地へ。
登ってきた道のりをみると、なるほど遠くまできた感慨がある。
そのまま歩いて引き返す。

帰りはバス。
なかなか来ない。
あと15分待って来なかったら三時間後の電車で帰ろう、みたいな話を園原氏が振ったら、タイミングよくバスがくる。
バスは満員。
高速道路みたいなところをひたすら下って行く。
一時間半後に積水譚駅周辺に。

地下鉄で王府井に。
お土産を買う。
近くの屋台街に行く。
ヒトデ、サソリ、サナギ、鳩の丸焼き、トカゲなどが売られている。
名物らしい蜂蜜入りヨーグルトがあり、3元だったので飲む。
とてもおいしい。
この旅1番の味であった。
もう一杯飲む。
こちらはお湯で温めてあるもの。
これもとても美味しい。
ああ、北京来てよかった。
心からそう思った。
園原氏は私のこの感情を理解できかねるご様子であった。
そんな園原氏はサソリを食っていた。
阿佐ヶ谷で売っていた沢ガニのフライみたいな味だと言っていた。
サソリの毒を気にしていた。
食べる前に尻尾を降り、私のポッケにいれやがっていた(わたしがそれに気付いたのはHotelに戻ってから)。

ホテルに戻り、寝る。
寝る前に長渕剛先生とジブラの掛け合いを聴く。
しあわせになろうよ04という曲である。

次の日は帰る日で、午前の便なので、早起きしようね、といって早めに寝る。
23時前くらいのことである。

そして次の日も予定よりも遅く起きる(6時半くらい)。
そうして、飛行機に乗り遅れたのだった。
http://datsuryoku-memo.blogspot.com/2011/01/blog-post_03.html

北京旅行記ー三日目

12月31日大晦日





前日、9時に出ようと言ったか言われた
気がするが、案の定寝坊し、ホテルを出たのが11時くらい。
一日目、二日目と泊まったホテルだが、この日でチェックアウト。
部屋にマフラーを忘れ、慌てて取りに行く。
H.I.Sのページではそのホテルから徒歩圏内となっていた天壇公園に向かう。
30分くらい歩いた気がする。
ようやく到着。
相変わらずだだっ広い。
またもや寒過ぎてそこの歴史的価値などどうでもよくなる。
そもそも天壇公園の価値について知らないこともある。
ひたすら寒い思いをし、一通り見学をし、次のホテルでチェックインするべく地下鉄の駅に向かう。
地下鉄では北京駅に向かう。
北京駅から歩いて10分くらいでホテルへ。
チェックインするが、なぜかデポジットとして300元とられた。

部屋に荷物を置き、再び街に繰り出す。
北京駅近くの飲食店で昼食後。
私は、麺類を、園原氏は角煮の丼物を注文。

芸術区に向かうため、地下鉄を乗り継ぐ。
駅を降りたとこにいたタクシーはやはりぼったくり。
無視して、流しのタクシーを捕まえようと試みるがなかなか捕まらない。
反対車線でようやく捕まえる。
30分くらいで到着。
またもやなぜか1元多くとられた。

案の定、寒い。
芸術などどうでもよくなっていたが、芸術があるところが室内だったためにあり、寒さしのぎに入る。
その後はガイドブックに載っていたカフェに。
アメリカ人が経営しているらしく、洋風。
私はティラミスとカフェラテ、園原氏はウォッカを注文。
ちなみに園原氏のウォッカの発音は通じていなかった。

いくつか室内のギャラリーを見て、次の場所へ向かう。
北京オリンピックで注目を集めた鳥の巣が目的地である。
バスに乗るが、とても寒かった。
でもお構いなしに寝てしまった。

最寄の駅に着き、夕食を取るため、ケンタッキーに。
注文がうまく通じなかったせいもあるが、サイズは小さく、小腹を満たした程度だった。

歩いて三里屯へ。
ユニクロやナイキショップ、アップルストアがある、先端的なおしゃれタウンであった。

この日は大晦日である。
最初に行ったクラブは中国人だらけで、われわれが入り込む隙間はなかった。
次のバーは外国人は多くいたが、個人主義で特に知り合うこともなかった、
その次の日本食系バーも日本人はほとんどいなかった。
さて、そろそろ年越しまで30分である。
次こそはと、ガイドブックに書いてあった店に向かうがチャージ料が高く、断念。
近くのバーへ。
そこでなんとなく、年を越してしまった。
遠くで花火の音が聞こえた。
タクシーで、ホテルの最寄の北京駅まで行く。
そこからは歩き。
そのままホテルへ帰って就寝。
あっという間の年越し。

北京旅行記ー二日目

12月30日




前日、明日は9時出発とか言ったか言われた気がするが、案の定、寝坊する。
結局、ホテルを出たのは11時くらい。
ひとまず万里の長城を目指す。

地下鉄を乗り継いで、積水譚という駅で降りる。
明らかに観光客目当てのタクシーがふっかけてくる。
適当にあしらい、近くのデパートに入る。
地下の食品売り場などを見学。
鯉とかナマズとかが水槽にいた。
食品売り場にあるので、食用だと思う。
園原氏、ポケットティッシュを買う。

デパート近くの、食堂へ。
一軒目で、園原氏が大学生五年間習ったという(なかなか単位が取れなかっただけ)中国語を活かし、麺料理ありますか?、みたいな事を聴き、ない、とのことで次の店に。
二軒目。
指差し会話帳で、オススメ料理教えてください、とやる。
出て来たのは、ナポリタン風の麺料理だった。
ナポリタンは嫌いだし、特にピーマンは苦手なのでがっかり。
でも食べてみたら麺は美味しかった。
きしめんのような歯応えでありながら、きしめんよりも細い。
園原氏は、黒いスープの謎の麺料理だが、食べてみるとこちらのほうがおいしかった。
あっさりスープと麺がよく合う。

その後、万里の長城を目指すべく、それらしきバス停に。
ガイドブックには12元と書いてあったが、そこにいた人間によると、片道80元かかるという。
筆談で会話。
80×2人=160
往復で320元らしい。
おかしい、高い。
しかも誰も並んでいない場所、動きそうのないバスの前で、ここだよ、といって待たされる。
園原氏が水を買いに行こうと場を離れると、その人間はまた話しかけて来て、タクシーなら往復で400元だ、みたいなことをいってタクシーの方へ連れて行こうとする。
魂胆がわかってしまったのと、あまりにも寒かったので、もう結構!と思い改めて出直すことに。
とりあえず天安門へ向かうことにした。
ちなみに園原氏は水を買ったが、外で売られていたため中が少し凍っていた。

地下鉄で、天安門へ。
そのまま故宮を見学。
だだっ広く、隙間風が強いため寒い。
寒すぎる。
正直故宮などどうでもよくなってしまった。
最後のほうで、お土産内に四席だけのカフェらしき一角があって、底でコーヒーを。
砂糖入りで甘いコーヒーだった。

故宮を出たあとは、胡同という細い路地がある地区へ向かう。
古い街並みを活かし、おしゃれカフェがあるという場所。
道中もあまりにも寒く、コンビニ便利店で手袋を買う。

カフェに入る。
西洋風の普通のおしゃれカフェ。
あったかいものを頼む。
あとで聞いた話によると、園原氏、カフェのトイレを詰まらせてしまったようだ。

地下鉄を乗り継いで、王府井へ。
北京一の繁華街だ。
北京飯店という老舗ホテルで、元に両替する。
それぞれ、一万五千円ずつ。

道路のマンホールの穴からなぜか白いけむりがでている。
湯気か?
そんなT字路を渡り、全聚徳という有名らしい北京ダック屋に。
少し、高級な雰囲気。
北京ダックは美味しかった。
クレープのような薄い皮につつんで食べた。
会計は420元くらい。
この旅で一番の支出だった。

園原氏の出版社魂もあって、本屋へ。
村上春樹はもちろん東野圭吾も売っていた。
その後に行った駅ナカのスーパーみたいなところでも雑誌が置いてあり、園原氏は数点購入。

地下鉄で最寄りの駅へ。
数分歩くが、真逆に来ていることが判明。
タクシーを拾ってホテルへ。
なぜか一元余計に取られた。
部屋に戻り、シャワーを浴びて就寝。

2011年1月6日木曜日

北京旅行記ー一日目

12月29日(一日目)



@成田空港駅。「かっこいいっしょ?」だって。


まず園原家に集合。
当初は午前中に集合し、大掃除するつもりが、お互いの寝坊により、おじゃんに。
私は2時に園原家に着いたが、その時点では園原氏は何も準備していなかった。
寝ていました、とおっしゃってました。
申し訳程度に掃除機かけて、30分くらいで荷造りをしていた。
15:30護国寺を出る。
17:00成田空港に着く。
北京に着くのが22時過ぎになので、予め元に両替する(二人で一万円分くらい)
園原氏、ユニクロでヒートテックを買ったり、本屋でガイドブックを買ったり。
この人、明らかに今、準備しだしてます。
成田19:00発の飛行機(ユナイテッド航空)に乗る。
のんびりしてたら、15分前でラストコールだった(こんな感じだから、帰りの便で乗り遅れることに…)

現地時間22時過ぎに北京着。
日本との時差はマイナス1時間。
空港から外に一歩出ると、とても寒い。
タクシーで、ホテルに向かう。
英語は通じないので、指差し会話。
意味が通じたようで、出発。
一時間くらいで、無事にホテルに着く。
料金は110元くらい。

チェックイン後、近くで一杯。
この時、24時過ぎ。
ビールと、冷めたほうれん草炒め的なもの、ミミガー、キムチなどを注文。
量が多い事もあり、残す。
お勘定は660元くらいだった気がする。

ホテルに戻り就寝。
25時過ぎ。

2011年1月5日水曜日

2011年1月3日月曜日

トロンレガシー

@日の出イオンモール

http://eiga.com/l/SFtz


カモかものCMを確認。

北京空港で乗り遅れる

北京旅行から帰ってきました。
最高気温でもマイナスなので、とにかく寒かったです。
最後の最後でハプニングがありましたので、メモしときます。
海外の空港にて、飛行機に乗り遅れました。
会話は英語や中国語なので、何を言われたかはあいまいです。
こんなハプニングの中でも、連れの園原くんはずっと「ノルウェイの森」の松山ケンイチのモノマネをしておりました。


1月2日北京旅行最終日。
ユナイティッド航空で北京ー成田10;40の便。
これになんと乗り遅れてしまった。
搭乗口まで行き、本当に最後のとこまで行ったが駄目だった。
着いたのが10;40の少し前であったためである。
果たして帰れるのか。


〈原因〉
北京空港が広いのが誤算であった。
まず、第二ターミナルと第三ターミナルを最初に間違えていた(第三ターミナルは新しく大きいので迷ったらこっちに行けばよいと思う)。
第二ターミナルから無料のシャトルバスで第三ターミナルに向かった。
そのため窓口でチェックインしたのが、9;30と一時間と少し前くらい。
その後、食事をとり、残った元を使ってしまおうとお土産屋へ。
そうこうしているうちに25分前であることに気づき、慌てて搭乗口に向かう。
搭乗口に行くまでは自動のモノレールみたいなのに乗らなければならない。
その後、出国審査を済ませると、あっという間に10分前。
こりゃ本気でまずいとカートに乗り、搭乗口へ向かう。(ちなみにこのカートは無料だと思ったら一人当たり10元とられた)
やっとこさ搭乗口に着いたが、係員は「20分前には来いって書いてあるでしょ」的なことを怒っていた。
そして、乗れないことが判明した。
ちょうど同じ境遇らしきカップルもいた。


〈対応〉
とりあえず荷物を受け取ってくれみたいなことを言われた。
チケットに「D16対面」と書いて、そこで受け取れと言われた。
どうすればいいのか途方に暮れていたが、係員に連れられ、逆戻りすることに。
一度出国手続きをしてしまったので、少しややこしそうだった。
これはその係員にパスポートを渡し、われわれは待つだけでよかった。
D16対面、すなわちユナイテッド航空D16窓口の向かいの荷物管理所にいったが、荷物はまだないという(あと1時間半くらいかかると言われた気がしたが、一時間半後にはまだなかった)。
その後、ユナイテッド航空の受付で荷物の行方を聞いて、言葉がよくわからなくて不安になったり、
ユナイテッド航空オフィスに行ったり、いろいろ航空内を歩きまわった。


〈帰国まで〉
どうやら自己責任でも他のチケットは同じ航空会社の他の便に代えてもらえるようだ(ネット情報によっても無料できたとの報告がある。ただし、格安航空券は難しいらしい)。
しかし、今回は近い便が満席のようで替えがなかった。
そのため、AIR CHINAで新しく買うことをユナイテッド航空の受付の人間に勧められた。
そこで、AIR CHINAのカウンターに行き尋ねるとその時点から1時間半後くらいの北京ー成田13;25の便が取れるという。
一人当たり2607元かかるとのことだが、背に腹は代えられないので買った。
インドでは使えなかったJCBのクレジットカードだったが、なんとか使えた。
時間がないので、「すぐにチェックインしろ」と言われた。
しかし、一つ問題があった。
我々が乗り遅れたユナイテッド航空の便に荷物が一度積まれている。
それの行方がわからない(後で判明したことでは荷物はセキュリティ上の問題で下ろされていた)。
このまま成田に向かっても荷物はどうなるのか。
ユナイテッド航空のカウンターにいってそのことを聞いたほうがいいのか。
結果としては、そのまま搭乗口に向かった。
我々には時間がなく、またも乗り過ごしてはシャレにならないと判断したからだ。
実際、搭乗口に着いたの出発15分前くらいであり、ラストラストコールのランプが光っていた。


〈成田にて〉
日本語で窓口で事情を説明した。
ここからはスタッフは日本人。
言葉が通じるということもあってか、とても丁寧に対応してくださったように感じた。。
今回AIR CHINAの航空便で成田に来ているので、荷物を預けたユナイテッド航空ではなくAIR CHINAで手続きをするのだという。
当然、ユナイテッド航空の人も捜索に協力してくれるとのことではある。
AIR CHINAのカウンターで荷物の特徴や、住所、パスポート番号、電話番号、氏名を用紙に記入する。
その場でも成田の便に紛れてないか、捜索してくれた。
30分くらいかかったが見つからず、その場はそれで退散。
もしも今後見つかれば電話で教えてくれるという。
郵送料は都内であれば着払いで2千円くらいらしい。

(追記)
荷物は見つかった。
帰国から3日目にして荷物が実家に届いた。





2011年1月1日土曜日

北京旅行中




北京に来た。
とても寒い。手袋を忘れたが、とても手がかじかむ。動くのが億劫になる寒さで、底冷えしてしまう。一度室内に入ると外に出るのが辛い。外に出ると頭が働かなくなるくらいに寒い。口の周りも冷えてしまい、口がうまくまわらない。寒い地方の人がなまるのがよくわかった。あれは口をあまり動かさずに話す技術なのだ。

地下鉄はとても使いやすい。料金は一律二元で、自動車改札機でカードを買えばよい。日本と違い、何号線と番号制であり、初めての人間にとってもわかりやすい。物価は日本よりも安め。半額とはいかないまでもそのくらいは安い。一食あたり、二、三百円でおさまる。
人がまばらなのが意外であった。また、日本人も全く見かけない。

年越しは特に何もなかった。
バーで過ごした。




(2011/1/5追記)
この文は北京で書いたのだが、なぜかフォントが大きくなっている。
写真もうまくアップできなかった。
これ。
※手でほほを抑えているのは歯が痛いのではなく、川崎和男博士のモノマネをしているらしいです。

2010年12月27日月曜日

北京旅行に向けて

年末の29日から四泊五日で北京に旅行する。
失恋中の園原氏と二人で行く。

二人旅はこれで、五度目。
国内ではヒッチハイクで各地を巡った。
海外に行くのは初めてだ。
私は今年の二月にインド旅行で海外デビューしたが、園原氏は海外旅行自体が初めてである。

パスポートは取得し、ホテルと航空券は予約してある。
それ以外はお互い何もしていなかった。
このままだと、ぶっつけ本番になりそうなので、会うことを呼びかけた。

昨日、吉祥寺で会った。
会う前に私はガイドブックを買って予習した。
時間がなかったので気になったところに付箋を貼ったら、付箋だらけになってしまいどこをみていいのかわからなくなった。

落ち合い、はらドーナッツというドーナッツ屋に入った。

旅行に関して、園原氏は何も準備していなかった。
ただ、出発日に大掃除をするということは決めていたようだった。
だから私も手伝うことにした。
19時発の飛行機なので、17時には成田空港に着いておきたい。
逆算して、園原家の最寄りの護国寺を15時半に出る必要がある。
となると、私は午前中に園原家に着くのが望ましいことになる。
海外保険の入っていた封筒のはしに、午前園原家、15:30護国寺発、と書いた。

それでなんとなく、話し合いが終わった。
その後、ポイントカードを持ってないけど、ヨドバシカメラ行って、変圧器を買った。
あとはいせや(新しいほう)に行って飲みました。

2010年12月25日土曜日

クラウド・コンピューティング仕事術

西田宗千佳


朝日新書

ノルウェイの森

立川シネマシティ2

立川シネマシティのいい事。
上映前のCMが少ない。
劇場主の意向らしいがとても良心的だ。
あと、音がいい。
というわけで、ビートルズのノルウェイの森をすばらしい音で聞くことができた。
エンディングだけだけども。

http://eiga.com/l/4d83

2010年12月24日金曜日

消費者教育学会

消費者教育学会に入会しようと思う。
仕事に直結するところでもある。
深く掘り下げて、仕事を充実させたい。

アカデミックな世界に足を踏み入れるとは学生時代は思いもよらなかった。
しかも消費者教育とは。
人生どう転がるかわからない。
Like a rolling stone

津谷弁護士の事件

遺族証言が事実だとすれば、津谷先生は浮かばれなさ過ぎる。
もちろん遺族も。
なぜ、二度も苦しまなければならないのか。
身につまされる。
この事件は心にズシンと重量感が残ったままだ。

芸術闘争論

村上隆


「自由」信仰批判
P264
「やりたいことしか、やりたくない」と。だからこそ、ぼくは自分の将来の信用問題を考えてどんなに小さなことでも手抜きをしませんでした。
p266
とにかく無節操に自由にいたい。人の顔を潰そうが何しようが自由がいちばん。社会構造を理解するより自由な立場を優先したい。しかし、うまい話にはのりたい。のっても、そのうまい話を自由気ままに好き勝手にやりたい。それはできない相談です。しかもキャリアも成功例もそれほど持ち合わせていない。それなのに、どうして自分の今の社会的立場を理解しようとしないのか。それは、そういう訓練を受けてこなかったし、仲間内でも社会に馴染まないことが正義という共通理念が発酵熟成してしまったからかもしれません。

2010年12月21日火曜日

ニコ生

村上隆、斎藤環対談。
今朝村上隆のTwitterで、この対談を知り、会場まで足を運んでみた。
都庁の隣の住友ビル七階にて。

対談の中身も面白かったのだか、ニコ生ということもあって、
対談中も文字によるツッコミが入る。
最初のうちは、それが可笑しくてしかたなかった。


ローコンテクスト、ハイコンテクストについての斎藤環の解説はとても勉強になった。
多民族でいちいち明示の表現で成立する文化はローコンテクキスト、
多くの暗黙の了解で成立している日本文化はハイテキスト。
日本の漫画とかサブカルチャーはハイコンテクスト、
教育によって理解が出来るアートはローコンテクスト。

帰りに村上隆の芸術闘争論1800円を買いました。

2010年12月18日土曜日

いまここに在ることの恥

辺見庸

「あなたは誰ですか」「あなたはどこから来たのですか」「あなたはなにをしているのですか」
根源的な問い。難問中の難問。

2010年12月15日水曜日

しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか

辺見庸

本著にインスパイアされて思ったこと。
iPhoneって便利すぎる。ついついいじってしまう。だが、みたされない。依存してしまっている。自分の身体までがデジタルの一部になろうとしている。情報にさらされ続け、身体は腑抜けとなっている。
五月に熊野に旅に行った時、友人園原がiPhoneを家に置いた理由がよくわかる。iPhoneという機器の汎用性。これは便利でスマート過ぎるゆえに危険である。全て収斂されてしまう。抵抗する間もなく。

2010年12月13日月曜日

反省

11月は5冊しか本を読まなかった。
(このブログは何冊読んだかのメモである。そのためにある。)
下旬に資格試験があったことやちょっと仕事でバタバタしていたこともあり、勤務後のジムや勉強会参加も疎かになってしまった。

サボりグセは怖い。
つい、ま、いーや、となってしまう。
ジムは銭湯と化し、カフェや電車内ではiPhoneで時間をつぶし、スタコラサッサと帰路につく。
住まいが東京の西の外れで何もないので、帰るモードになると一日がそれで終わる。
最近になって時間にゆとりが出て来たが、それまでのリズムを引きずり、どことなく物足りなさがあって、今ひとつ調子が上がらなかった。
ま、いーや、を超えると確かな手ごたえを得られる。
これが生活にハリを与えてくれるようだ。
本日、早稲田で北田暁大の講義を聴いてつくづくそう思った(詳細は後日)


とりあえず、これからは次の3つに力を入れたい。
①東京マラソンに向けてのジョギング。←最近週一くらい。
②アート。そもそもアートとは何かについて考えを深める。観劇する。知り合いのだけではなく、自分でみたい演目を探し、チケット買って見に行く。
③消費者行政。まず足元の仕事から。次に消費者教育、教材。法律一般、消費者法についても、その辺の法学部生くらいの知識を。


今までの人生、計画倒れでやってきました。
でも構いません。
談志師匠の御言葉。
『人生成り行き』

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム

東浩紀・北田暁大

2010年12月12日日曜日

辺見庸講演会

辺見庸の講演会が12月19日にあるようだ。
http://yo-hemmi.net/pages/user/iphone/article?article_id=169832581
聴講しようと思う。
今回で二回目となる。
第一回目はとても印象深く、その後も多大なる影響を受けたのだった。

大学卒業はしたが就職先のなかった二年前の春、友人原雄二の誘いで、辺見庸の講演会に参加した。
会場は九段の会館だったと記憶している。

原雄二くんがなぜ辺見庸の講演会に興味を持ったかは未だ謎である。
私もその時は辺見庸の本を読んでいなかったし、名前を知っているくらいだった。
ともかく、特に予定もなかったし、ジャーナリズムにもさして興味はなかったが、せっかくだしちょっくら覗いてくるか、といった気分で会場を訪れた。
死刑制度についての講演だった。
講演に先立ち、チェロのミニコンサートが行われた。
辺見庸はこれを死刑囚に捧げるといった。
そうして、講演が始まった。
途中休憩を挟んで、三時間くらいだったと記憶しているが、辺見庸は淀みなく話し続けた。
時折うまそうに水を飲んでいた。

辺見庸は徹底した死刑反対論者である。
世間、諧調性、スパルタクスをキーワードとして、自説を展開した。
身近な人間が殺されたら、その殺したヤツに死刑を望まないかい?という感情論で死刑を漠然と肯定していた私は、
死刑制度への無知を恥じ入るとともに、心が揺れ動いていった。
巧みな論理的裏付けであった。
阿部謹也の世間論、ダンサーインザダーク、鳩山邦夫元法務大臣のベルトコンベアー発言、とどめはマザーテレサの言葉の引用だ。
愛の対義語は無関心ー
この言葉ほど胸に突き刺さったものはない。
死刑は確実に行われている。
国家というシステムによって人の命が殺されていく現実。
国家による正当化された殺人。
抵抗できない個を抹殺する正義。
だが、それは遠くの出来事、他人事。
波風立てないように穏やかに、「日常の諧調性」の中で通り過ぎ行く。
それは正義か。
わたしは戸惑った。
でもしかし、とも思う。
自分にとって大切な人が惨殺されたならば黙っていられようか。
自らのうちに暴力性が湧いてこないだろうか。
それでも辺見庸は死刑に反対をとなえる。
辺見庸は数年前に倒れたせいで体にマヒがある。
死刑が執行されたのを知ると、発作が起こり体が硬直してしまうのだそうだ。
その姿、その姿勢に、私は死刑制度について考えざるを得なくなった。
その答えはまだ出ていない。

2010年12月11日土曜日

仙人からのお祝い

私の誕生日は10月13日です。
この手紙は12月1日に来ました。
仙人の誕生日は12月5日です。

ちなみに同封のプレゼントは綾小路きみまろのCDでした。

2010年12月10日金曜日

高尾山

去年の年末年始は高尾山のお寺で働いた。
高尾山といってもケーブルを登ったほうではなくて、高尾山口駅から甲州街道沿いにちょっと歩いた高尾山祈祷殿というところ。
ちょうど駐車場があるところで、その一角に車のお祓い場があり、そこで働いた。
仕事内容はお祓いに来た車の誘導とお守りなどのグッズ(?)販売。
年始は二時間待ちになる位の大盛況である。
また、お守りなどを買っていただいた時に「ありがとうございます」ではなく、「ご苦労様です」というあたりがお寺っぽさを感じさせた。
ちなみに年明け早々、園原氏、チャコ山氏、エリコポーロ氏がお見えになった。
エリコポーロ氏は騙されたのか、寒そうな格好で来ていた。
高尾山は山なので朝と夜は結構冷え込む。
どの位寒いかというと、私がヒートテックを四枚重ね着する位である。
園原氏はお守りを買ってくれた。
彼は昔、
実家に久しぶりに帰った時に車を運転した時にバッテリーが上がってしまったり、
カーナビ付きの車を運転しながら道を間違えたり、
車線変更をうまくできない
と車に関して弱点を抱えていた。
彼が買ったお守りはカードみたいなもので、あまり売れなかったものであった。
効果はあったのだろうか。
チャコ山氏は来たことしか覚えていない。

兼業できない公務員でなければ今年も働きたかった。
今年はお客として行こうか。
混むから嫌だな。


2010年12月8日水曜日

反貧困ーすべり台社会からの脱却ー

湯浅誠


メモ。
貧困問題はあるかないか、最大の敵は無関心。
貧困とは溜めがない状態。
すべり台社会。


搾取される時の惨めさは、昔グットウィルでバイトした時に経験している。
人脈の貧困は大学浪人中に。
仕事がない苦しさも就活浪人中に経験済み。
ここに私の原点がある。
だからこの本を読んで感じたのは貧困への同情ではなく、あわや自分もという危機感である。

2010年12月6日月曜日

園原家の魔力

おととい、久しぶりに活劇の芝居を観に行って、その足で園原家@文京区に泊まりに行った。
私は我が物顔で無印良品のベットを占領し、早々と寝てしまった。
かといって早起きするでもなく、急かされるまで二度寝三度寝をする始末。
主人の園原氏は寝袋で寝ていたらしい。
私は寝ていたからよくわからない。
本当に気持ち良く寝た。


今回の住居は初めてだ。
園原氏の家に初めて行った時は大学二年。
その時は国領、その後、新富町、三軒茶屋と引っ越しをしている。
今回引っ越したのは騒音トラブルが原因らしい。
彼なりにストレスを溜めてしまったようだ。
頭がひな鳥みたいに薄くなっていた。

園原氏は実家が長野県なので、一人暮らしをしている。
喘息持ちのため、部屋は綺麗である。
ものはあまりなく、簡素な印象を受ける。
そこで異彩を放っているのが意外と数がある本である。
難しそうな本がたくさん置いてある。
しかし積ん読であることがみえみえなのが悲しい。
この点は、住居を変えても共通している。

初めて園原家に泊まりに行った大学二年の時、
あまりにも寝心地が良くて、二度寝三度寝四度寝をし、一日を潰してしまったことがある。
またある時期は、彼はチベット仏教にハマっており、寝る段になると、仏教音楽をかけていた。
私には信仰心はないが、幻想的な音楽とお経は、何か大きなものに優しく包まれたような気分にさせ、深い眠りへ落ちていった。

赤ん坊と大学生はよく眠る、とはモリミーこと森見登美彦の名言であるが、それを地で行く大学生活を送っていたのである(卒業してもその傾向は続くのだがそれはまた別の機会に)。

悪いやつほどよく眠る、という黒澤映画もあるが別に悪いやつでなくても眠るときは眠るのである。

そんな時代も遠くなりました。(と思いたい)
今年の4月から突然変異をしました。
毎朝、五時起きの規則正しい生活を送っています。
最近では太陽が出る前で、薄暗い中を出勤してます。

2010年12月5日日曜日

石原慎太郎 5人の参謀

上杉隆

2010年12月2日木曜日

宗教

日本人に宗教はないのか?
いや、そんなことはない。
日本語による思考そのものが宗教ではなかろうか。
保守というのもそうだ。
自分が信じるか信じないかも意識しない最強の宗教。
それこそが日本人の宗教である。

それは、世間、空気、人間としてなどのあいまいなことばに内包される。
こうしたものに自覚的に生きて行きたい。

職業"振り込め詐欺"

ディスカバー携書

同名NHKスペシャルの書籍版。

振り込め詐欺の犯人の多くは20代などの若者なのだという。
仕事ができて、頭の切れる若者たち。
彼らは起業するための資金稼ぎとして、振り込め詐欺を行っている。
時代の状況を的確に読み、金銭化している。
一番危険な口座からの引き出しは、出し子、と呼ばれる末端の人間にやらせる。
出し子は、金銭的に困っているものが、目先の利益にとらわれてなる。
社会が悪いとか、自分の中に正義を作り犯罪に手を染めることを躊躇から振り払う。
捨て駒にされていることも気付かずに。

2010年11月30日火曜日

2010年11月28日日曜日

消費生活アドバイザー 二次試験

論文1
地方の消費者行政の課題

論文2
経済活動に政府が介入するのが妥当なケースを具体例をあげる。市場の失敗など理論的な観点から説明する。


面接
志望動機
取得したらどのように活用したいか
若者の被害の傾向
被害防止のためには何が必要か
消費者教育
最近の気になる消費者問題
消費者庁が出来て変わったこと

走ることについて語るときに僕の語ること

From Evernote:

走ることについて語るときに僕の語ること

村上春樹

走ることを媒介として自らを探求。
初めて職業作家である村上春樹そのものに触れた。

すっと腑に落ちた勉学についての考察を引用。
「小学校から大学にいたるまで、ごく一部を例外として、学校で強制的にやらされる勉強に、おおよそ興味が持てなかった。これはやらなくてはならないことなんだからと自分に言い聞かせて、ある程度のことはやってなんのか大学にまで進んだけれど、勉学を面白いと思ったことはほとんど一度もなかった。だから表に出せないようなひどい成績をとっていたわけでもないのだが、良い成績をとってほめられたとか、何かで一番になったとか、そういう晴れがましい記憶は一切ない。僕が勉強することに興味を覚えるようになったのは、所定の今日行くシステムをなんとかやり過ごしたあと、いわゆる「社会人」になってからである。自分が興味を持つ領域のものごとを、自分に合ったペースで、自分の好きな方法で追求していくと、知識や技術がきわめて効率的に身につくのだということがわかった。たとえば、翻訳技術にしても、そのようにして自己流で、いわば身銭を切りながらひとつひとつ身につけてきた。だから一応のかたちが身につくまで時間もかかったし、試行錯誤も重ねたが、そのぶん学んだことはそっくり身についた。」

2010年11月24日水曜日

東京マラソンにむけて

10月12日に当選しました。
東京マラソンにむけて今までにしたこと。
宗男先生のマラソン本を読んだ
英会話やめた
いくつかのマラソン大会にエントリーした
靴買った
その靴はナイキプラス対応なので、バンドも買った

これから、いえいえ今日から頑張ります。
きっと。

2010年11月23日火曜日

コーヒーフレッシュ

喫茶店とかでコーヒーに入れるミルクと思われている液体。
牛乳ではないことをご存じだろうか?
実は私は今年まで知らなかった。
正確にいえば考えもしなかった。
ミルクのようなものとして当然のことと受け入れていた。
ミルクのようなものの正体は、植物油水を混ぜて添加物を入れて濁らせた変な液体である。
人々はミルクと思って使用しているのだろう。
本当のことを知ったら、きっとどこか躊躇する気持ちが出てくるはずだ。
安いものには裏がある。
裏があるから安いのだ。
当たり前すぎていうのも恥ずかしいが、疑う力、が大切である。
世の中、なんとかもどきであふれている。
だが、今の世の中、情報がありすぎていちいち検討をしていたらちっとも先に進まない。
だからつい信じられそうなブランドに頼って、自分で判断するのを辞めてしまう嫌いがある。
情報洪水の惰性。
まずは食生活など身近なものから具体的に検討することが必要だろう。
ビール、日本酒、牛乳、ハム、安いのは気をつけたほうがいい。
別に本物志向を目指せというわけではない。
無知が不気味なだけだ。
私の大好きな「はなまるうどんのかけ小105円」。
裏にはどんなからくりががあるのだろうか。
天かすってのも、かすなんか食ってんだなあ。

2010年11月21日日曜日

相談員試験 面接篇

面接官二人。15分くらい。


志望動機
→職務に役立てる。自らが自立した消費者になるため。


センターでの相談員を見てどうか
→忙しそう。相談員にはいろいろな人や事案に対応する柔軟性と専門性が求められる。


相談員としてやっていけるか
→まだ自信はない。悪質商法は次から次に手口が変わるので、勉強して行く姿勢が重要になる。


路上で無料で品物渡すと言われ、仮設の事業所に行って、そこで高額なふとんを買うことになってしまった。クレジットで。使ってしまったが、契約解除したい。事業者は使ったから解除できないと言っている。どうするか
→クーリングオフの可能性を探る。クーリングオフ期間がすぎた場合も事業者と交渉して何とか消費者に有利になるようにする。


路上でやったという点は
→訪問販売…ではなく(正確には間違い。特商法では訪問販売扱い)、キャッチセールス(催眠商法?)に該当。特商法でクーリングオフの対象になる。


一度断っていたりしたのに勧誘していた場合は?
→特商法で規制する再勧誘の禁止に該当。


商店街の奥まったところなどに連れて行った場合、場所については
→特商法的に問題あり。契約成立しない(間違い。契約は成立。取り消しが可能になる。)


クレジットカードで契約したという点は
→クーリングオフで解約可能。ただし、事業者とカード会社両方に申告することが必要である。(既払い金の返還義務にも触れるべきであった)

(11/28追記)割賦販売法では、クレジットカードは包括信用購入あっせんという扱い。この質問に対する答えは個別信用購入あっせんと勘違いした。クレジットカード払いの場合は翌月一回払いのマンスリークリアという返済方法が一般的なので、そもそも割賦販売法の適用を受けなくなる。何回払いかによります、と答えるべきであった。

事業者から消費者ばかりに肩入れしていると言われたら
→契約時にきちんと説明するなど未然予防に務めるべき。


相談する際に助言とあっせんの使い分け
→助言は消費者に問題解決能力がある場合。あっせんは、例えば判断力の落ちた高齢者など本人だけでは解決が困難な場合。(助言については消費者教育の意味があることも言えれば良かった)


相談での情報をどう活かすか?
→情報の普遍化、共有化が大切。条例に結びつけたり、住民に情報提供をしたり、政策立案に反映するなど、大きな視点から活用することが大切。


消費生活センターはこのままではよいか
→もっと強化すべき。具体的には相談員の待遇改善。現状は、非常勤職員、女性。男性も相談員になるべきであるし、常勤雇用化も考えるべき。専門性の確保のためにも、研修も必要。


相談員と行政職員の関係。現状は、相談は相談員が受け付け、行政職員は情報の処理の分担。どう思うか?
→行政職員も相談業務を担当するもしくは研修などで経験すべき。そうでないと、実感のこもった情報処理が出来ない。


なるほど。頑張ってください。
→ありがとうございました。


反省と課題
バイトの面接でもなんでもそうだが、面接は完璧にはいかない。
そして、手応えがない。
何度やっても、ああ言えばよかった、あれで良かったのか、悔しい、が出てきてしまう。
やたらと良くなかったとこが気になる。

今回の反省点としては、問題点の整理の仕方であろう。
話し方というか。
これは面接官の方にしてもらった感がある。
具体的な事案検討の場合の質問の時がそうだ。
自分で問題点を整理しつつ、検討出来ればよかった。
一、場所と勧誘方法(路上で勧誘。特商法の訪問販売。)
二、使ってしまったふとん(クーリングオフであれば、使ってしまっていても消費者には負担はない)
三、クーリングオフ(特商法の訪問販売に該当し、契約書面交付から8日以内であればクーリングオフ可能。内容証明郵便ですること。8日をすぎていても、クーリングオフの妨害があれば可能性がある。)
四、事業者との交渉(契約に不備はなかったか。法律に抵触していないか。)

初めての具体的な事案検討だったので少し身構えすぎた。
完璧な答えを言おうとしてしまい、自らを追い込んだ。
今回の面接で、特商法の正確な理解こそが、適切なアドバイスにつながることがわかった。
とはいえ特商法はなかなか複雑で難しい。
ブルーの分厚い本を見たことがある。
いきなり全部を覚えるのは難しいので、一つ一つ事案に当てはめながら理解を深めていこうと思います。

2010年11月14日日曜日

雨宮氏

僕のPCに入ってた雨宮氏のデータを組み合わせて編集しました。
著作権上、無音になってしまいました。
今、彼は三重県の西の方にいます。

2010年11月9日火曜日

食品の裏側

安部司

食品業界の魔法の粉、食品添加物。
著者は元々は、食品添加物のトップセールスマンだったという。
ある時自分の子供が自分の商品を喜んで食べている姿に愕然としたという。
そのミートボールは、売り物にならない肉を無理やり集めて、添加物まみれにしたものであった。
ソースさえも原価下げるために食品添加物で色とか味付けしているというから驚きだ。


なぜ安いのか、なぜ見た目がよいのか、なぜおいしいのか、素朴な疑問を持つことが必要であると主張する。
食品が製品になっていることに改めて気づかされた。

2010年11月5日金曜日

ビジネス文完全マスター術

篠田義明

実用文の基本を丁寧に教えてくれる本。

ちょうど先週の土曜、職場の自己啓発支援制度というのを活用して、篠田氏本人の授業を一日受けた。
篠田氏いわく、実用文のうまさは知っているかいないかの違いだという。
なるほど、確かに篠田氏の授業を受けて、文章を書くときと読むときの視点がかわった。
わかりやすい文、それは論理的に一貫していて、簡潔な文である。
今まで当たり前のことを当たり前に出来ていなかった。
野球でのキャッチボール、サッカーのパスみたいに基本的なことは徹底して取り組むことが必要である。
文章でも同じ。
基本を貫けば、シンプルな文に行き着く。

篠田語録
定義で「もの」「こと」は使ってはならない。あいまいになるから。
教養がない人は打ち消しは使う。
例は三つ挙げる。

2010年11月4日木曜日

津谷先生に捧ぐ

朝、悲しいニュースが飛び込んできた。
津谷裕貴弁護士が刺されて亡くなったというのだ。 
実際にお会いしたのは8月下旬の日弁連の韓国食品行政視察だけではあるが、
知っている方をこのような形で失うことはとてもショックだ。

初めて出会った時のこと。
韓国視察初日、ホテルロビーで待ち合わせをし、あいさつをした時のことだ。
名刺を差し出しながら、開口一番息子さんのお話をされた。
聞けば、私と同じ行政職員で、まだお若いのだという。
今日、この悲しいニュースを知ったとき、真っ先に浮かんだのはこの息子さんについてである。
きっと私と同じ年くらいであろう。
とても身につまされた。

哀悼の意を込めて、津谷先生の論文「不招請勧誘規制のあり方について」を読もうと思う。
今年の「国民生活研究」(国民生活センター発行)という本に掲載された論文だ。
かつて津谷先生は秋田県で不招請勧誘規制条例の制定を目指したが実現はしなかった。
詳しくは知らないが、どうも既得権益層の反発があるようだ。
不招請勧誘は消費者問題の温床となっている。
私見だが、それは不招請という性質上、事業者による「売りつけ」になってしまう余地が大きいからであろう。
不招請勧誘規制に真剣に取り組まれた津谷先生からは学ぶことが大きいはずだ。
「消費者問題はなかなか奥深い。勉強すると面白いよ」「(韓国視察)若いうちにこういう経験しとけば将来に必ずいきてくる」ー何気なく、さりげなく、私を励ましてくれた津谷先生の姿が思い出される。

合掌。

2010年11月3日水曜日

素敵な言葉と出会う祭典

東京都などが主催する「活字離れ」対策のイベントに行って来た。
有楽町の国際フォーラム。

ビブリオバトルという書評対決や、斎藤孝の講演、猪瀬直樹副知事と村上隆らのパネリストとのシンポジウムなど、企画はなかなか豪華。
ちなみに寝坊したため、ビブリオバトルは行きの電車で見た。
というのはユーストリームで生中継されていたから。
しかし、特快に乗ったこともあってか、電波が悪く動画は飛び飛びであった。
自分がビブリオバトルに参加したら、ということも考えた。
川崎和男「デザイナーは喧嘩師であれ」、(作者失念。朝日新聞の記者)「指先の宇宙」、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、ビートたけし「死ぬための生き方」あたりであろうか。

2010年11月1日月曜日

マニフェスト進化論

北川正恭

他の自治体に先駆けて、事務事業評価という評価制度を取り入れた元三重県知事の著書。
評価制度の導入は事後検証可能なシステムを行政に取り入れたという意義がある。
著者の言葉を借りれば、マニフェストに代表されるような「価値前提」の行政運営である。
今までの行政はこれまでこのようにやってきたから今年もこうするという「事実前提」の元で運営されてきた。
だから、改革の必要があっても一部を削減するにとどまったりする程度でお茶を濁してしまうのである。
これには、行政の「無謬性」原則、すなわち行政のやっていることは全ては正しいという前提も隠れている。
これでは自律修正機能がなく、硬直化してしまう。

著者が知事として改革に取り組んだ際に、原則としたことは二つある。
「補完性」(自分でできないことは、地域で。地域でできないことは都道府県で。)と「情報公開」である。


つづく。

2010年10月22日金曜日

血液型

血液型性格診断が苦手である。
正確に言うと、血液型性格診断「信者」が苦手である。
「信者」とは価値観にのめり込み過ぎて、他人にも知らず知らずのうちに押し付けてくる者のことである。

例えば私の母。
自分の血液型がO型のためか、一番いい血液型と思い込んでいる節がある。
「A型は神経質で細かいが、O型はおおざっぱでおだやか」
「A型とB型は相性が悪いが、O型は誰とでも付き合える」
との言い方をする。


私は小さい頃から頻繁に聞かされ、小学生くらいまでは洗脳状態になっていた。
血液型がわからないので(今も)、もしO型以外だったらどうしよう、と思っていた。
どこの家庭でもそうなのでしょうか?

2010年10月19日火曜日

知事が日本を変える

浅野史郎
北川正恭
橋本大二郎

文春新書


草の根選挙で戦って、知事となってそれぞれの県で改革を行ったのが三人の共通点。
情報公開、説明責任、議論が肝。

2010年10月15日金曜日

演技論〜自分の舞台映えのしなさと絡めて〜

実は今日職務でコントに出演した。
確かに私は大学では演劇学専攻で、演劇サークルに所属していた過去を持つ。
だからといって演技ができるわけではない。
学部はほぼ99%座学でした。
サークルでは作演出を担当したい人間でした。
これは言い訳。

自分の演技は一言でいうと、陳腐である。
舞台映えしないのである。
変にマジメだから、ムキになって取り組んでしまうとこがまた地味な要素。

ちなみに明日もあります。


*写真は同期の矢吹君。通称泣きの矢吹。

2010年10月14日木曜日

「行政」を変える!

村尾信尚


都庁目指して一緒に机を並べた仲の吉田兄さんの運命の本。
村尾さんはあの日テレの夜のニュースキャスターである。
この村尾本は兄さんの1A合格の秘密兵器である。
というのは読む前までの印象。

読んでからの感想は、やはり兄さん実力そもそもあったんですね、である。
都庁の1A試験は大学院レベルで、
法律系なんか何枚も問題があって、理解すらできなかった。
財政学と行政学は問題文も短めで比較的手を出しやすかった。
記憶があいまいなので、ざっくりというと、
財政学は「市場の失敗と子育て支援」、
行政学は「行政評価」であった。
わたしは財政学で難しいことはわからなかったので、市場の失敗とは何かについて基本的な書いたりして、お茶を濁した。
順位は確か180番くらいで、一次試験で敗退した。


対する兄さんは、何たる偶然かこの「行政を変える!」を事前に読んでおり、当日も持って来ていた。
部屋の片隅に放置されていたとかでカビ生えてたとかおっしゃってました。
そのおかげで意外と書けた、と試験後振り返っておりました。
その勢いのまま、兄さんは次々と試験突破し1A合格を勝ち取りました。
ちなみに合格の瞬間に私は立ち会いました。
この時も兄さんはクールでした。


その体験から、この村尾本は行政評価の本かと思い込んでましたが、最初の方にちらっと出てくるのみであった。
兄さん、やっぱりすごいっすね。
私、いまだに日経新聞の面白さがわかりません。

(追記)
いいことが書いてあったので引用させていただく。
P167
私たちの心のなかには、三つの敵がいる。一つは、「私一人が行動しても、どうせ世の中変わらない」という、あきらめ感。二つは、抵抗勢力からの反発、反撃を恐れる気持ち。三つは、何もしなければ安逸な生活をおくれる、という誘惑。これらに打ち勝って、私たちは行動しなければならない。

悪人

@イオンモール日の出

吉田修一小説の映画化。
犯人のおばあちゃんがマスコミに追い詰められてしょげてるとこで、バスの運転手が、「ばあちゃんは悪くない。しっかりせんと」みたいなことをいうとことか、小説自体に繊細な情感が出ていてとても好きな世界観である。
ただ、この作品はどうしようもないくらいのダサさとか、みじめさがないと悪人が悪人たる所以が弱くなってしまうと思う。
決してつまらなかったわけではないが、むしろ二時間楽しんで観たのだが、出来すぎているという感が否めなかった。
こういう田舎とか土着の話の巧者は西田尚美とか青山真治とかがいる。
彼らに共通するのは時間のゆったり感、淀みである。
自分も東京とはいえ、そう地方と変わらない田舎の市に住んでいるのでこの感じはよくわかる。
この永遠にも続きそうな諧調性に対する人間の反応、抵抗が作品を形作るのである。
悪人でも、スポーツカーで飛ばすスピードとの対比があればもっと良くなったと思う。
と、エラそうな事を申し上げましてすみません。
嫉妬してるだけかもしれません。


松尾スズキの悪質商法の業者は超リアル。
樹木希林のおばあちゃんもだか(寺内貫太郎一家の時もですが)。
このキャストで消費者啓発向けのDVD作れたらとても面白そうだ。

2010年10月12日火曜日

柏原のすごさについて

まだ走る気が全く起きないが、走っている人について思い出した事があるので書く。
山の神こと東洋大学の柏原竜二についてである。
彼の箱根駅伝デビューでは心の底からすごいと思った記憶がある。
箱根のあの山を、すたこらサッサと走るだけでも大変な事なのである。
ましてや彼は前半から飛ばしまくっていた。
後半の下りで早稲田の人に追いつかれてしまったけど、最後は根性で突き放していた。
すごく苦しそうに走ってて、正月にだらだら過ごしてる自分が少し申し訳なくなった。
でも、自分にも箱根で苦しんだ経験がある。

弥次さん喜多さんに憧れて(本当は人生に行き詰まって)、伊勢神宮までママチャリで行ったことがある。
神奈川県の中央林間から。
あれは、二年前の夏、相棒は同じく人生に行き詰まっていた(いる?今も?)
はらゆうじである。
この旅で強く記憶に残っているのは、箱根のつらさと、静岡の東西の長さと、コインランドリーで犬を連れたおじさんに蹴って起こされた事である。
要はこの旅は二度と繰り返したくない類のものである。
箱根の山はきつかった。
自転車に乗るのはもちろん、押して歩くのもこたえた。
感覚がおかしくなっていて、目では平行に見えても実は登りだったりする。
しかも山でくねくね曲がりばっかりだから先が見えない。
まるでいえでネトゲーばかりやっているはらゆうじの人生のようだった。
鈍い圧迫感を足に感じながらも自転車を押し続けなければ前に進めない逃げられない状況。
いや、逃げられるのかもしれないが、そういった決断すらめんどくさくなっていた。
人間、余計なことを考えすぎなのだ。
はらゆうじは山登りの後半には犬と会話しだした。
おばあさんと会話するおじいさんみたいに、一見怒っているのかのようにぶっきらぼうに話す姿が印象的だった。
これは朝方だった。
まだかよ、まだだよ、みたいな感じでなかなか終わりが見えない。
段々と傾斜が緩やかになって、下りがあったり、かと思えば登りだったりして、まだかよ、まだだを繰り返す。
我々は一晩かけて箱根の山を登り、早朝五時ごろに芦ノ湖に着いて寝た。
朝といえど、真夏の太陽の日差しはすぐに地面を鉄板状態にした。
休み場所はなかった。
自転車を漕ぐしかなかった。

そんな感じで伊勢まで行きました。

東京マラソン当選

準備しなければ。
風呂だけ入りに行くのではなく、ちゃんとジムでも走ろう。
明日から会費が月12000円くらいになる。
スタミナつけるためにもう少し食べよう。
まず、小出監督的な人を探そう。
ジムのトレーナーの大二郎さんを指名しようか。
あと入金しないと。

アートについての所感

アートとは西洋の概念であって、現代におけるアートは、パトロンがいてそのために制作されるものの流れを汲む。
求められるのはプロフェッショナル。
日本では美術とされるもの。
アートといった場合には、西洋の流れが下敷きにある。
日本人にとっては、真の意味で理解不能ではないか。
宗教観、生活とあまりにかけ離れている。
だから、アートは高尚なもの、難しいものといった印象を受ける。
輸入物である。
明治以後、日本におけるキリスト教がインテリ層を中心に受け入れられたことと関係しているかもしれない。
文学があまりアートとして認識されないのは、自分たちの言葉によって自分たちの精神を見出したことが要因ではないか。
土台のあるところに築いたもの。

しかしながら、本来的な意味でのアートの役割は、もっと範囲が広いと思う。
もっと人間の本質に関わる部分であると考えるからだ。
生活文化の上澄みの部分をさして、芸術文化と称するのではないだろうか。
人間の無意識の表象、可視化。

芸術と芸能の違いについて。
伝統芸能の先生、伊藤まきちゃんからならったこと。
芸術は鑑賞されるもの、芸能は参加するもの。
演劇を例にとる。
明治以後から額縁演劇。
舞台と客席、切り離されている。
静かに鑑賞。

考えれば考えるほどわからなくなります。
アートは定義を嫌うのかもしれません。

2010年10月11日月曜日

人間の条件 そんなもんはない

立岩真也

キーワード
能力主義、障害者。

ゼミ合宿

この二日間は早稲田でゼミ合宿があった。

昨日はいちむらみさこさんのワークショップ。
いちむらさんはホームレスアーティストである。
街角でダンボールを拾い、戸山公園で話をしてもらったり寝たりした。
その後はDVD上映会など。

ホームレスについて、真剣に想像力を働かせたのは今回が初めてだ。
テント村の話はとても興味深かった。
人を介して濃密なコミュニティがあることを聞いていたが、実際に話を聞くとリアリティをもった話としてぐっと引き込まれた。
格差はあっても、できないということが価値を下げることにはならない、というコミュニティのあり方はとても考えさせられた。
縄文時代とかもそうだったのであろうか。
原始的な人間のコミュニティ形態はそうだったのであろうか。
そうすると、今の社会というのはとてもシステム化されてすぎていて、無理が出てきてしまう人間があらわれるのであろう。
またそうした、社会制度も、排除も「暴力」と捉える暴力論も興味深かった。
これは太宰治の「家庭の幸福は不幸のもと」ではないが、世間のこずるさ、PTA的な良心、偽善という圧迫感への告発でもある。
例えばホームレスに対して、子供によくない、景観をみ出すなどの小市民的圧力だ。
これは自分自身にも経験がある。
中学生の時である。
ある決まりを破った時、「信じていたのに」といってとある教師泣いた。
直感的に僕は汚いと思った。
何を信じていたのいうのだろうか。
別に仲良くしていたわけでも、勉強が出来て可愛がられていたというわけでもない。
僕は裏切ってしまったのだろうか。
一気に関係が立ち切れた気がした。
とても暴力的に。
今では言葉に出来るが、何年もこの記憶は不気味なまま頭の片隅に鎮座していた。
暴力での応酬は、暴力の連鎖を生み出す。
アートは暴力への最大の抵抗となるか、ということをいみむらみさこさんに感じた。

ゼミには他にも、次回のゲスト立岩真也氏のテキストを読んだりして意見交換をしたりした。
いまだ持って所有とアートの関係が結びつかないでいる。

ゼミ生はみな強力な論客で、
すごいとしかいえない。
教授、社長、博士過程、教員、劇場職員、学芸員など役者揃いだ。
アートだけでなく、政治学、文学、社会学、経済学など様々な知識を駆使して議論を闘わせている。
全体討論では、議論を理解するので精一杯で、また、あまりの活発さが面白く、ほとんど発言せずに(できずに)聞き役に徹していた。
毎回、自分の中での宿題が雪だるま式に増えていく。



合宿班(会計係)であった。
事前準備にあまり参加できなかったので、当日は頑張ろうと心がけた。
これはなかなか楽しかった。
これから決算報告をしなければならない。

2010年10月9日土曜日

日本消費者教育学会30周年シンポジウム

大変にお世話になっている細川先生が実行委員長をされているということで、参加してきた。
第一部、二部は公開講座である。
第一部にノルウェー・トーレセン教授の講演。
消費者教育をゆっくりとしたスピードで進む自転車に例えていた。
第二部はパネルディスカッション。
なかでも、内閣府の高橋さんが、EUの消費者市民社会には市民社会の土台はあるが、日本の場合はそうではない、という意見は興味深かった。
また三重県伊勢市の中学校の先生の実践を踏まえた報告も興味深かった。
その後の懇親会。
様々な方からいろいろと仕事に役立ちそうな意見を伺えたり、兼ねてからお会いしたかった伝説の都職員にお会い出来て誠に光栄。
刺激を多いに受けた。
明日は所有ゼミ。
しまった、立岩真也「人間の条件」を深く読めていない。

正式採用飲み

昨日はわが局の1〜3年目が集まり、正式採用をお祝いしてくれた。
同期とは久しぶりに会い、三年目の他人には初めて会った。
同期の一人からはなかなかいい話が聞けた。
背負うものがある人間の使命感、責任。
現実とのギャップへの戸惑い。

二次会には行かないつもりだったが、当然のように行ってしまった。
飲み過ぎた。
タバコを吸ってしまった。
二日酔いというわけではないが、自分の身体がしっくりこない。
最近飲まなくなったせいもあるが、アルコールに対する身体の反応に変化が起きているようだ。

2010年10月6日水曜日

人格

土日に試験を受けたため、頭を使いすぎてとても疲れている。
でも、今日は英会話の日。
7月の下旬から週一で始めている。
今日からはプライベートレッスンになるようだ。
ティーチャーは、スッコットランド出身で、今は奥多摩に住んでいるデイビット(名前あいまい)。
黒澤明とか戦国時代とか好きなのだそうだ。
45分間。
フリートークした。
疲れていたため、頭が回転しない。
ましてや英語は苦手なので、今日は単語の羅列で全く文章にならなかった。
トピックは、消費者行政のこと、映画のこと、スコットランドの学校システムのこと。
消費者行政の話は、単語が全然出てこなくて、苦戦した。
映画も黒澤明、小津安二郎、北野武について話したが、どこがいいとか、他の映画に絡めた意見について英語で表現しづらく、消化不良。
スコットランドの学校のシステムは、ノートを使いつつ会話したので、意味が通じやすくなかなか興味深かった。
小学校は日本より一年早く6歳から。
でも、日本より一年長く7年間通うので卒業は同じ12歳の時。
中学校と高校は、スコットランドでは一緒でsecondary schoolというらしい。
最初の2年間はgeneralに学ぶ。
その次は5科目を重点的に学ぶ(デイビットはchemical,physics,geography,craft&design、あと芸術系の何か)。
2年後に試験がある。
大学は3,4年のようだ。
最後にテストがあるとか。

英語を話すと、自然と身振りが大きくなるし、ポジティブな人格になる。
話しているうちに元気になっていった。

ピカレスク 太宰治伝

猪瀬直樹
文春文庫

文学者とは嘘つきだから、それを資料をもとに事実を検証して行くのはどこか野暮な部分もある。
ましてや、太宰と井伏という文学界の大物二人の姿を暴くとなれば、スキャンダラスでもある。
しかしながら、井伏と太宰を通じて描かれるのは世間対個人である。
猪瀬さんは前回観た芝居のアフタートークで「太宰治の『人間失格』は、『人間失格、でも自分だけ人間合格』」との興味深い説を唱えていたが、それを描いたところにこの著書には普遍性があると思う。



井伏鱒二は生活のために雑文を書いていた。
その中の一つの気持ちでジョン万次郎漂流記とか。
リライトしただけとかになってしまう
引用p449
「家庭の幸福」という短篇を書いている。
…結びは「曰く、家庭の不幸は諸悪の本」
引用P488
日常生活のみが目的化されれば、見過ぎ世過ぎ、である。太宰は「家庭の幸福」のなかに「津島修治」をおくことですでに示した。「家庭の幸福」に対抗するためには、自分はいつでも死ねる、という一言を持ち込む。すると世界はがらりと変わる。日常性に埋没しそうな卑小な自分を超えられる。この蠱惑的かつ危険な切り札は、おそらく芥川龍之介の自殺によって刷り込まれたのであろう。

2010年10月5日火曜日

アメのこと


※意外につらくて大岳山(奥多摩)の山頂でくたばる雨宮氏


にわかに信じ難いが、大学の芝居仲間のアメが日本酒修行に三重県に行くという。
送別会を企画してしまっているが、嘘だったりして。
アメの人望か、すぐにレスがあって結構人が集まっている。
まあ、それはそれで。
ひとつアメのことを書いてみる。


初めて出会ったのは明治大学和泉キャンパスの噴水で。
クラス友達から紹介されて、初めて話す。
なぜか伊達メガネをかけていた。
湘南に住んでいる、と聞いてかっこいいですね、と返した記憶がある。


俺の初芝居で共演した。
よだれがよく出るらしく、客席に背を向けてこっそりぬぐっていた。
俺が演出する芝居では二回()役者で出てもらった。

芝居では真面目であり器用に役を消化していた。
猿役とかバレエとかの身体表現もうまかった。
演技(?)では「やってる?」という暖簾をくぐる仕草をする姿がとても印象に残っている。
ただし、休憩時間、開演前の楽屋では駄々をこねていた。
甘えん上手だった。

いろいろ遊んだり、よく飲んだ。
ディズニーランド行ったり(1回だけ)、新歓時期には神輿作って担いだり、花見時期にはちょっと早い代々木公園で人がほとんどいないのに場所取りしたりした。
去年は山登りの中心メンバーとして会っていた(ちなみに俺がいないときに彼は奥多摩で遭難している)。


中でも一番印象に残ってるのは、ヒッチハイクで神戸に行ったこと。
当時のアメのブログ

あれは2008年5月。
俺が大学卒業して、受かる見込みのない就活をしている時期。
アメは5年目の大学生をしている時だ。
時間を持て余していた我々はその日、王子で芝居を観た後、飲むために新宿に赴いた。
何人かに連絡したが、メンツがすぐに揃わず、ヒッチハイクでもするか(この辺の記憶はあいまい)、となってそのまま神戸に向かうことに。
東京デスロックの多田さんというイケメンの神戸での芝居を見に行くというのが一応の名目。
早朝に神戸に着き、漫喫に行って仮眠した。
その後、場外馬券場いったり、大阪のUSJ近くまでたこ焼き食いに行ったり、目的の芝居を観た。
その日、神戸は夕方から雨が降っていた。
俺が雨を降らせているという「神戸様」設定で、しきりアメは俺のことを「神戸様、神戸様」と呼ばわった。
電車で高速のSA近くの駅まで行く。
そこからSAに向かう道ではかなりの雨が降っていてズボンはかなり濡れた。
かなり暗くなっている中で、二人で歩いた。
あの未知の場所で、濡れながらいろいろ語らいながら歩く二人だけの時間。
とても印象に残っている。
その後、SAで一夜を過ごし、朝はとてもいい香りのする焼きたてのパンを食べた。
3台の車を乗り継いで帰る。
三台目ではドライバーの方に、就職や将来へのビジョンの甘さついていろいろ言われたな。
終わりには、コンビニの缶ビールで締め。
さりげないけれど、小さな充実感があった。

四半世紀

今月の13日で26になる。
これは主観的なものだが、人間は誕生日周辺の季節を好きになるのではないか。
一番この季節が体に馴染む。
風が、散歩が、景色が、身体に心地よい。
具体的には秋の徐々に涼しくなっていく過程が好きである。
春は眠い。夏は暑い。冬は寒い。
それだけだ。
しかし秋は繊細だ。
微妙にではあるが、確実に変化している。
風の強さにも強弱様々なバリエーションがある。
秋ほど豊かな季節はない。


さてさて、約3ヶ月くらいをしめす秋という単位もそうだが時間には単位がある。
その中で、あまり使わなそうなのが、四半世紀という単位である。
単位なのに4という数字が入ってしまいぱっとみてよくどれくらいなんだか、わかりづらい。
しかし、この単位も人間にとって、一つの区切りになる単位だから存在するのだと思う。

25歳。
私にとっては就職の歳。
他人からみたらささいな事かもしれないが、早起きになった。
自分にとってはかなり大きな出来事。
波及効果として、仕事外でも活動的になった。

同級生たちにも次々と変化が起きている。
大学時代同じサークルの出身の劇団は突如、解散することになってしまった。
高校生の時に戯曲書いて賞とった友寄という主宰は沖縄へ帰ってしまった。
何があったんだ。
はらゆうじの初任給は3万円だった。
年金とかもろもろ払ったら可処分所得がないではないか。
あ、この人26だった。
園原氏は一ヶ月で三軒茶屋から護国寺あたりに引っ越した。
飯田橋にすればいいではないか。
そして、雨宮氏、

つづく。

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鼻炎

高校の時はテストの時だけ鼻炎っぽくなった。
大学生の頃は朝だけ鼻炎っぽかったりさた。
友達の言えに泊まりにいった際の翌朝は鼻声だったり、鼻水がよく出たりして、「風邪ひいた?」と何回も言われたものだ。
最近は一日中鼻炎っぽい時もある。
もしかしたら鼻炎が慢性化したのかもしれない。

鼻炎はなかなかつらい。
気になって集中出来なくて、何も手に付かなくなってしまう。
ティッシュも道端で配っているようなものではすぐに鼻が痛くなってしまうし、なにしろ手触りが悪くゴミになった時の不格好な感じが嫌いだ。

半袖をきると特に鼻炎っぽくて、この夏は長袖で過ごした。
筧利夫がテレビで言っていたが、風邪は腕からひくらしい。
迷信だと思うが、心当たりがある。
自分の場合、腕から鼻炎になっている気がする。

年を経ることに、体調は変化していく。
鼻炎を治すには注射を打つらしいので、いやだ。
自然治癒力にお任せする、もしくは治すのをあきらめよう。

2010年10月4日月曜日

指針

今朝、所長とお話をした。
先日正式職員になった記念に。

指針となるようなありがたいお言葉を、いくつもいただいた。
大切にしよう。

箇条書きで。
研修には出来るだけ参加すべし。実は研修をたくさん受けられる期間というのはそう長くはない。
経営学を学んで欲しい。組織と自分の関係を考える。今は組織を支える立場。主任試験に向けても組織支援力について考えて欲しい。
モチベーションの維持というかご自身で心がけていること。基本に立ち返る。基本は二つ。なぜ都なのか、都職員としてどうあるべきか。都は現場がありながらも同時に影響力も大きい。
地方自治法に公務員は必要最小限ののコストで最大限の効用をとの文言がある。民間は利益に縛られてしまうが、公務員は直接人の役に立つことができる仕事である。


二十年後の自分へ。
実るほど、頭をたれる稲穂かな

相談員試験、アドバイザー試験

昨日おとといと、二つの試験を受けた。

消費生活専門相談員試験と消費生活アドバイザー試験である。
国民生活センターと日本産業協会という団体が運営している。
この資格をとれば、消費生活センターなどで消費生活相談員として働くことができる。
相談員になるには、消費生活専門相談員、消費生活アドバイザー、そして消費生活コンサルタントのいづれかの資格をもっている事が応募条件となる。
私は消費者行政を多角的に捉えたいという事とセンターで働くことを最大限に試験に活かせるし、仕事にも還元できるのではないか、と思い受験にいたった。

先日受験したのは一次試験で、合格発表を挟み、二次試験まである。
一次試験は以下の通り。
相談員試験は、択一と論文。
アドバイザー試験は、択一のみ。

相談員試験は問題を持ち帰れないのと、解答が発表されないのでわからないが、
アドバイザー試験を自己採点したところギリギリ合格点を上回っていた。
二次試験にすすめるのであろうか。
期待して論文対策しようか。
でもこれで落ちてたら悲しい。

とりあえず11月中旬に消費者力検定というものがあるのでこれを目指しつつ、アドバイザー二次を意識することにする。
ちなみにこの3つの試験の受験料を合わせると3万近くなる。
参考書代も2万近く投資している。
文字にしてみるとなかなか恐ろしい。

所有とアートについて

今日は六月あたりから参加している早稲田でのゼミ。
七月以来、久しぶりに集まった。
このゼミの参加者は博士、社長、アート団体関係者、定年退職された方まで幅広い。
私はアートに関する議論をしたいがために参加してますが、皆さんアカデミックだったり、経験豊富だったりするので、気後れしてしまう。
今だに所有とアートの関係について考えを深められないでいる。
どうも抽象的すぎて、イメージと実感がわかないのだ。
具体的なところから考えてみようと思う。
そもそも所有とはなんだろな。
恋人は所有できるのか、子供は所有できるのか。
これでは全く埒があかない。
では、これはどうか。
僕は基本的に本は買うようにしている。
買って読む場合に抱く感覚は明らかに図書館で本を借りる時と違う感覚である。
この違和感を言葉によって解明していきたい。
思いつくのをあげてみる。
買った場合は捨ててもいい。
買った場合は手に入るという満足感がある。
買った場合は線を自由にひける。
借りたら返さなくてはという心理的負担感がある。
借りた本には他人の余韻がある。
借りた本とはさよならしなくちゃいけない。
よくわからなくなってきたので考えるのをやめる。

今週末にはゼミ合宿がある。
大学時代にはゼミ合宿なんてなかった。
ちょっとあこがれていた。
私は合宿班でもあり、今日はミーティングがあった。
今週は課題図書になっている立岩真也「人間の条件」を読む。

2010年10月1日金曜日

ProjectBUNGAKU太宰治

@八幡山

アフタートークに猪瀬副知事。
個人的な体験もあり私の中では亀井静香と戦う怖い人でしかなかったが、なごやかな雰囲気。
しきりに褒めていた。
最後には、東京はアート都市、演劇などの文化を掘り下げて発信する、とおっしゃってました。


(追記)
谷賢一の「太宰治」はすごかった。
谷さんは大学の先輩ですが、もはや谷賢一と呼び捨てで呼ぶほうが自然のように遠くの人になった気がしました。
太宰の「人間失格」のフレームを活かしつつ、自分の中で消化しつつ表現する。
素晴らしい作家です。
葉蔵にはいろんな表情が見えた。
僕自身であり、太宰であり、ハムレットであり、谷さんであった。
演じたコロさんという役者も、宝塚の男役にも出てきそうなクールさ、吉本新喜劇に出てきそうな滑稽さを併せもっており、演技力が凄まじい。
谷さんはまた濃密な空間を作り出す優れた演出家でもある。
初めの方の薄暗い中、葉蔵が写真取られまくって、フラッシュで眩しいところでいきなりぐいっと世界観に引きこまれた。
ブラックホールのような吸引力。
その前の幕間の時点での、そわそわ感からして魅力的だった。
がらっと雰囲気が変わって、役者がストレッチとかして、さあ始まるぞ、っていう緊張感と期待感。
作品自体に疾走感があって、それが破滅へと突っ走っていく感じが、怖いんだけれども心地良かった。

と、谷さんの作品ばかり賞賛したくなるが、4作品どれも個性があってよかった。
「HUMAN LOST」のイメージの連鎖による不気味な雰囲気、ぽちゃっという金魚鉢へ落とす音が効果的。
「燈籠」の日本語の美しさと繊細さ、一番セリフが染みこんでくる。
「ヴィヨンの妻」の雨のシーンのエロティックさとラストのセリフの強靭さ。
4作品のどれもズバッと人間を捉えて離さない作家という生き物の得体のしれない生命力を感じた。
またうまく有機的につながっているんだ。
あの構成力も松枝さんの人間性がなせる技か。
このプロジェクトは太宰作品を知る入門篇としてもおすすめできるし、演劇公演としても面白い。
こういうアートプロジェクトが東京にもっとあるといいと思うし、自分も東京都での行政職員として文化振興を志す身なので何らかの形で携われたらと思う。